かぶく本箱
映画『セデック バレ』:狩猟民族の「掟」と陽明学の「美学」についての考察

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●「霧社事件」の圧巻・台湾原住民セデック族

映画について熱弁する回。先日、映画『セデック バレ』の鑑賞、2回目を観に行った。ひとことで言えば、1930年、日本統治下の台湾で起きた原住民族による武装蜂起「霧社事件」を描く、台湾映画の歴史巨編の作品である(↑公式HPより)。

第一部(『太陽旗』)と第二部(『虹の橋』)、約5時間弱を続けて観る行為の2回目で、延べ約9時間をあてたことになる。これまでどんな映画も歌舞伎も、2回目には多少こちらの意欲がだれたり、疲れたり、他のことが頭に浮かんでしまうことが多かった。が、この映画は1回目と同じく全く飽きず、緊張が途切れず、画面に引き込まれてしまう。長いとも感じない。わかりやすくて型どおりのハリウッド式勧善懲悪や起承転結から全く離れた時空にある、超弩級の作品だと思う。

第一部は、日本による統治下の台湾で、原住民のセデック族が狩猟民族としての文化を奪われた30年間の支配から蜂起し、霧社公学校の日本人134名を殺害するまでが描かれる。暴動までの経緯が、息が詰まるほどの緊迫感で圧縮されていて、上手い。そして彼らセデック族の頭目が、画面でも怖ろしい迫力を放つモーナ・ルダオである。

大人への儀式であった「首狩り」を禁止され、過酷な労働に服従するセデック族の日々。森を駆け抜けていた美しく誇り高い彼らが、狩場を奪われ、所在なく店頭で酒を飲みながら呟く片言の日本語を聞くのは、きつかった。充分にセデック族に感情移入してしまう導入部だ。がしかし公学校運動会での彼らの日本人の虐殺ぶりは、そんな甘い感情が宙に浮く。もちろん、彼らを踏みにじった日本人へ気持ちが寄り添って行くわけでもなく、途方に暮れる第一部エンディングなのだ。

第二部は、報復に結集した日本軍との戦闘シーンがひたすら続く。山中のゲリラ戦に長けた原住民に翻弄された日本軍は、他部族への波及を恐れて徹底的な鎮圧を図る。映画通り、大砲や機関銃、毒ガス弾などの近代兵器を使用したのは事実らしい。映画では、セデック族が次々に日本軍の男たちを倒したように見えるが、実際にはこの時の戦闘で殺したのは日本軍兵士22人、警察官6人だったという。そして原住民間の対立も絡んで殺戮が殺戮を生み、蜂起した部族たちは滅びの道を自ら歩んでいくことになる。

映画の中でセデック族の戦士は素晴らしい身体能力と肉体美を放ち、ジャングルを駆け抜け、歌い踊り、戦う。その様子を見るうちに、鑑賞後の茫然は、霧社事件の重さで絶句したのか、有り得ない彼らの迫力と映像美に感動したのか、わからなくなってくる。首狩りの儀式を通過した、勇敢な真の人(セデック・バレ)だけが死後に虹の橋を渡ることができる、という彼らの神話が繰り返し歌われて、悲惨な戦闘の合間にも、森や渓谷はみずみずしく煌いている。

●狩猟民族の掟、陽明学の美学

 

そんな物語中、私は当初モーナ・ルダオの行為に、ふと河井継之助を思い出した。司馬遼太郎の『峠』の主人公である。陽明学に心酔した長岡藩の家老で、戊辰戦争で長岡城の占領、奪還、再占領という激戦を経て負傷し、落城後破傷風で死亡した人物だ。司馬遼太郎は男子の本懐のように描いていたが、私的には、河井継之助の魅力には魅かれつつも、個人的な美学を家老としての政策にすり替えたようで、納得できないところがあった。決めた本人は納得して死んでいったのだろうが、敗者としての長岡藩は、その後苦汁を舐めていく。

陽明学は、江戸から昭和まで、新旧体制を問わず地下水脈を伝播した。陽明学周辺の人間は、かぶいている人物が多い(と勝手に決めている)。そしてかぶく人々というのは、例外なく芸能と関連が深い。…と、映画中の魂魄に響く歌や踊りを連想した。

日本人の美学と原住民部族の信仰を一緒にするのは彼らに失礼かとも思ったものの、2回目の鑑賞で、モーナ・ルダオの決断は、自尊心と無縁ではないと確信した。彼らは、死を恐れず、掟を自らのアイテンティティーの拠り所とする。最初の鑑賞では、あまりにも演じる原住民の役者たちに説得力がありすぎて目が眩んでいたが、かれらの首狩りの習慣を含めて、獰猛な狩猟(戦闘)本能や縄張りシステム、男性中心主義の文化は結局は現代文明とは共存できず、滅んでいく運命だったのだとも、画面は語っている(首狩りをして勇気を示さなければ入墨が出来ず、入墨が無い男は嫁を迎えることができない文化だったという)。となると、部族の文化と武士道との共通点に言及した台詞も、最初は鼻白んだが、あながち外れではないのだろう。そして原住民は男女区別なく、面目がつぶれる場合など、すぐに自殺していたようだ。彼らの先祖は木から生まれた、という神話があり、自ら死ぬ場合は木に紐を垂らし首をくくるのだ。

それにしても、ここまでニュートラルな視点で映画を作った制作側の冷静な意図には、舌を巻いた。魏德聖(ウェイ・ダーション)監督が何故ここまでこだわって霧社事件を映画化したのか、が気になる。苦節10数年、監督はこの映画化を決心してから借金を重ねて製作費を捻出していたという。この間に霧社事件について調べた題材からストーリーが作られた『海角七号』が大ヒット。やっとスタートさせた『セデック バレ』も、途中何度も資金が尽きて中断したという。最終的な製作費は、台湾映画市場最高の20億円になった。そもそも、主要言語が数千人にしか使われていないセデック語、という映画を20億円かけて作ったこと自体が、執念の賜物としか言いようがない。

