魔女の本領
この本を読む事の空恐ろしさ…

ショック・ドクトリン

『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下ナオミ・クライン


3・11の大震災と福島原発事故の状況下にいる今、この本を読む事の空恐ろしさにたじろいだ。もちろんこの著作は3・11以前に書かれた物だが、心して読むべき本である。

近代以降の歴史をわれわれは政治の変化で見てしまいがちだが、現代の社会は経済が政治を規定している。資本主義というものが政治を動かしているということだが、近年大きく問題になっている新自由主義の根本的問題を徹底して描き切ったのがこの書籍である。筆者はカナダの女性ジャーナリストで、作家であり、映像にもたずさわっている。

本書で徹底的に批判されているのは、シカゴ大学の経済学者ミルトン・フリードマン(1976年にノーベル経済学賞受賞)と彼の率いたシカゴ学派が、1970年代から30年以上にわたり南米を皮切りに世界各地で展開した明らかな「反革命」の経済運動のすさまじいやり方と社会の崩壊を描きだしたものである。フリードマンの「現実、あるいはそう受け止められた危機のみが真の変革をもたらす」という言葉から連想されるのは、危機にひんした経済の善意の再建者のごとき振る舞いの真実が実は社会が政変や自然災害などの目前の「危機」に陥っている人々が「ショック」状態にあり、なんの抵抗も出来ない時こそ、市場原理主義に基づく経済政策を導入し、政府を傀儡政権としてあやつり、民衆を収奪し、在来の社会制度を崩壊させたかというシカゴ学派の犯罪的ふるまいがあばかれている。

シカゴ学派の基本概念(クラインはそれをショック・ドクトリンと名づけた)はなんと、米ソ冷戦下の1950年代にカナダのマギル大学でひそかに行われていた洗脳や拷問のノウハウから来ているというのである。つまり電気ショックとか隔離による感覚遮断などの「身体的ショック」を与えると、人間の脳は「白紙状態」になる。そこへ新たな情報を書き込めば意のままになるというものであった。このシステムを個人と社会全体に適応したのが70年代のラテンアメリカから9・11後のアメリカやイラク戦争、ハリケーン・カトリーナ後のアメリカ、スマトラ沖地震後のスリランカなどの各地の経済政策であり、全てにわたりシカゴ学派の暗躍というよりは、善意の皮を被った狼としてたち現われたのがこの図式であった。フリードマンが提唱したこの自由主義市場経済至上主義は、新自由主義といわれ、徹底した民営化と規制撤廃、自由貿易、福祉や医療などの社会支出の削減を柱としていて、その結果大企業や多国籍企業、投資家の利害と強固に結びつき、貧富の格差の拡大やテロの脅威のような社会的緊張の増大に至った。クラインはその出発を戦争や災害といった偶発的な事案出あったものが、現代ではいまや経済を回すために戦争が計画され、常に災害を待ち受けすぐに介入出来ることを計画しているまでにモンスター化していることを描いた。

このショック・ドクトリンが実際に適応されたのはチリのピノチェットによるクーデターを皮切りにラテンアメリカ各国、イギリス、サッチャー政権のホークランド紛争後の経済、ポーランドの「連帯」による勝利をズタズタにしたその後の経済、中国、天安門事件後の鄧小平の経済政策、アパルトヘイト後の南アフリカ、ソ連崩壊後のロシア、アジア危機、9・11後のアメリカ、イラク戦争、スマトラ沖津波、ハリケーン・カトリーナ、パレスチナにおけるイスラエル国家の実体が綿密に描かれている。そのどれもが、我々がほとんど政治あるいは社会事件としか見えてこなかった歴史の根本にこのような経済の悪意の手が入っていたことが全く以て知らないでいたこと、他国の話として聞き流して来たことの罪深さと、空恐ろしさを知らされるのである。

例えば効率化のための民営化は政府の機能を極限にまで小さくする。その結果、何が儲かるかであるが、端的に現れているのは治安である。なんとアメリカでは富裕層が高度化したセクリティ会社と手を組み独自の街を作っているのだそうだ。あるいは、アメリカをはじめイギリスなどの軍隊はすでに民営化されていて兵士の割合は時にはイラクなどでも、正規軍より多くなっており、それらの傭兵が虐殺や捕虜虐待に関わっているため、政府が手を出せない案件さえあるという。問題は傭兵であるのではなく、それを請け負う企業が国家の金(税金)を無条件でかき集めて巨大化しているという事実だ。そのような企業は、戦場から撤退してもそのノウハウをセキュリティーとして各国に売り込みいまや世界規模のセキルティー産業がITバブル以後の経済の盛況を成しているという。

このような胸の悪くなる新自由主義に我々は屈服してしまうのかであるが、最後にクラインはピノチェットの暴虐に経済も身体も極限まで痛めつけられたチリを始め中南米各国がショックを乗り越えて新しい社会を希求して立ち上がり成功しつつあることを伝えている。それはいずれも、政府とか政治家とかの動向とは同化しないで、地域の協同性をもとに経済を立て直し、たとえば民営化や多国籍企業の進出によって放棄された工場を自主営業するというような草の根的な運動、あるいは追い出された住宅へ「入り込み」運動などという一見、強い資本に太刀打ちできないような細々とした運動に多くの人が目覚めることで、本来の民主主義に立ち帰っている姿が、われわれに教えてくれるものは大きい。我々は、3・11というショックにあった今、何を忘れてはいけないか、貧富の格差を許すような非常な資本主義が民主主義といえるかという基本に立ち返って、深く考えるための有益な本である。

魔女:加藤恵子