魔女の本領
樋口一葉、愛された24年…

なつ

『なつ 樋口一葉 奇跡の日々』領家高子


『なつ 樋口一葉 奇跡の日々』領家高子 をよむ。
タイトルに引かれてつい買って読んでしまったのだが、本書は、ノンフィクションでありフィクションであり研究書であり、それが渾然として一書をなしているという、何とも不思議な本である。結論から先に行ってしまうと、そのジャンル横断があまり成功しているとはいえないのだ。

とはいえ、明治初期、名作を残して24歳の若さで夭折した樋口一葉の実像やら、当時の文壇やらとの関連は全く知らなかったから、なかなか面白かった。樋口一葉についてのイメージは言わば古いタイプの擬古文での文学で、貧乏にさいなまれ、家長としての重さに汲々とした、ひどく暗い実像で、そこからあの「たけくらべ」の思春期前の子供たちを描き得た奇跡を思いやっていたのだが、どうも全然違っていた。また、背景となったと思われ、また有名でもある小商いをして家を支えたという下谷龍泉寺において「たけくらべ」が書かれたのではなく、駄菓子屋をたたんで本郷台地の崖下、丸山福山町(このトポスは重要で、本郷台地から浸み出す清水が溝伝いにあちこち池をつくっていた、いわば水の上―一葉は水の女なのだ)で、明治27年から死去する僅か14ヶ月の間に書かれたものであり、一葉の作家としての頂点があり、そして突然の死去ということなのである。しかし、一葉は影のような女ではなかった。半井桃水との恋についてはしばしば指摘されているが、一葉の周りには、彼女を崇拝する青年たちが頻々と出入りし、恋をしかけたり、或いは小説家としての一葉を世に出すために黒子のようになって奮闘する男たちもいた。にもかかわらず一葉は桃水との恋に痛んだためか、容易になびくことなく、それとなく手紙に真情を隠したり、日記に自分の自立を励まして韜晦したりした。

一葉の文章が擬古文体で書かれていたことで、どうも時代性を誤ってしまいがちだが、彼女の同時代人は、北村透谷、尾崎紅葉、島崎藤村、上田敏、平田禿木、厳本善治、川上眉山、斎藤緑雨、泉鏡花、星野天知、馬場孤蝶、森鴎外、幸田露伴、田山花袋、広津柳浪、大橋乙羽、山田美妙などが同時代で、その多くと浅い深いの差があるにしても、何らかの関係を有していた。孤独な女流作家ではなかった。そして、生前に埋もれた作家でもなかった。とくに、北村透谷とは、接点は薄かったが、一葉は透谷の悩みを自分が受け止めていると知らしめていたら、透谷は自殺しなかったとまで思っていたようである。また、社会的なスタンスについても、日清戦争への反戦の歌が詠われていて、これは与謝野晶子の「君死にたもう事無かれ」に実に10年先行している。

「戦地のある人を
おもひて
おき霜の消えをあらそふ人も有るを
いははんものかあら玉のとし」

更に、敵方の清の自決した清艦隊の提督、丁汝昌(ていじょしょう)を悼んで詠んだ歌もある。

「丁汝昌が自殺はかたきなれどもいとあはれなり、
さばかりの豪傑をうしなひけんとおもふにうとましきはたたかひ也

中垣の隣の花のちるみても
つらきハはるのあらし成けり

-感想・聞書10「しのふくさ」詠草42」

本書では「たけくらべ」の登場人物を一葉の周辺人物をモデルにしたと言う仮説で書かれているが以下のようであるが、その必要性はあまり感じられない。

「たけくらべ」の信如は、島崎藤村。美登利はもちろん樋口一葉。美登利と仲良しの美少年田中屋の正太郎(正太)は馬場孤蝶。戯(おど)け者の二股かけ、ちびの三五郎は平田禿木。乱暴者の頭の長吉には、町奴を描いた鬢髪(びんぱつ)もので一世を風靡した村上浪六に重ねて、浪六を我が知己と称えた星野天知の影がさすかもしれない。座長役者には憎まれ役も兼ねて演じられる力量がいることだ。

絶頂期でもあり晩年でもあったこの「奇跡の14カ月」を彩ったのは馬場孤蝶であることは、間違いないかもしれない。馬場孤蝶はなかなかにユーモアを解する誠実な青年であり、一葉との恋も感じさせるが、一葉は知っていながら、心を閉じていたようである。

「たけくらべ」は『文学界』にとびとびで書かれていたが、それを一括にして世に押し出したのは博文館大橋乙羽で、文壇のあれこれに引き裂かれていた一葉を救出し、そのごも裏方に徹して、一葉を支えた誠実な人物であるらしい。その成功は、華々しく、森鴎外、幸田露伴の激賞を受けた。

森 鴎外:われは作者が捕へ来たりたる原材とその現じ出したる詩趣とを較べ見て、
此人の筆の下には、灰を撒きて花を開かする手段あるを知り得たり。われ
はたとい世の人に一葉崇拝の嘲を受けんまでも、此人にまことの詩人とい
ふ称をおくることを惜しまざるなり。且個人的特色ある人物を写すは、或
る類型の人物を写すより難く、或る境遇のMilieu に於ける個人を写すは、
ひとり立ちて特色ある個人を写すより更に難し。たけくらべ出でて復(ま)
た大音寺前なしともいふべきまで、彼地の『ロカアル、コロリツト』を描
写して何の緊迫せる筆痕をも止めざるこの作者は、まことにえ易からざる
才女なるかな

幸田露伴:此作者の作にいつもおろかなるは無けれど、取り分け此作は筆も美しく趣
も深く、少しは源の知れたる句、弊ある書きざまも見えざるにはあらぬも
のの、全体の妙は我等が眼を眩ましめ心を酔わしめ、応接にだも暇あらし
めざるほどなれば、もとよりいささかの瑕疵などを挙げんとも思わしめず。
(中略)此作者の此作の如き、時弊に陥らずして自ら殊勝の風骨態度を具
せる好文字を見ては、我知らず喜びの余りに起つて之を迎えんとまで思ふ
なり

そしてこれを喜んだ取り巻きの若者は、「大学の講堂で上田敏が誇らかに頁を指し示し、秋骨が高唱してはしゃぎまわり、禿木が涙して喜んだ」という。そして等身大の樋口夏子は、心に悲しい諦めを抱えた、繊細で優しい女であった。一葉が結核で死去した時、その葬儀には僅か十数人の参加者であったということが何か不幸の影を後世に残したが、実は母と妹が後の謝礼が出来ないことを心配して、会葬を謝絶したことに有るようで、森鴎外は馬にのって(この意識が凄いが)参るつもりだったとか。また、新聞(読売新聞、朝日新聞)、太陽、帝国文学、文学界に追悼文が出されている。

さて、一葉の姿と云えば、ひどく地味なひっつめ髪の写真なのだが、どうも修正されているらしい。それは、妹が姉を守るために、清貧と勤勉、親孝行の神話の為に成されたようである。修正前の写真は着物の胸に大きなぼたん柄の刺繍があるもので、若さの匂い立つものである。

魔女:加藤恵子