学魔の本函
英仏普遍言語計画を読む!

普遍言語

『英仏普遍言語計画 デカルト、ライプニッツにはじまる』ジェイムズ・ノウルソン


コンピュータの時代、普遍言語は実現したのか?

17世紀ヨーロッパは天災や黒死病、そして30年戦争、宗教対立などで混乱のさなかにあった。しかし一方では科学の革命が進み、世界認識のパラダイムチェンジがなされた時でもあった。そんな時、国家の対立や戦争に至る原因は、お互いを認識する言語がないからではないかという初歩的な認識から、言語の統一や新しい言語を志向する多くの人びとが現れた。本書は17、18世紀にヨーロッパを席巻した普遍言語運動を後づけたものである。デカルト、ライプニッツが突出しているとはいえ、実はもっと広い広がりを持ったヨーロッパ統一運動の一環であったことがうかがえる。

この時期の書籍といえばフランセス・イエイツの各著作を思い浮かべるが、本書はイエイツの明確な論文の主題、すなわちヨーロッパの平和的世界構想のための様々な人びとの動きを、例えば「薔薇十字の覚醒」や「記憶術」「ジョルダーノ・ブルーノ」のように明確に納得出来る著作に比較すると、言語学の分析に多くを費やしているために、その政治的意図は不明瞭になっている。

しかし、普遍言語計画の歴史については、その流れが詳細に記されていて、興味深い。例えば、原初の言語の存在を認め、それを各民族語から探し出そうという動きは、アダムの楽園の言語は一つであったという強い考えがあり、キリスト教圏の言語はその派生語であるから、語根を根源に辿り、蒐集すれば普遍言語にたどり着けるという流れをなしていた。あるいは、エジプトのヒエログリフに着想し、絵文字によって伝達が可能であったとの考えから、極力記号を使い、普遍言語を作り出すという考え。また当時旅行記が多数書かれていて、東洋の漢字が中国以外でも理解された事を知り、発音が異なっても理解可能な言語の模索がされたということもあったということである。

問題は、単純な考えを交換する普遍言語は確かに絵文字や記号でも可能であるは早くに共通認識されたが、思想、哲学、文学と言った人間の知的な面を共通にする普遍言語がことごとく挫折したということである。それは当然の事だと思えるのであるが、もっとも人間関係に重要な事はこの知的分野で共通認識を持てるか否かにあり、そのための基礎としての普遍言語の取り組みは人類としての知的財産の共有を目指すものとして最重要であったことは無視出来ないことではある。現在、そのような取り組みはまず考えられない事からして、16、17世紀の知識人(ヨーロッパに限定されるが)は世界共通の世界観を持ちたいというきわめて広い視野の持ち主であったと言える。

もちろん科学の進歩で視野は宇宙にまでひろがり、いわば宇宙的規模からすれば、ヨーロッパの国家間の戦争はあまりにも矮小で、それが言語の差異による誤認識から来ると考えてはいたが、普遍言語の挫折は、結局国家の拡大による言語支配という結末に至ってしまう。

また、注目すべきは普遍言語を考える過程で数学的言語が志向された。すなわち、緻密な曖昧さを排除するためには数式が最良であるという認識である。この考えは、当時は科学によるパラダイムチェンジのじきに当たり、かなりの評価を得たようである。しかし、抽象概念や詩のような隠喩が記せないという当然の欠点から次第に後退したようである。しかし、驚くなかれ、現在の世界は、この数学的普遍言語が世界を席巻している。すなわち、ライプニッツの2進法がコンピュータ言語と成ってすべての言語を超越した。ライプニッツの考えは、実は本人は完成したものではなく、ライプニッツの著作が刊行されるたびに復活したようである。コンピュータ的思考は今や、人間の思考を表記し、国家を超える言語と成っている。しかし、残念ながら、普遍言語でありながら世界の混乱と戦乱を乗り越える言語とは成っていないし、そのように志向されていない点は、16、17世紀の普遍言語計画者たちに及ばないといわざるをえない。

追記:たとえば最近の若手の数学者が数学をつかって新しい社会構築を試みたりする事は、実は古くからある試みであり、挫折した夢の再挑戦であるのかもしれない。

魔女:加藤恵子