血脈の本函
バスク語で書かれた現代文学…

ビルバオ

『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』キルメン・ウリベ


この著書、実は日本人にはほとんど知ることのないバスク語で書かれた現代文学なのである。バスクとはスペインとフランスにまたがる山の地域で、ベレー帽とヨーロッパ最古の言語と言われるバスク語を話す人たちの地域なのであるが、フランコ独裁のときはバスク語の使用は禁止されていた。民主化により現在はスペインの公用語(5つある)の一つとして認められバスク語教育もされている。それ故、1989年にベルナルド・アチャガが初めてスペイン国民小説賞を受賞し、ついでウリベの詩による国際的な活躍で、バスク語文学に日が当ったのである。このような経緯を抜きにしても、ウリベ(1970年生まれである)の処女作はその人柄を表すような実に誠実な、きめ細かな愛情が見て取れる珠玉の作品になっている。

設定は詩の国際会議にニューヨークへ飛ぶ飛行機の中で、これから書こうとしている小説に書かれるはずの物語が語られると言う設定になっている。語られるのは自分の祖父母であり、両親であり、叔父、叔母である。彼らはウリベが生まれた港まちオランダロアの根っからの漁師たちである。

スペイン現代文学(映画も同様に)に必ず出てくるのがスペイン内戦である。スペインの民衆の心深くの傷になっている内戦は、内戦の経験のない我々には信じがたい苦悩のようで、癒せない傷のようだ。その上バスクは民主化後も独立を主張するETA(祖国バスクと自由)の武装闘争がつづいた地域でもある。親子が敵対したり、フランコ支持の祖父がいたり、単に政治的に共和派が全ての正義を体現していたわけではなく、どちらかに逮捕されたり、亡命したりという過酷な歴史を歩むのであるが、実はその外側の政治的な枠組みはありながら、孤児になった敵方に就いた知り合いの子供を苦もなく受け入れるふつうの人々がいる。あるいは祖父が病の床に就いた時、母がたの祖母が自分はバスクナショナリストであるにもかかわらずフランコ派の新聞を毎日読んでやったりするのだ。彼らは言う「頭で考えることと、心で感じることは別物なのよ」と。

この作品の最も優れている点は漁師である祖父や父親の自由で温かくユーモアあふれる言動なのである。それは、挿入されているアウレリオ・アルテタの絵に触発されて思い描く漁師の生活である。夫の出漁を見送る妻は子供を高く捧げているのだ。

そして、物語を描くために集められた事件を集めて行くうちにウリベは気がつく。人の記憶に定着した物語は実は事実とは違うものがある。しかしそれは嘘を作り上げたのではなくて、深く心に刻むための無意識の操作なのだということ。

全く、愉快なエピソードが語られる。ほとんど冗談のような話なのだ。でもそこには自分とつながる祖父、父そして、自分につながるかけがえのないエピソードである。ウリベが書きしるしたことで、一族の姿は見事に表舞台に浮かび上がった。ウリベはこの作品の最後を謝辞で終えている。膨大な人々を丁寧に書いている。形式的な感謝とは違い、彼の生を支えてきた人々がいる。それに謝しているウリベの誠実さが好ましい。

追記

偶然知ったバスク語の辞典の言葉を提供したのが自分の叔父であった時の驚きを記したシーンに、一度は消されようとしたバスク語を再び世に出した人々の熱情に深く心を打たれた。

魔女:加藤恵子