それでも監督は、天下のプロデューサー、ジョン・ウー(『M・I 2』『レッドクリフ』)ら、ありとあらゆるスタッフから、長すぎるのでカットするように、資金を考えるように、と忠告されても、「絶対に脚本を削らない」と信念を変えなかったそうだ。そんな監督の覚悟が、やがて全てのキャストとスタッフに乗り移ったことは、画面を観れば伝わってくる。結局、2部制の長いバージョンが上映されたのは台湾と日本だけになったが、監督自身が、どうしても日本ではオリジナル通りに上演されることを望んでいたそうだ。

戦士たちはほとんどが素人の原住民。よくぞこんな危険な撮影ができたもんだと思えるシーンばかり。裸足でジャングルを走るので怪我人が続出し、致死率6割のツツガムシ病にも、監督以下20人が罹ったという。メイキングでは、気温10度以下、ダウンを着て震えているスタッフの横で、原住民が川に飛び込む演出シーンが続く。素人のキャストは通常よりずっと低い出演料で、映画の撮影はこれが普通と思い込ませて、無理を通していたようだ。クランクアップ後、監督は泣いて抱き合いながら、本当は普通の映画製作ではここまでやらない、と白状したそうで…資金不足で出演料もなかなか払えなかったらしく、詐欺すれすれだ。でも完成した映画を観て、参加したことを誇りに思わない原住民はいないだろう。実際に今、原住民がこの映画を自分たちの原点だという動きが出ているそうだ。

●『海角七号』『台湾人生』『悲情城市』

『海角七号』は甘いノスタルジーに包まれていて、監督が親日だと囁かれていたものだった。しかし最近のインタビューで、それは偶然だったと彼はいう。テーマを描く上で出てきたモチーフだったと。思い出すと、『海角七号』のキャラクターは様々な異文化の背景をもっていた。日本人、台湾人、原住民、客家人、多言語、そして台北と台南という違い(外省人と本省人のニュアンスまではわからなかったが…)。魏德聖監督は、台湾の中での異文化同志の摩擦と、おそらくは、それを超えた時空にある希望(たとえば「虹の橋」のような)を描くことが、ライフワークなのかもしれない。

画中で死を覚悟して戦う肉体派戦士たちにくらくらしつつも、結局、いちばん熱くかぶいているのは、裏に居る魏德聖監督なのだろうと最後に思い当たった。しばらく、彼の背景と、台湾について追ってみたいと思い、今さまざまな文献を調べている。

酒井充子著『台湾人生』は、日本統治下の台湾で教育を受けた、台湾人のお年寄りの人生を追った本。予想通りやるせなく、涙腺が決壊しがちだ。しかし、ちょっと救いになるパオワン族の原住民・故タリグ氏の言葉も見つかった。頭目の家系の人だそうだ。「日本人の警察は、原住民と同じような身なりをして、原住民を嫌わないで、同じように暮らしていた。そこまでやった。だから、親しまれた。一緒に酒もくらった。」でも、霧社は違った関係だったと。「日本人は、原住民を、愛と真心をこめて教えるんだという思いがあった」「原住民が教育されて物事を知るようになったのは日本人のおかげ」。但し、その教育の頂点は、映画中の鍵穴キーワードでもあった「我らは天皇陛下の赤子である」という皇民化教育だったことも、本人が語っている。タリグ氏は自分を日本人としか思っていなかったそうだがその思いは叶わず、やがて原住民の地位向上のために国会議員になり、今は鬼籍に入った。

この映画のおかげで、改めて同時代の隣国の現実として再確認したことが、沢山ある。原住民に限らず台湾人は、この100年間に、部族語、日本語、北京語、台湾語と、覚えなければいけない言語が次々に変わり、特に国民党の独裁政権下では、台湾語・日本語の使用が禁止された。そしてようやく、台湾で戒厳令が解除されたのが1987年だったと思い当たった。ついこの間ではないか。魏德聖監督は1969年生まれ。なるほど…とパズルが解けて行くが、まだまだこの人の思考回路は追っていきたい。別の監督だが、戒厳令下の二・二八事件を描いた『悲情城市』はまだ観ていないものの、必見だそうだ。

<『セデック・バレ』公式HPシアター情報>

http://www.u-picc.com/seediqbale/theater.html

※長い上にタブー題材なので、大手はこぞってスルー。こんな面白いエンターテインメント映画をもったいない…(腰の悪い人と、殺戮が苦手な人にはお勧めしませんが)東京では、渋谷ユーロスペースと吉祥寺バウスシアターは5月中との噂。大森キネカで6月末に1週間だけ上映するそうな。詳細は上記HP参照。

<関連図書>

台湾人生 / 酒井 充子 (著) 文芸春秋 / 2010年04月

台湾―四百年の歴史と展望 /伊藤 潔 (著) /中公新書

増補版 図説 台湾の歴史/周 婉窈 (著), 濱島 敦俊 (監修, 翻訳)/平凡社(2013/2/18)

近代日本と台湾―霧社事件・植民地統治政策の研究/ 春山 明哲 (著) 藤原書店 2008年06月

街道をゆく  40 台湾紀行 / 司馬 遼太郎 (著)(朝日文庫)

峠 (上・中・下)/ 司馬 遼太郎 (著) /(新潮文庫)/新潮社(2003/10)

海角七号/君想う、国境の南 [DVD]/ウェイ・ダーション (監督)

by 牛丸