テーマ本箱
バタイユの本箱

バタイユ

   認識は孤立したままでいることはできない。確かに認識は最初は孤立したもの
   でなければならない。しかし孤立したままでいるのをやめるべきなのだ。人間
   は運命によって認識に結ばれているが、これは同時に二つのことを意味してい
   る。人間が認識を運命づけられていて、認識の内にしか人間的な意味はないと
   いうこと、そして反対に認識は、人間の運命から分離されることも、異なるも
   のになることもできないということだ。
           ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分 有用性の限界』より

自己意識を消すことというのがかつてのテーマだった。ほんとにどうでもいいようなことだけど、意識は明晰なまま自己観察をつづけている。ヘーゲリアンだったバタイユ、その酩酊系に魅せられつつも明晰系で、過去にあざ笑われるような自虐と諧謔、いまさらだけどいまならでは、いまだからこそ読み取れる何かを期待する本箱をつくってみた。

余談:意外に知られているところでいうと岡本太郎とバタイユのカンケイ。「芸術は爆発だ!」「太陽の塔」のモチーフに絡んでくるのがバタイユの思想だったりする。太陽の無限ともみえる「贈与」と「消尽」。自然界の根源的なエントロピーの増大、人間性という呪縛、忘却とも暴虐ともいえる祝祭、「芸術」という文化装置、システムのとりこまれることのないメタシステムは、自己意識の爆発と蕩尽へと誘うのだ!

 

【バタイユー明晰系の本箱】