情熱の本箱
韓国の反日感情の正体が明らかに:情熱の本箱(53)

韓国反日感情

 

韓国の反日感情の正体が明らかに


情熱的読書人間・榎戸 誠

私ども夫婦は韓流ドラマが好きで、現代物も時代物も楽しんできた。特に、『チャングムの誓い』『イ・サン』『トンイ』は、よかったなあ。こういう私であるが、このところ頓に増えてきた韓国の反日感情丸出しの言動には眉を顰めている。

どうしてこういう状況が起こるのか。この疑問にびしっと答えてくれたのが、『韓国 反日感情の正体』(黒田勝弘著、角川oneテーマ21)である。韓国との付き合い40年、うち韓国での生活が30年という練達の新聞記者だからこそ、反日感情の正体を白日の下に曝すことができたのである。

著者は、韓国は「法治国家」ではなく、「情治国家」だという。「『法治』より『情治』なのだ。その『情』とは、事情であったり人情であったり感情、情緒であったりする。かなりの場面で情が優先する『情治社会』なのだ。だから一方では政治的にもなりうる。検察も裁判官も世論に実に敏感である。・・・たとえば元慰安婦をはじめ過去補償問題で個人補償要求が日本に対し繰り返し提起されているが、これなど韓国政府が『日本との条約で補償は韓国政府がまとめて受け取っているので韓国政府に要求してほしい』といえば済む話なのに、それをいわないのだ。国際関係で条約や法が通用せず守られないのでは、国と国の安定的関係は生まれない。これでは『あとは力』ということになりはしないか」。

「慰安婦問題は独島(竹島)問題と並んで今や韓国における最大の反日ネタである。したがって当事者である元慰安婦の老女たちは、今や最大の『反日シンボル』になっている。いや、より正確にいえば『反日シンボル』に仕立て上げられている。だから彼女らは日韓のあらゆる問題に登場する。たとえば歴史認識で対立する教科書問題はもちろん、日韓軍事協定締結問題や日本の防衛白書、外交青書への抗議といった政治外交問題から、さらには阪神・淡路大震災、東日本大震災にいたるまで彼女らは顔を出す」というのだ。

次に、著者は、韓国人の歴史観は「あった歴史」より「あるべき歴史」を前提にしていると指摘する。「たとえば『日本軍による奴隷狩り的な韓国女性連行』を『証言』した吉田清治著『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』がそうだ。済州島で自ら『慰安婦強制連行』をしたという内容だが、後に日本側の現地調査で地元は事実を否定し証言は確認されなかった。著者も『一部はフィクション』と語っている。支援団体をはじめ韓国側はこの真偽には口をつぐみ、誰も現地調査したといわない。日本側での虚偽説に韓国側から現地調査などによる検証結果や反論がないところを見ると、虚偽を認めたも同然だろう。日本では今や虚偽説が支配的だが、韓国や国際社会では依然、独り歩きしている」。因みに、本書は朝日新聞が誤報を認めた記事が出る前に執筆されている。

「韓国人のハン(恨)には『夢や希望、期待・・・など、本来そうありたい、そうあるべき、そういうはずだったと思ってきた自分の思いが、いろいろな事情でかなわなかったことから生じる、やるせない気持ち』といったような心情が込められているのだ」。

「韓国スポーツ・ナショナリズムはすごい。ナショナリズムとは民族主義的感情だからスポーツの世界を超えるのは当然としても、国民統合の役割まで負わされているのだ」。韓国選手や観客による常軌を逸したパフォーマンスや不祥事の根源はここにある。

鋭い指摘が続き、竹島問題の背景が剔抉される。「韓国の日本に対する鬱憤は過去の歴史にあることは間違いない。しかしその鬱憤は日本に支配(侵略?)されたことより、その支配を自力で打ち破ることができなかったことにある、というのが筆者のかねてからの見たてである。戦後の日韓関係の問題点はすべてここから発している。結果的に、日本の事情より韓国の事情に左右されてきたということである。韓国は竹島を舞台に日本と『擬似戦争』を展開しているのだ。この『戦いの気分』こそ竹島問題の核心である」。この説は説得力があるなあ。「韓国国民の熱狂的な関心の背景には『日本何するものぞ』の反日情熱がある。島をめぐって『ほとんど知らない日本とみんなが知っている韓国』では韓国が勝つのはあたり前だ。日本にとっては国家や民族、領土、愛国心などをバカにしたツケである」と、翻って、日本の姿勢に対しても辛辣だ。

