魔女の本領
あなたの作品は永遠です…

スピーチする

 

『ぼくはスピーチをするために来たのではありません』


シャイでお茶目だったガボ。とても上手なのに、本当に嫌いだったらしい人前で話す事。

マルケスが亡くなるのと前後して偶然出版された講演集『ぼくはスピーチをするために来たのではありません』ガルシア=マルケス 木村栄一訳を読む。

驚くべきことにマルケスは17歳から80歳までに僅かに22回しか講演をしていないのである。それも文学のための講演というよりは、いたしかたなく行なった会議のあいさつとかもちろんノーベル賞の受賞の際の物や、他の文学賞のあいさつなどでそれもごく短い。しかし、簡潔であるが、無駄がなく、ユーモアもあるなかなか読ませる文章になっている。

マルケスは裕福な家庭に育ったわけではなく、ボルヘスのように西洋的な文学の土壌を持つ以前に、あくまでもラテンアメリカ的な、カリブ海的な世界に深く根ざした精神から小説を書き、その世界を心から愛していたことが良く分かる。自分たちラテンアメリカはヨーロッパからは遅れているかもしれない、しかしラテンアメリカ独立の先駆者シモン・ボリーバルはアメリカやヨーロッパがラテンアメリカを自らの流儀で無理強いして矯正しようとしていることを批判して「われわれは自分たちの中世を創り出すので、そっとしておいてもらいたい」と言ったということを引用して、ラテンアメリカの独自なあり方の重要性を述べている。ラテンアメリカには極め付きの財産がある。それは「世界を動かせるほどのエネルギー、すなわちわれわれの民衆が持っている危険な記憶」だと述べている。この記憶というキーコンセプトはマルケスを語る時常に使われる「魔術的リアリズム」の本質に関わることになるだろう。エピソードとして、こんなことが書かれている。アメリカが月面着陸を放映した時、マルケスはシチリアでヨーロッパ人夫妻2組と子供連れのラテンアメリカ人の2組の夫婦で息をひそめてテレビ画面を見ていた。アナウンサーが「人類史上はじめて人類が月面に降り立ちました」と叫んだ歴史的瞬間に、ラテンアメリカの子供たちだけは別に感動した様子もなく、口々に「本当に初めてなの?」と尋ね、「ばかみたい!」と言って部屋から出て行ってしまったのだそうだ。すなわち、彼らにとっては宇宙征服もゆりかごの中で思い描いていたことであり、それは既に起こったことであったというのだ。魔術的リアリズムはマルケスの発明でも何でもなく、ラテンアメリカの民衆にとっては想像=リアルなのである。もちろん、マルケスの小説のバックボーンとなったこの魔術的なものは、すでに言い尽くされているように祖母のトランキリーナの存在が大きかったと言われている。彼女は祖先がケルト人の多いスペイン北部のガリシア地方出身で、ケルトの血を引いていた。ケルトの人達は今でも妖精を信じていて、特異なケルト文学が誕生している。そのケルト系で、それに加えて祖母が育ったコロンビア北東部地域は黒人が多く棲んでいて、その影響も強く、魔術が生きていた。そんな地で育った祖母からマルケスは現実と幻想が入り混じり、それらを区別することなく同じ平面に捕らえるという普通の感覚を育んだ。先日東京で行なわれたマルケス追悼集会でも、このマルケスの魔術=現実の精神が、彼を育てた祖母の周囲では事実であり、現在でもその地域では、同じ瞬間に複数のところに存在する人の話とか、空中を浮遊する人の実話が語られているということであった。『百年の孤独』の中で、印象的なシーンとして忘れられない、小町娘が空中に浮かんで消えてゆくのは事実らしいのだ。

マルケスのもう一つの側面について、すなわち政治的な面であるが、こちらの方も幼少期に預けられた祖父がコロンビアを二分して戦われた内戦期に進歩派の軍人として闘ったことからの影響が見て取れる。やはり『百年の孤独』の中で、ユナイテッド・フルーツの争議で数千人の死者を出し、その遺体を何台もの機関車の荷台で運び去られたという記述があるが、マルケスは、事実はたしかに死者も少ない、しかしラテンアメリカの現実を描くにはこう描くことが最も正確に伝える事なのだと言っている。事実とフィクションで何を伝えるのか、そこが大きな問題として提起されている。

『百年の孤独』が世に出る逸話もなかなか印象的だ。それまでは、ノンフィクションに近い作風であったものが、一気にあの誇大妄想的とも言える魔術的リアリズムに昇華された作品を書き上げるのに、マルケスは自信があったわけではないようだ。あるとき、民衆の前で、朗読したとき、人々が眼を丸くして聞き入り、自信を持ったと言っている。マルケスの作品の口承性という点での面白さをうかがわせる。

その他、マルケスがノーベル賞以後、核の脅威や軍拡競争の愚かしさに触れ、この膨大な費用を発展途上国の国、それも子供たちへ使うべきと言う主張をのべていたり、自然保護の重要性に言及しているのは注目される。マルケスは少ない講演の中で、ラテンアメリカの将来は先端技術や重工業で先進国と闘うのではなく、最も有効な手段は特異かつ豊饒な発想力を備えている新大陸人達の創造力であると主張している。「ラテンアメリカは存在する」その講演はこう題がふされている。

さようなら、ガボ。あなたの作品は永遠です。

魔女:加藤恵子