魔女の本領
やくざとアナキズム、共鳴する心…

千本組

『千本組始末記 アナキストやくざ 笹井末三郎の映画渡世』


『千本組始末記 アナキストやくざ 笹井末三郎の映画渡世』柏木隆法を読む。

あとがきによると、本書は平成4年(1992)に出版され、さる筋では有名なのだが、入手困難な本の改訂版なのである。筆者については『大逆事件と内山愚堂』などアナキスト関係の著者であることを知っていた。読んでみると、膨大な人名が出て来て、実に詳細に調べられた伝記というかノンフィクションともいえる著書になっている。読んでみてわかったことは、この本を愛読したさる筋とは、アナキスト、やくざ、創世期の映画について関わりのある人々であるということが分かる。

アナキストはほぼ自伝を書き残すことをいわば恥じる意識があり、後世誰かが関心を持った人により周辺の人々からの聞き書きをもとに伝記が書かれる傾向がある。この笹井末三郎も、本書以外にその生の全体像に触れた書物は無いと言っていい。

笹井末三郎は明治34年(1901)2月10日、やくざではなく、材木商笹井三左衛門の3男として京都に生まれる。父親の起こした千本組とはやくざではなく人足口入れ業で、京都の運送業、土木業界に地位を築いていたが「かたぎやくざ」で町内の治安を守ったり消防団を兼ねたりしていた。父親は相撲が好きで、京都で相撲興行を起こしたりしている。本人はやくざではないと称していても、人足を多く使う仕事柄、争うごとに巻き込まれることは多く、力による解決を図ることもあり、侠客として見られていた。末三郎は家督を継ぐ必要もないことから、教育を受け、趣味で詩を書いたりしていた。千本組には「大日本国粋会西京支部」の看板が掲げられていたが、こちらの方は兄静一の意図で、末三郎は当時京都でアナキズムの運動を続けていた山鹿泰治らを知ったことから、アナキストと親交を深めて行く。不思議なことに笹井家にはアナキストが多数出入りし、久板卯之助のように居候になっていたものもあった。東京の厳しい警察の弾圧を逃れてアナキストたちが関西方面に活動の拠点を求めて京都、大阪、神戸などの同志の家に潜伏していたようである。この事実については私は現在まで知らなかった。どうしても政治の中心が東京と言う意識が強く、また交通も不便である時期に、関西にアナキストが逃れていたということに不思議な感慨をもった。

笹井末三郎の名前が社会運動史上知られているとしたら宮嶋資夫の著した一連の本に書かれているためだと言うことである。宮嶋は極めてだらしない人物で、末三郎に影響を与えたのではなく、末三郎に生活の面倒を見てもらった一生であったということである。

本書には大正5年の大杉栄の日蔭茶屋事件についてのアナキストたちの感情的な行動が描かれていて大変面白い。

当時、労働争議が頻発し、アナ・ボル論争も激しく、末三郎は「血桜団」なる組織を作ったが、この際に大杉栄の許に出入りしているうちにやくざ世界の可能性を意識したようなのである。すなわち、労働者ともいえない下層労働を強いられている人々へ目を向けた時にただの暴力ではく意味づけされうる(民衆に受け入れられる)暴力の行使にやくざ存在の意味をアナキズムとの関係で意識した。

さて、人生なんてわからない。悩む間もなく、左と右に分かれることがあるんだと思わせられるのだが、大杉栄と伊藤野枝と甥の橘宋一が殺された。手を下したのは憲兵大尉甘粕正彦と言われているが、実際は解明されていない。この大杉殺害に対するアナキストの報復が企てられた。しかしなんと目的にまでいたったのは未遂の一件だけであるとのこと。アナキストは実はみな心優しく、組織的に動けないために綿密な計画性のもとに事にあたれないという弱さを秘めている。笹井末三郎は大杉の報復の為のギロチン社の福田雅太郎暗殺未遂事件後、福田暗殺の第二陣として、かなり綿密な計画がなされた。ところが、実行直前、大堰川の堤防工事の入札不正をめぐって、笹井本家といろは組の抗争が勃発し、末三郎のアナキストメンバーまでがこの抗争に巻き込まれて、逮捕され福田暗殺の為に用意されたけん銃は抗争に使用されてしまう。こうして大杉の復讐は全て失敗に終わり、末三郎も表面上アナキズムから転向することになる。

その後、彼は映画関係に深く関わるようになるのだが、この部分が、映画とやくざの関係が入り乱れて読んでいても、何がなんだか良く分からないのである。映画産業は大きな金が動くことからほぼばくちの感覚で、やくざ的な感性の経営とその破綻、合併、裏切り役者の引き抜き、などがなされてゆく。末三郎はそのなかで、寡黙で誠実で、人情みあつい人物として、多くの人に慕われたようである。映画の部分で最もダークな部分を担ったのが永田雅一である。京都のチンピラから映画に携わり、人を裏切り、欺き、のし上がって来たことに、驚きを感じ得ない。特に林長二郎(後の長谷川一夫)の顔斬り事件である。これは原因は松竹と東宝の間の引き抜きを巡る争いであるが、事件の真の当事者は永田雅一であるということが詳細に明かされている。そのつけを永田は長期にわたり払い続けていたようである。末三郎は直接の関連は無いが、兄静一は千本組として長二郎の身辺警護を担っていながら、役目を果たせなかったことで、千本組の力を落としたようである。

戦時中、末三郎の動向になかなか興味深い点が見られる。どうも満映の甘粕から誘いがあったようなのである。その際彼は「甘粕と会ったら殺す」と答えたようなのであるが、当時満州へは日本を逃れた左翼の多くが流れたことは知られており、満州で末三郎に会ったと言う証言は本物のようであり、映画がらみで、甘粕との関係は無かったとはいえなさそうである。

しかし、末三郎は根っからの侠客であったようで、戦後満州から引き揚げてきた映画人を受け入れるために奔走したようで、そのために「映画界の黒幕」と伝説的に言われたようである。

末三郎が亡くなった時棺にはスティルナーの『唯一者とその所有』の初版本で扉に訳者の辻潤の著名があるものと、大杉復讐を唱えながら未遂で秋田監獄で自殺した和田久太郎が獄中で読んでいた『寒山詩』が収められた。彼はアナキストの心を捨てていなかったのである。

やくざでありアナキストであることは矛盾しない。笹井末三郎は無口で、無骨な、腰の低い人物であったという。高倉健の任侠映画の主人公を彷彿とさせる。青春の時に抱いた志を心の奥に秘めて生きるということの困難と至福を思うのである。

魔女:加藤恵子