魔女の本領
時代そのものを表現するのは至難の業…

昭和の子ども

 

『昭和の子供だ君たちも』


世代論は自分が属する時間以外は、全く理解が出来ないと言う事が分かった。

『昭和の子供だ君たちも』坪内祐三著 を読む。

坪内祐三には『靖国』という名著がある。靖国神社の本来あるべき精神的な場である場所がなんと駐車場になっているということから書き起こして、靖国神社と言う神社のご都合主義が暴露されているのだが、坪内はこれを書いたことで右翼に襲撃され重傷を負っている。その他にも『慶応3年生まれ 7人の旋毛曲り』というユニークな本もあるので、結構関心を持っていた書き手であるのだが、本書で書かれた精神史としての世代論は、視点としては買う事が出来るのだが、やけに細かい世代の区切りが登場人物本人以外殆ど理解が困難になっていると言う点も無視できない。しかし、坪内はこう書いている。

「世代論を語ることはすなわち歴史を語ること、さらに細かく言えば歴史の目安を語って行くことだ(逆に言えば、かつて、ある時期までそのような目安が確かに存在したのだ)」

そして、重要な点はこの事である。すなわち「2011年の大震災いわゆる「3・11」に出会って多くの人が動揺し、その同様はまだおさまっていない」と。最近発表される小説、評論などで、この点に触れられている作品が多い。大震災とそれに続く福島原発事故によって、何らかの影響をうけ、心に深く刻み込んでいる人びとが多いと言うことである。しかし、そのことが現実の政治局面に全く現れてこないと言う点においても、文学や評論の力が落ちているのではないかと言う危惧をもつのはわたくしだけであろうか。

さて坪内の本を読んで、我ながら笑えたのは、私は坪内が『靖国』なんか書いていたので、年上だと思い込んでいたのだが、なんと10歳も年下であった。そんな思い込みについての失敗は坪内の本書にも出て来る。終戦による世代の隔絶は当然あり得ると言う事は想像に難くない。その終戦の時の一歳の差が壮絶であったことは、心が痛む。即ち、終戦末期に召集される年齢であったか、あるいは「予科練」に志願できる年齢であったか、予科練に出願し、戦場に出たか否か。それらがじつはほんの1歳刻みでの差だと言うのである。戦後生まれになにか大ざっぱなくくりしか見えなかったが、その差で、命が続いたか、戦後を生きたかの大きな分かれ目であったことを改めて、考えた。例として挙げられているのは、『仁義なき戦い 広島死闘篇』である。私が最も好きな作品であるが、その主人公山中正治は常に「予科練」の歌を口笛で吹いているのであるが、私にもそれが非常に印象的で、今でも耳に残るのである。山中は親分に裏切られ警察に包囲されて拳銃自殺する時も「予科練」の歌を小さく歌う。ところがこのエピソードを脚本を書いた笠原和夫の意図が監督の深作欣二には全く理解できなかったという。それが実は終戦時1歳の違いの両者の精神の違いだと坪内は書いている。笠原は志願して海軍特別訓練生として広島の大竹海兵団に入るという実経験があり、山中を、戦争に行き遅れた軍国少年の挽歌として描き、自分の精神性と重ねたかった。それに対して、深作は水戸中学の学生として勤労動員中に終戦となり、予科練への憧れなんか全く持ち合わせてはいない。深作が嬉々として描いたのは、山中と対立する戦後やくざの粗暴なだけでのし上がる大友勝利(千葉真一の怪演である)の姿の戦後の日本の姿だったようだ。しかし、そんな終戦時の若者の微妙な精神の揺れを1970年代の映画を見ていた私は、山中の死に遅れたという自責の念の「予科練」の口笛に感じ取っていたのはあながち間違いではなかったともいえる。

現時点で、殆どの人は「六全協」といっても何のことか分からないであろう。しかし、永い間、多分70年代後半まで、戦後の意識を探る上でこの「六全協」はターニングポイントだったのである。昭和26年(1951年)10月16日に開かれた日本共産党の第五回全国協議会(五全協)において「51年綱領」が採択され、中華人民共和国の建国に倣う闘いの方針つまり「人民戦線」方式、「農村を根拠地に武装闘争を発展させ、次第に年へと浸透させ、蜂起をはかる」という解放戦術が採択されたのである。この中心を担わされたのが「山村工作隊」と呼ばれた若者で、共産主義そのものを理解する層が学生であったから、「山村工作隊」は学生がほとんどだった。今考えれば、そんなバカなことと思えるが、当時の学生は真剣に捉えて、本気で農村に入って行ったのである。私は僅か10歳も上ではない、当時の東大の学生(当時東大始まって以来の秀才と言われていた西洋史の人物)に山村工作隊での話を聞いたことがある。笑えるほどみじめな失敗であったそうだ。その方針が昭和30年7月、「六全協」によって全面的にひっくり返された。これによって、日本共産党の暴力革命路線は全否定された。詳しい事情がしらされなかった党員達はショックを受けた。信じた共産党が完全に反対の方針を党員に押しつけたことである。それによるショックは大きかった。

さて、今は読まれることがあるのだろうか、坪内が挙げている青春の本の一冊。ちなみに青春の本三冊は高野悦子『二十歳の原点』、奥浩平『青春の墓標』、柴田翔『されど われらが日々―――』。その『されど われらが日々―――』は1964年に単行本として出版されていた。坪内はこの本は60年安保挫折の本だとばかり思い込んでいた。ところが読み直してみて驚いた。「六全協」の挫折ものであったということである。私の読んだ記憶があるが、全く同じく60年安保後の内容だと思い込んでいた。しかし、それは60年安保の挫折後に、その前の世代の「六全協」の挫折を描いたフィクションであった。このように、或る世代が書かれていても、実はその意味を自分の身に引きつけて読んでしまい、取り違えている事は多いような気がする。それほど時代そのものを表現するのは至難の業と言う事だろう。

本書には多くに著名な人物がある時代の刻印を背負って登場するのであるが、あんな人、こんな人が、同じ年齢でありながら真反対であったりする。しかし、登場する人物によって、その時代が浮かび上がると言うことも事実であり、とても興味をそそられた。そして、多分最も印象的な事は、1979年をひとつの境として、変わったという強力なメッセージである。まずコンピューター的なものが世の中に根を下ろしたこと。そして、世代論を区切るコンセプトが政治ではなく文化となったことだという。要するに若者たちの間で左翼思想が影響力を失い、文学も評論の文化の表層で表現される物が人気を得て行く時代となった。オタクという存在が大きく意味を持ち、そのオタクすらが生まれ年代によって何世代かに分類される。ここまで来ると、私にはほとんど理解不能になる。

この坪内の本を読みながら、今の時代、学生が政治に全く興味を示さないことに危険性を強く感じるのだが、先日、某所で1969年代、すなわち全共闘世代をひとまとめで軽蔑された経験をしたが、その中での一人一人は誠実で、真面目、責任感の強い者が多かったと言う思いがあるが、政治的に挫折したことは、成功してやがて腐敗して行く醜悪な大人よりはいいのではないかと思う反面、何もなさなかったことで非難される存在でもあることを感じた。

さて、本書で皆さんはどこに位置する世代なのか、スケールを得る上でも、なかなか面白い読物ではある。中には今や超有名な人物が、とんでもなくいい加減な人物であったことが書かれていたりする。