さらに、著者は、韓国の反日姿勢はマスコミ主導だと喝破している。「韓国マスコミの日ごろの反日報道はよく知られる。いや、韓国の反日はむしろマスコミ主導といっていい。それは昔からの傾向だが近年はそれがより目立つ。マスコミが突出しているといっていいかもしれない。一般国民や一般社会の反日後退に抵抗するように、意地になって日本批判――反日に熱を上げているように見える」。

なぜ、韓国は反日姿勢を続けているのか。「(反日の)政治的効用は間違いなく残っている。反日は韓国政治が一体化できる唯一のテーマである。与党・野党、左派・右派、保守・革新(韓国では進歩といっている)、嶺南・湖南(伝統的な地域対立)・・・反日においてだけはみんな一致できるからだ」。

長らく、日本は韓国にとって近代化のお手本であったが、ここにきて、国力に自信をつけた韓国の心情に変化が起きているという。「何か問題が起きると必ず『日本はどうだったか?』と日本を例に自らを叱り、お手本にしろと言ってきた」。ところが、最近は「ウリジナル幻想」という現象が目につく。「韓国の過度の民族的自尊心は近年、奇妙な方向に広がっている。いわゆる『ウリジナル主義』がそれだ。『ウリジナル』とは日本での造語である。韓国語の『われわれ』を意味する『ウリ』からきたもので、これに英語の『オリジナル(独創的)』をくっつけ、何でも韓国が起源だとする韓国の風潮を皮肉った言葉だ。以前は主に日本文化について韓国ルーツが強調された。それが最近、中国にまで拡大している。中国からもたらされたのではなく、韓国独自の文化という発想だ。したがって中国とも『文化摩擦』になっている。・・・韓国ウリジナル主義が最近、さらに対中国にまで広がっているとなると、(日本や中国、西欧に対する)コンプレックスを通り越して韓国中心主義というかある種の膨張主義を感じさせる」。

巻末に、重要な指摘が控えている。韓国の反日と中国の反日は異なるというのだ。「中国は国家体制の違いから国民に政治的自由が無いため、その反日は背後で政府の意思が働いている場合が多い。韓国では逆に政府の意図は関係なく、その意味で統制はきかない。・・・したがって中国の反日は政府に利用されるが、韓国では政府が反日に影響され政策が左右されるという図式である。そして韓国と中国での対日観の最も大きな違いは、韓国人には日本に対する日常的にきわめて近い感じ、つまり親近感を含めた『接近感』があるのに対し、中国人にはそれがない」という。「近年の韓国では政治・外交、メディア、識者の反日と、必ずしもそうではない一般大衆の対日観(感)の間に乖離現象が目立つ。ところが中国については、(韓国の)一般大衆はきわめて冷めているが政治・外交、メディア、識者たちは中国傾斜になっている。これもある種の乖離現象である。その意味では韓国人の対日本観も対中国観も一般大衆次元ではきわめてまともである。ところがそれに対し教育、啓蒙、善導、扇動・・・のメディアが余計かつ過剰意識で不必要な(?)知恵をつけ、それに政治・外交が便乗するという図式になっているのだ」。

それでは、今後、日本はどうすればいいのか。「韓国では1965年の日韓国交正常化以降の新たな日韓協力時代の歴史について何も正確に知らされていない」。「もしその日韓協力の実態が正しく韓国社会で記録され紹介されておれば、韓国人の対日感情はもっと緩和されていたかもしれないし、日韓関係も変わっていたかもしれない、実に残念だ」。今からでも遅くない。韓国政府やマスコミによる「日本隠し」を粉砕するために、「請求権資金つまり日本からの支援、協力が韓国のあらゆる分野の建設、発展に投入されたことが分かる。韓国を南北に貫く陸の大動脈になった京釜高速道路建設、韓国が世界に誇る製鉄所・浦項綜合製鉄(現・POSCO)建設、首都ソウルを洪水から守る韓国最大の昭陽江ダム建設をはじめ、その資金は韓国のインフラ(社会産業基盤)のほとんどすべてに使われている」ことを、全韓国人に向かって明らかにすべきと、私は考えている。韓国政府が「過去補償」として、個人補償を排して政府が日本からまとめて受け取った請求権資金5億ドルの使い道を、韓国政府は国民に知らせていないからである。「韓国社会には今なお『日本は韓国のためにいいことは何もしていない』『何も償ってはいない』という虚偽が流布され、政治家やメディアや知識人はそう言い続けている」。

本書によって、外部からは容易にいしれない反日の内情を知ってしまった以上、私たちは韓国の反日に過敏になることなく、冷静に対応しようではないか。