魔女の本領
戦後世代が描くメタ戦記ミステリー…

グランドミステリー

『グランド・ミステリー』奥泉 光


『グランド・ミステリー』奥泉 光 を読む。

奥泉の著作のこれはミステリーなのだが、実に多彩な要素が組み合わされた非常に興味深い作品である。上質のミステリーとは、必ずそこに人間の精神の底があぶる出される高度な読みが必要となる物だろう。その点で、この作品はミステリーでありながら、SFであり、歴史書であり、戦記文学であり、明確な反戦文学であり、オカルト文学なのである。

そして、作品を発動させる引き金は、真珠湾攻撃のその日、出撃した海軍の空母「蒼龍」の甲板で爆撃後帰還した戦闘機上で操縦していた榊原が毒殺されるという事件である。しかし、この事件そのものを探ろうとするだけの探偵的な人物はいない。不信を抱く友人加多瀬稔が主人公なのであるが、ストーリーは加多瀬の軍隊経験が実に詳細に描写される方に多くが割かれている。そしてこの著作のもう一つの仕掛けは、我々の生は実は一回限りなのか?というとんでもない提示なのである。全てが一冊の本に書かれていて、それを後になぞっているのが我々の生であり、それを知り得る能力がある人が存在し、つまり第二次世界大戦をすでに経験し、その敗戦を知ってしまっている人物たちの敗戦回避の動きがこの本の片方の動きとなる。そこには、海軍の原子爆弾製造の動きとそれに暗躍する闇の商人や、オカルトの神道家(元軍人)の動き。もちろん現実にはあり得ないが、小説のいわばメタ小説としては非常に面白く、作品の内容を深めている。

一方、加多瀬の妹をめぐる動きはいわば意図せざる反戦の動きとして描かれている。古典学の教授を中心にギリシャ文学を論じ合い、自由な精神を維持しているが、やがて特高の摘発を受けることとなり、中心を成していた最も自由な女性であった水村と教授は逮捕されてしまう。この部分を読みながら、まさにこれからの日本のあり方が既に一冊目の本に書かれている事実をなぞっているのかと思い慄然とした。更に、ミステリーは重層化されていて、やはり真珠湾攻撃の日、伊24号潜水艦では艦長に託された、特殊任務に赴く潜航挺乗組員の手紙が何物かによって盗まれる事件が起こる。二つのミステリーは最後には結びつくのであるが、関連性は分からないまま、登場人物たちの時間は流れ、戦局はどんどんと悪化しながら登場人物を巻き込み、ミッドウェー、ソロモン、硫黄島の玉砕まで続いて行くのである。

奥泉は多くの参考文献をあげていて、描かれた軍隊内部のあれこれは、それらの文献からとられたものであろうが、軍隊の非人間性、所謂特攻についての批判などが随所にえがかれていることは、今やゼロ戦を英雄視する作品のあることを思えば、とても貴重なものであると言えるだろう。また、玉砕の悲惨さをただ描写するのではなく、加多瀬の夢かうつつかわからずに、生の方向へ生の方向へといざりながらみる死者たちの列と屍の山、自決しようとするものを押しとどめようと力説する加多瀬の言葉が実に重いのである。

ミステリの本筋である毒殺の犯人は加多瀬によって暴きだされるのであるが、軍の秘密を守ろうとする海軍上層部の軍人の手によって、薬物で記憶を消され、玉砕の地へ送り込まれてしまうのである。しかし、彼は玉砕したのか、生き残ったのかは描かれていない。ミステリーは解かれたのか?闇から闇へと葬られたのだが、戦局に翻弄され、オカルトに引きずられそうになったり、闇の商人と婚約しながら、裏切られる加多瀬の妹範子がどうやら最後の最後に真に幸福な結婚に至る結末は、重い本書を読み終えた時に、なぜかホッとしたのである。

戦後生まれの奥泉が、戦時の関係者の記録を読みこんで、それらの記録の底にあるまがまがしい真実をミステリーとして描いたことで、ノンフィクション以上に軍隊の実態に迫れた点で傑作と言えるであろう。

魔女:加藤恵子