魔女の本領
辞書を作る人たちはとてもユニーク…

辞書

 

『〈辞書屋〉列伝 – 言葉に憑かれた人びと』


人と人をつなぐ言葉、それをうまく操れないから私の孤立はあるのかもしれない。とわいえ辞書を作る人たちはとてもユニークだった。

『〈辞書屋〉列伝 – 言葉に憑かれた人びと』田澤 耕 著 を読む。

著者は日本初のカタルーニャ語辞典を作った人なのであるが、その辞典を作る作業から辞書を編んだ人々への興味が生まれて、この著作になった。数年前三浦しおんの『舟を編む』という小説がヒットして映画化されてもいる。そこでも辞書に憑かれた人々の奇人変人ぶりが描かれていた。

この著作に取り上げられたのはマレー『オックスフォード英語辞典』(学魔の偏愛するOED)、ベン・イェフダー『ヘブライ語大辞典』、プンペウ・ファブラ『カタルーニャ語辞典』、アントニ・マリア・アルクーベー『カタルーニャ語・バレンシア語・バレアレス語辞典』、ウェブスター『アメリカ英語辞典』、モリネール『スペイン語用法辞典』、大槻文彦『言海』、ヘボン『和英語林集成』、照井亮次郎『西和辞典』、田澤 耕『カタルーニャ語辞典』である。もちろん辞書には多数の執筆者を集めて編纂された著名な辞書はあるし、権威となっていまも多くの人に使われている辞書はあるが、取り上げられた辞書がいずれも個人によって編纂されたという点で大変興味をそそられるのである。OEDについては、以前このほんばこやの欄に紹介した『博士と狂人』でその経緯は紹介したので、それを参考にしていただきたい。

ベン・イェフダーの『ヘブライ語大辞典』は、現代イスラエルの公用語であるヘブライ語を死から甦らせるのに大きな力を果たした辞書である。そもそもユダヤの民は世界に四散して各国の言語を使用していた。そのユダヤ人がパレスチナに帰還しユダヤ人国家を建設することを夢見た時(いわゆるシオニズムである)、その言語としてヘブライ語を統一言語としようとした。この思考は当時はほぼ夢であった。特にヘブライ語を神聖な神との儀典のための言語とする勢力から、ヘブライ語を日常言語にすることへの厳しい批判に晒された。また古代語であるから、現代のもろもろを示す言語がない。ベン・イェフダーは外来語を使用するのではなく、新しい単語を作ることさえした。こうした行為を批判する向きに対して、彼は「自分は「発掘人」のようなもので、言葉を彫りだして呈示する、人々がそれを気に入れば使うし、気に入らなければ放っておくだけだ」と言ったという。このイェフダーは高等教育を受けたわけではなく、世話になっていた叔父の家からも叩き出され、シナゴーグ(ユダヤ教の教会)に拾われた。そこで学び、後パリにでた。そこでユダヤ人国家建設計画にであい、彼はまずもって言語の必要に至った。当時彼は肺病で生き急いでいて、故郷リトアニアに残していた恋人に、自分の余生はヘブライ語の復活に捧げると書いた手紙に恋人が感動し、彼を追ってきて結婚した。この夫婦、全く尋常ではない。生まれた子供をヘブライ語で育て、学校へもやらず純粋培養したのである。ある時母親が故郷を懐かしんで子供の前でロシア民謡を口ずさんだのを聞きつけた夫は妻を張り倒した。するとそれを見た息子が母を庇い父に向かって「パパ、ママをいじめちゃだめだよ。ダメ、ダメ」と初めてヘブライ語で話したのだという。ヘブライ語母語第一号が生まれた瞬間である。その後辞書の編纂は2番目の妻の経済的、プロデューサー的働きの強力な支援を得て、25年の歳月を費やして完成した。彼が死んだ時、まだイスラエル国家は成立していなかったが、パレスチナ全土が3日間の喪に服した。墓碑銘「信仰厚き狂信者」。

プンペウ・ファブラ『カタルーニャ語辞典』、アントニ・マリア・アルクーベー『カタルーニャ語・バレンシア語・バレアレス語辞典』。この二つのカタルーニャ辞典の問題は編纂者の個人的な面白さというよりは言語の何を重視して辞典を編むかの対立として興味深い。過去の遺産の網羅的目録か、未来のための規範を作る辞書かという二つの流れである。プンペウ・ファブラもアントニ・マリア・アルクーベーもいずれも貧しい生まれで、後者は修道院で学び、頭角を現した。前者は13人兄弟で、こちらも貧しく育ったが、言語に対する感覚は鋭く、バルセロナの水夫の言葉を好んだという。日本の明治維新と同じ頃、カタルーニャ語は教育の場から追放されて久しかった。両者は異なった契機でカタルーニャ語の復権を目指すことになる。ファブラは正書法を確立することを目指した。一方アルクーベは正書法にこだわらずマジョルカ島各地をまわって民話を集め、土地の人びとと話を志、彼らが使う言語を在るべきカタルーニャ語と考えた。ファブラの方はカタルーニャ学術院のお墨付きを得たのにたいして、アルクーベの方は支援を得られず、苦肉の策として、敵対関係にあるマドリードに赴き国王の補助金を得るという策に出た。これはカタルーニャ人の猛烈な批判を浴びた。両者のカタルーニャ語辞典はその後和解し、それぞれの特色の辞書の編纂がなされた。共和国の期間中、ファブラは教育のカタルーニャ語化に尽力し、現代カタルーニャ語の父としてのイメージが定着した。この事は内戦後ファブラの亡命を余儀なくされた。またアルクーベも既に亡くなり弟子が編纂を続けていたがフランコ独裁政権下で、皮肉にも王室との関係が有利に働き厳しい弾圧を免れた。フランコ独裁化でも営々と編纂は続けられた。二つの辞書は、ファブラのそれは正書法に則って書かれていたため現代に有効性を持った。アルクーベーの辞書はカタルーニャの古典や民俗学的な語や挿絵などがカタルーニャの豊かな文化を持続させることとなった。

