魔女の本領
チェスの天才児の懸命さ、子供に入れあげて我を忘れる父親の姿…

ボビーフィッシャー

 

『ボビー・フィッシャーを探して』


チェスの天才児の懸命さと、子供に入れあげて我を忘れる父親の姿が眼に浮かぶ。チェスって、楽しむだけではないらしい。

チェス、若島先生という最強ラインに惹かれて購入してしまった。表紙の写真がこれまた絶妙である。主人公の天才少年ジョッシュがめちゃくちゃ可愛いのだ。本書は映画にもなったそうだが、その原作でチェスのノンフィクションの名作なのだそうだ。私はチェスなんか全く知らないが、このタイトルにあるボビー・フィッシャーという名前には聞き覚えがある。1970年代(正確には1972年)、ソ連とアメリカのチェス対決でアメリカ側の代表としてソ連に勝利して、世界中で大騒ぎをしたのがこのボビー・フィッシャーであったのだ。しかし、この本はそのボビー・フィッシャーに関わる章は僅かに一章あるだけである。描かれているのは、著名な評論家である筆者の息子ジョッシュをめぐるチェスの周辺の姿、チェスに憑かれた人びとの日常、ソ連型チェスとアメリカ型チェスの社会環境、そして最も興味深いのは天才少年ジョッシュをチェスの最高峰に押しあげたいと願い、すべてを投げうってその環境を作ろうとして奮闘しながら、我を忘れる自分の姿に驚愕し、本当はジュッシュの全てをぶち壊しているのではないかと悩む父親としてのウェイツキンの姿である。

知らなかったのだが、ボビー・フィッシャーが出るまでチェスはアメリカでもそれほど興味を引くものではなかったようだ。永い伝統はあったにしても、国民的にトーナメントがなされ、全米選手権が開催されるような風土はなかったらしい。ボビー・フィッシャーも全くの独学だったという。彼はトリッキーな人物で、周囲には大迷惑な傲慢不遜の人物だったようだ。それが自力で這い上がり、金がついて来たことによりさらに強調され、周囲を混乱に巻き込んだようだ。1972年のソ連戦スパスキー戦が行われたレイキャビックに現れるかどうかも分からなかったようだ。いわば巌流島の宮本武蔵さながら場外戦であったのかもしれないと言われている。しかしチェスの棋風はこれとは真反対に優雅で美しく気品あふれるものであったそうで、チェス界の怪物ではあったが、盤上は司祭であり、徹底したモラリストで、派手な奇手は徹底的に嫌った。ソ連戦に勝利した後彼はメディアに追いかけられ、世界中の政治家や王侯君主らの催す祝宴に招かれた。彼を主賓に据えた大会が幾つも計画されたが、フィッシャーは次の防衛戦を拒否して、なんと消えてしまった。パサディナにあるワールド・チャーチ・オブ・ゴッドというカルト、キリスト教原理主義の教会に獲得賞金のほぼ全部を寄付して世捨て人となった。その後については、後に述べるとして、このようにフィッシャーが消えてしまったアメリカで主人公であるジョッシュたち少年のチェスの世界は展開されていたのである。

父親であるウェイツキンは息子にチェスを強要して始めたのではなく、ジョッシュみずからが父親が既に興味を失って棚に載せてあったチェスを探し出して遊び始めた。息子は父親をすぐに負かす程になり、やがて公園にたむろするいわゆる金をかけて商売にしている真剣師を相手にする様になる。このワシントン公園のチェスで食いつないでいる人物たちの描写がうまい。チェスの腕は凄腕なのだが、チェスが職業として成り立たない世界で生きている半分浮浪者達の姿がとても切ない。彼らはジョッシュがどんどんン上達し、小学生で全米選手権を争う頃には、彼の応援に夢中になるのだ。息子にチェスの才能があると確信したウェイツキンは有名なチェスの先生を付ける。このコーチ役がまたユニークでジョッシュのためなら全てをなげうちながら、肝心の時には多忙を理由に逃げだし、父親のウェイツキンを憤激させたりする。

