魔女の本領
単なるユートピアではなく…

遊動論

『遊動論 柳田国男と山人』柄谷行人


国家に対峙する思想を求める。単なるユートピアではなく。

タイトルからしてかなり特異な感じであったが、非常に明快な本である。柄谷の本『世界史の構造』『哲学の起源』を読み切れなかった私としては、柄谷の柳田?という感じで読み始めたが、これは柄谷の国家論のエッセンスと言っていいものである。遊動性ということが近代国家を越える精神になるとする提言は、新自由主義的脱国家論の対極にある。柄谷は交換と言うことをキーワードに世界史を論じているのであるが、この本においても遊動性をもつ民には二種類あり、いわゆる農業、牧畜、商業を行なう民の遊動性では国家の形成と、支配、征服の国家しか生み出さない。これに対して、焼畑農業以前の民、すなわち狩猟採集民の存在を想定し、彼らの非貯蓄性、真の遊動性、完全な平等性を推量する所に哲学の視点を置くというのが柄谷の宣言である。

ここで、柄谷が40年も前に書き、発表しなかった柳田論に回帰したというのである。柳田国男の初期に提示された山人とは何なのか?それは山の民とは異なる。山の民は農民の圧力を避けて山へ逃れた同じ農耕民のことであるのに対して、その山の民からも見ることができないとされた山人(やまびと)。妖怪として表現される存在のことである。柳田については一般的に初期の段階で山人、漂泊民、非差別民などを論じたが、後期にはそれから離れ、いわゆる「常民」と呼ぶものを対象としたと捉えられ、「一国民俗学」を唱えたとされてきたが、柄谷はこれを完全に否定し、柳田は山人を最後まで手放さなかったことと、「一国民俗学」についても、実は右旋回した論とは正反対の政治・社会の方の変化による評価が反映されたものであり、「一国民俗学」を柳田が唱えたのは、満洲国や大東亜共栄圏という軍国主義の領土拡大に対する明確なアンチテーゼとして主張されたもので、それゆえその当時には批判される存在であった。それが敗戦によって、一国に収斂した時に思い出されたが、やがて日本企業の海外進出や国際化の中で再び「一国民俗学」が批判されるようになったとしている。柄谷はあとがきで、柳田を思い起こすことになった契機を東日本大震災による多くの死者が出たことによることを書いているが、それは敗戦により多くの死者が出て、子孫が絶えること、先祖を祀ることが不可能になった霊をどう祀るかについて柳田が書いた『先祖の話』を思い起こしたからである。柳田は「国家は戦没者を晴れの祭場に祀ろうとするであろうが、そんなことでは死者の霊はうかばれない。靖国神社に祀られても、死者の霊は「先祖」になれないから」であるとした。死者は個々の霊として個別に祀られそれが集合して先祖の霊になるのであり、国家の霊になるわけではないと言うことである。その霊は小さい社に集合し、祭りの時を山を下りて共に食事をする存在なのだ。それが本来の日本的心性である。靖国神社に戦没者の霊はいない。

さて山人について柳田は椎葉村というところにみた経験から導いた見解である。『九州南部地方の民風』によると次のようである「・・・此の山村には、富の均分というが如き社会主義の理想が実現せられたのであります。『ユートピア』の実現で、一つの奇蹟であります。併し実際住民は必ずしも高き理想に促されて之を実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地に於ける我々の思想と異なって居るため、何等の面倒もなく、かかる分割方法が行なわるのであります」。ここには理想的な「協同自助」の実践がある。この村は稲作ではなく、焼畑や狩猟によって暮らす山村である。柳田は役人であった時、農村の荒廃に対する農政学者として試みたことは、実に農村の組合による自助であったところから、注目したのである。この村がつまり遊動的生活から成り立っているというのが柄谷の柳田へと結びつく点なのである。この山人は実在なのか?柳田は『遠野物語』で「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくは之をかたりて平地人を戦慄せしめよ」とかいたのは、妖怪譚ではなく、山村につたわる別の社会、別の生き方に驚けということである。現にあった、その痕跡を探れと言うアジテーションである。

柳田と折口の違い、南方熊楠との違いなどもきれいに整理されていて、分かりやすい。さらに、中国での講演記録「二種類の遊動性」が付論としてつけられていて、これも明快である。

やはり、心に響いたのは、震災を契機に真剣に物事を思考しようとする姿勢である。震災も原発事故もすでに忘れたかのように、経済の効率にのみひた走る政権とそれを支える経済界によって、我々日本は平等な、自助の社会からどんどん遠くなって行く。妖怪を探さなくてはならない。

魔女:加藤恵子