血脈の本函
血が流れ出した時の驚愕…

冷血

『冷血』上・下 高村 薫


血の色がもし、赤くなかったら(ヨーロッパでは王族の血は青いという伝承もあるが)、私たちは、血にこんなに心がざわつくだろうか。血は温かさとともに、活力と生命の息吹が感じられる。それ故、親から子へ孫へと伝わる血の流れにゆったりと満たされる感情と言うか、安心感が感じられるが、この血が流れ出した時の驚愕は、その裏返しであろう。にもかかわらず、血が流れる場面はエロスとタナトスの境目のきわどい美ともなる。というわけで、血脈は一旦、流れ出る血の方向へと遡及して見ようと思います。それでは『冷血』から。

『冷血』といえば、勿論トルーマン・カポーティの傑作があるが、そのままの題をつけた高村薫の小説である。合田刑事物の推理小説と言うか刑事小説かに当たるとも言えるが、これはやわい刑事物とは全く違う、人間の根源に迫る、こわもての小説である。若者2人の歯科医師一家4名の惨殺事件が発端なのだが、事件と犯人は今時の若者で、押しこみが居直り鉄の根こぎで夫婦と子供を滅多打ちにして殺して、金を奪うのであるが、計画性もあるようなないようなで、犯人はすぐに捕まる。つまり、刑事物であれば、刑事の縦横無尽の活躍が描かれ、犯人が捕まって結末を迎えるのであるが、この作品は、犯人逮捕から取り調べ、裁判、そして死刑までが描かれているのである。なぜなら、この犯人2名の犯行が、単なる粗暴犯としては扱えない闇を抱え込んでいながら、2名ともそれを自ら言語化できない。それを合田刑事が細かく細かく断片を拾い集めて犯人の姿を求めて行くのだが、最後までそれが成功しないのである。多分現在の刑事は一旦起訴された後まで、裁判に関わり、うすぼんやりした闇を払おうとするような刑事はいないだろう。検察も人が理解しやすいように事件を整理して裁判が行われる。しかしその整理されてしまった事件の裏側にはもっと消してはいけない人間の生の根源に関わるものがある。

カポーティの『冷血』もとっても重たい小説(ドキュメントとも言えるが)であるが、高村は臆することなくその題名をつけたことは決して間違ってはいない。読み応えのある小説となっている。

魔女:加藤恵子