魔女の本領
負けてたまるかと…

ネルーダ事件

 

『ネルーダ事件』ロベルト・アンプエロ


白内障の手術に失敗して片目の生活を強いられることになった時に、意地で読んだのだ。そして、ピノチェットのクーデター後に亡くなったネルーダの葬儀に集まった民衆の最後の抵抗を読みながら、負けてたまるかと自分を鼓舞している。

『ネルーダ事件』ロベルト・アンプエロ著 宮崎真紀訳 を読む。

ミステリーで、探偵カジェタノ・シリーズというのがあり、その第6作目なのだそうだが。作者がチリ人であり、後書きを読むとパブロ・ネルーダのバルパライソの家の近所で成人したという。その著者がチリの国民的詩人ネルーダを前面に押し出した本作品は、世界国国で絶賛されたのだそうだ。ストーリーはミステリーとしてはあまり例がないかもしれないが探偵が実に何の役も果たさず、ただある人を探してメキシコ、キューバ、東ドイツ、ボリビアを動き回るのだが、その国が抱える政治的状況に翻弄されるということの繰り返しなのである。しかし、その政治状況が今では歴史的でもあるが、実にビビッドに描かれていてなかなかスリリングな政治的読物ともなっている。

カジェタノは亡命キューバ人なのだが、ひょんなことからネルーダに探偵になるように説得され、その手始めにある医者を探しだすように依頼される。ネルーダは何のためかは説明しなかったのだが、この医者がネルーダの癌の治療の最後の望みなのだとカジェタノは判断して引き受ける。そしてこの医者の奥さんとネルーダが愛人関係であったことが判明して来る。作品の多くの頁をさいて書かれているのは、実はネルーダの恋と不倫、たび重なる妻や子供までも棄てて、新しい恋に走る姿で、そのほとんどは事実である。これをチリの読者はどのような感慨をもって読んだのだろうと思った。ネルーダの人格に傷がつきかねない書き方になっている。ネルーダはアジェンデを支えた社会主義者でもあったが、3軒も豪邸を持ち、ブルジョワ的な生活をしている。その詳細な描写もフィクションとはいえ殆どノンフィクションといえる。さて探偵となりネルーダの依頼で医者を探し始め、各国を飛び回るカジェタノなのだが、どこへ行ってもネルーダが手配した人物が必ず待機していて、カジェタノはその人物によって探し出される事実をただネルーダに伝達するだけ。苦労も彼の独自の働きや冒険や暴力などは何もない。ネルーダの人脈が外交官として働いた時の物、社会主義者としての人脈、いずれも在り得るだろうと思えた。

さて、この医者が既に故人であるということが判明した時、ネルーダは更にその妻の行くへの探索の続行を求める。そしてカジェタノは初めてネルーダの本当の意図に気づくのである。それはネルーダが女性から女性へと渡り歩き、ある時は生まれた子供が水頭症であることが解った時にごみのように捨てて新しい女性に乗り換えるが、その女性は理知的で広い交友関係をもち、ネルーダを詩人として押し出すのだが30以上も年上で、ネルーダは利用するだけ利用して、再び若い女性へと乗り換える。結局ネルーダは子供がいないのである。ただこの医者の妻との不倫で、妻に娘がいたことを知り、自分の子供ではないかと考え、それを探し出すことが本当の意図であった。カジェタノが追っている医者の妻はなぜか各国で色々な名前で生きていて、どれが本当の姿かがなぞである、それがいずれも各国の政治の上層部に食い込んでいるのであるが、カジェタノが辿りつく前に姿を消している。こう言うところが謂わばロード・ムービー的で面白いところだ。カジェタノは東ドイツで決定的な実在の証拠を手に入れる。そしてその娘が女優として舞台に立っていることも解るが、接触することはできない。そして医者の妻だった女性はボリビアに移りそこでゲバラを捕らえ処刑した軍人の妻になっている。もちろんこれはフィクションであるが、ゲバラが捕らわれた裏話がなかなかキューバでは語られているのとは違い興味を引く。ボリビアでゲバラと闘い、死亡した女性兵士は実はゲバラの愛人でボリビア軍にゲバラの情報を流していたということや、捕らえた兵士たちはゲバラが大物すぎて処置に困り、上層部にお伺いを立てるが情報が上に届く前に軍独自の判断で処刑されたということ。これに絡んだのがフィクションとしてのネルーダの愛人だった医者の妻のボリビアでの夫だとう設定はなかなか物語としては興味がわいた。

ともかくカジェタノはネルーダの願望をつきとめる所まで到達する。医者の妻はボリビアからチリへと移っていてそこで接触することが出来るのである。しかしそのチリはアジェンデ政権とピノチェットの戦いの戦場と化している。右と左が激突している。政治状勢は予断を許さない。食糧にも困るアジェンデ政権末期の描写は作者の実体験であり、胸を打つ。カジェタノがネルーダに報告に行った時、アジェンデがネルーダの家にヘリコプターで降り立ち、二人が最後の抱擁をして分かれて行くシーンはもちろんフィクションではあるが、感動的だ。そして探し求めた医者の妻ベアトリスはカジェタノに混乱したチリで40年も前に別れた自分をネルーダはなぜ探すのかと問うのだが、カジェタノが執拗に娘はネルーダの子供ではないかを問うたのにたいして、娘の名前はティナといい、それはネルーダと自分が尊敬していたキューバ共産党の創始者のフリオ・アントニオ・メジャーのパートナーでイタリア人写真家の名前をとり、セカンドネームはトリニダードといい、それはネルーダの継母のものだとだけ伝える。この結論をもってネルーダに届けるためにカジェタノは走り出るが、その日、アジェンデはモネダ宮殿でピノチェットのクーデターと最後まで戦い、終に政権は崩壊したその日であった。ネルーダも軍の手で病院へ移され、それを探して歩くうちにカジェタノも軍に捕まってしまうが、誰かわからない手が背後にあり釈放された時、ネルーダは死亡していた。彼は自分の娘に知ることは無かった。軍部は彼の家を徹底的に破壊した。しかし、彼の葬儀の日、チリ民衆は道に溢れ、拍手と共に「同志パブロ・ネルーダ」「私たちと共に、いまもいつまでも」と叫んで、ピノチェットへの抵抗を示したのである。ネルーダの葬儀に多くの民衆が集まったことは事実である。イスラ・ネグラの坂を埋め尽くしている写真を見たことがある。そして、軍政が終わり、破壊されたネルーダの家は今は博物館となりネルーダが愛した船の模型や貝殻などが展示されている。これも事実だ。

本書は探偵の活躍を楽しむ小説ではない。ネルーダの生涯を追うことで歴史的な社会状況を描いた点で、なかなか面白い探偵小説となった。ネルーダをめぐる小説にはネルーダに郵便を届ける村の郵便夫を描いた「イル・ポスティーノ」という作品があった。とてもいい作品であった。映画も上出来であった。ネルーダはなかなかよいインスピレーションを与える存在のようだ。

魔女:加藤恵子