魔女の本領
ホントの話なんですよ…

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『犬の伊勢参り』仁科邦夫


またまた、落語の話だろうと思っている、そこの人、ホントの話なんですよー。江戸時代、明和8年4月、犬が初めて単独(!!!)で伊勢参りを始めたのです。それから約100年間、続々と犬が伊勢参りをして、その目撃談やら、証拠の文書、犬が身につけていた名札等が残されているんだそうな。なぜにお伊勢参りなのか、どうやって行ったのか、どうやって帰って来たのか、不思議と言えば不思議なのだが、ここには近代以前の民衆と犬とのかかわりがとても深くかかわっているのです。

まず、江戸時代、飼い犬はいなかった。ほぼすべて、街や村の共有の動物で、個人に属していなかった。もちろん繋がれてもいなかった。犬の目線でみたら、江戸時代の犬は、街も村もアジールのようなもので、自由に生きていたらしい。

次に、お伊勢参りの爆発はいわゆるお蔭参りという無断で抜け参りをするスタイルは60年周期で起こっているが、これは一生に一度はお伊勢参りをするという願望から、大体一世代に一度爆発的なお参りがおこった。しかし、常に伊勢参りは念頭にあり、代参という形式もあり、伊勢神宮の方にも人を呼び込むために御師が各地に庭場と称する地盤を持っていた。さらに、江戸時代には伊勢神宮は今の姿とは似ても似つかぬほどの歓楽地で、いわば信仰と娯楽が合体したアミューズメントパークのような様相を呈していたらしい。

そこへ何で犬が参るのだ?こればっかりは犬に聞いてみないと分からないが、犬を巻き込んだお伊勢様の御利益の共同幻想だったらしい。そこここにいる犬が偶然、伊勢の方角にあるいている。それをみた人が「ありゃ、伊勢参りじゃないか?」と思う。すると、人々は、犬の首に在所の名前を書いた板きれと、路銀を結びつけてやる。本当に伊勢の方角にあるく人やら、大名やらが、その姿をみて、更に感動して、手引きをするやら、宿に留めてやるやら、食事をさせるやら、さらに首に銭を加えてやる、船にも乗せてやる。大名などはかごに同乗したりしている。そして、伊勢に着くと、そこでお札を戴いて、丁寧に油紙につつんで背をわせてもらい、帰途につく。帰り着いたら荷物がつづら一杯などということになっている。とすれは、この犬を街から街へ、はたごからはたごへと人間が犬の荷物を運んだのである。その送り状がのこされている。その数百枚以上というから、それだけの人が犬に関わったわけである。遠くは青森などもあったようだ。

この犬のお伊勢参りは、なんと犬だけに限らなかった。豚、牛も伊勢参りをした。こちらの方は珍しかったらしいので理由がわかっている。広島と岡山に限られる豚の例は、朝鮮通信使の接待用に豚が用意されていたらしいのだが、それも街中に放し飼いで、犬より豚が多くて、犬に代参させるより豚に代参させる方がリアリティーがあったらしい。

この話は、科学的に考えたらば、何と言うこともないのだが、江戸時代の民衆が犬だってお伊勢参りをすると思い込んだら、みんなでそれを援助したのだ。道を間違えそうになったらば、教えてやり、犬も人に馴れているから、喜んでついて行くし、お伊勢様の御利益で、首にむすんだ銭が多くて重くなれば金にかえて軽くしてやるし、もっと重くなれば、ついて運んでやったのだ。このおおらかな精神は、前に紹介した『逝きし世の面影』の人々に重なる。

この犬の伊勢参りが途絶えたのは明治に入ってからで、先ず洋犬が入ってきて、これが売り買いの対象になり持ち主の意識が出てくる。さらには明治政府は西欧化を急ぐ中で、野良犬をつかまえ、殺すという方針に転換した時に、このおだやかな犬と人間の共同幻想が消え果て、自由に歩いていた、犬のアジールも消滅した。

さて、みなさま、胸をはって、首に御弊をさげて、伊勢まで一人で行く犬。信じますか。

魔女:加藤恵子