大槻文彦『言海』。日本初の近代的辞書。結構最近まで『言海』は在った様な気がする。実家で父が持っていたのである。もちろん私自身が見ることは無かったけれど。大槻文彦は江戸時代、日本初の腑わけ(解剖)で名高い杉田玄白の弟子であった大槻玄沢の孫である。文彦は幕府の洋学調所に入り洋学者の道を歩むが、幕末戦乱期には主家仙台藩の密偵となったのだという。明治に入り列強の圧力を感じ始めた。彼の民族意識は言葉に向かった。彼は洋学の知識を下敷きに国語辞書の編纂に向かう。それまで国家としての国語辞書の編纂計画がいずれも失敗していたのは、旧弊な和漢の学者によっておこなわれていたためであった。そこで船頭多くして船山に上ることを避けるために大槻に白羽の矢が立った。かれは「ことばの探偵として」、3000の書物を読み、10年の歳月を要して草稿はできた。それは文部省に提出されたが、なんとそのまま塩漬けにされてしまった。そこで彼は自費出版することを申し出て「下賜」されたのである。この辞書の特徴は五十音順に配された点である。いろは順を主張した福沢諭吉は祝賀会には出なかったそうである。福沢諭吉という人物の何だか新しいのか古いのか、よく分からない所が笑える。

ウエブスター、彼の辞書の特徴は超保守なのだそうだ。ナショナリズムの象徴としての辞書とはなんだ。語源は聖書で言語はバベルの塔から始まる。彼は言語学的な真理を求めるのではなく、精神的真理を追究した。私たちはそのような辞書がアメリカ最高の辞書であることを知ってかかるべきなのであろう。

ヘボン、ヘボンといえばヘボン式のローマ字であるが、もっとびっくりしたのは、ヘボンとはヘップバーのことで、あのオードリー・ヘップバーンは一族なのだそうだ。びっくりだ。ヘボンは医者として来日した幕末に言葉の行き違いによるトラブルを避けるための必要性から日本語の習得に励み非常に微妙な言い回しなどに精通するまでに至った。彼は初めて横書きの辞書を編纂し、当時の洋学新興に大きな働きを成した。

照井亮次郎『西日辞典』。この辞書には涙なくしては読めない。1897年(明治30年)「榎本植民団」と呼ばれる移民がメキシコ、チアパスに渡った。榎本とは幕末最後まで戦った榎本武揚のことで、彼が旗振りをして送りだした移民団なのだが、政府の援助などは嘘八百で、出発時36名で、コーヒー農園の開発は不成功で移民はチリジリとなり、わずかに照井亮次郎ら6人になってしまった。照井は強烈なリーダーシップを発揮し、組合制を敷きともかく生き延びた。そこで学校も建て、教育にも務めた。さらに照井は悲願のスペイン語辞書の作成を思い立った。スペイン語が通じないことによる現地の人との摩擦による悲劇を眼にしてきたからであった。照井は日本から村井二郎を執筆者として呼び寄せた。この辞書は照井のプロジュース、村井の執筆で完成する。メキシコでは革命のために出版できず、原稿は日本に送られ、幸いにも関東大震災にも焼失を免れ1925年出版された。榎本の無責任移民計画はスペイン語辞書として結実した。

マリア・モリネール『スペインゴ用法辞典』。スペイン語学習者は大概もっている2冊分冊の大部の辞書であるが、これが一人の女性の作った辞書だとは知らなかった。マリアは優秀であったが貧しく、司書として働いた。内戦期共和派として活動したため、内戦終結後それを隠してスペインに留まった。1951年ごろ『現代英語学辞典』に衝撃を受け、スペイン語の用語辞典の作成に手をつけた。出版は困難を極めた。女性であること、元左翼であること、王立アカデミーの辞書と張り合おうとしているということに置いて。しかし、大成功であった。マリアの死後、この辞書の版権をめぐって争いがあったそうであるが、それは金銭的な問題からではなく、編纂方法をめぐってであったということは、なかなか興味深い。

最後は著者の『カタルーニャ辞典』の出版の経緯であり、これもまた、一つのお話ではあるが、本人の努力話は、たいして面白くはない。

というわけで、辞書に憑かれた人々は人生のほとんどを言葉の収集とその表記の仕方に心血を注いでいる。殆ど狂的だ。しかしその辞書によって生きるすべとしての言語が獲得され、あるいは心を表出出来、他者と繋がることが出来る。彼等彼女等の生命は言葉の海の中でゆったりと遊んでいるであろう。時々は電子辞書から離れなければ申し訳ないと思うのである。

魔女:加藤恵子