とても興味を惹かれた一章はジョッシュを連れてモスクワで行われた1984年の世界チャンピオン戦、カルポフ対カスポロフを見に出かけた記録である。そのころジョッシュはチェスへの興味を失っていて、父親も彼の実力に疑問を持ちだしたりしている微妙な時期で、ロシアの子供と対局する計画を漠然ともって出発した。この章で驚くべきというか、当然だと言うべきか、ソ連時代の社会の内幕である。当時ソヴィエトのチェスチャンピオンであるボリス・グルコに接触しようとするのであるが、全くできないのである。グレコとソヴィエトチェス女子チャンピオンの妻は自宅監禁されていて接触方法がないのである。のちにKGBに追跡されながらようやく接触して分かったことは、ユダヤ人であることによる迫害とイスラエル移住希望者であるが出国を禁じられていると言うことである。そのために当局の監視下にあるのだ。別の人物は妻がスウェーデン人であり出国して再入国が認められず、自身はもちろん出国できないばかりか送金すらできないという事実などが書かれていて、まさに収容所列島だったことが分かる。そのソ連のチェス事情は、スターリン時代以降共産主義体制の下で最高の才能が栄えると言うプロパガンダのために、チェスの国際大会での勝利が利用されていて、国家を挙げての体制が組まれていたのだそうだ。薬の利用や政治的圧力で勝敗が左右されることもありうるのである。

ソ連型チェスとアメリカ型チェスの比較を筆者は「チェスの美学を探ることは、少数の例外を除いて、その最も優れた実践者たちが悲劇的で貧しい生活を営んでいるような環境においては、いささか奇矯で場違いのように見えるものだ。アメリカ社会では、本気でチェスに取り組むプレーヤーは、つまらないことに知性を使っている奇人集団のように見られがちである。詩人や画家とは異なり、アメリカのチェスプレーヤーは自分が芸術を追求しているのだと自己弁護できない。我々の文化はただ端的に、チェスを芸術だとはみなしていないのである。ソ連では、プロ棋士がチェスに没頭しても金銭的な見返りがある。国際レベルの棋力を持ったプレーヤーは国家の金銭的支援を受けられるし、チェス指導院の収入もソ連では医者や技術者の収入より多い。チェス熱はまた社会的価値の反映でもある」と書いている。どうやら、チェスはロシアの文化的優位性のバロメーターなのである。しかし1972年にフィッシャーがスパスキーを破り、ロシア人がこれを永遠に自分たちの宝物だと信じるに至った世界チャンピオンの座をもぎとったとき、ソ連の国民は逆にアメリカに敗れたこの国では何かが腐っていて、どこかがおかしいのではないかと国中が怪しんだほどだったのだ。

ソヴィエト派のチェスが他の流派と異なっているのは、実験や体系的分析といった科学的方法を徹底的に使用している点だ。今では現役から退いているミハイル・ボトヴィニクをはじめとする、人工知能研究に興味を持つ人びとにとって、チェスは人工知性の本質に迫る科学的探求のために格好の素材を提供しているのである。そしてソヴィエトの政治家はチェスを政治的に利用しようとしている。彼らはトッププレーヤーからの支持を取り付け、その見返りに、プレーヤーは政治家から政治的あるいは物質的な利益を搾り取る。

このようなソ連派のチェスの世界を見て帰って来た親子は再び、アメリカのチェスの世界で戦い始める。ジョッシュの闘いに付き添いながら、その場に居合わせる同じような親子の姿を見て、わが身を振り返るのであるが、ただおろおろを部屋の外を歩き回り、覗き込み、時には対戦相手の親が一心に祈る姿にあきれ、負けた子供の親が口汚い言葉を吐くのを聞く。やはり心に掛るのは、ジョッシュの好敵手となる子供がなんと親が学校へもやらずキャンピングカーで寝泊まりし、子どもをチェス漬にしていたのを見るのである。さすがに、この親の姿勢には暗澹たる気分を感じた。ただこれで金を稼ぐわけではなく、子どもの才能に賭ける親の極端な姿なのだろうが、チェスの頂点が永遠に続くはずもなく、若くして開花した子供のその後はどう生きるのかが心配になる。

さて、ボビー・フィッシャーがどうなったかは気になる所である。かれは隠遁した後、極端な反ユダヤの思想を抱いてパンフレットを出したりしたそうだが、社会的にアメリカの表舞台に出て来ることはなかった。誰彼が、彼と会ったとか、話したとか、チェスを指していたとかいう噂は流れたが出現は確認されなかった。カルトのキリスト教会とも別れたようで、数人の律儀な友人が彼の生活を支えたが、本書が出た頃はその友人とも断絶していた。しかし若島先生のあとがきで驚いた。かれは世界中を転々とした後日本にいたのだそうだ。2004年フィッシャーは成田空港からフィリピンへ出国しようとして身柄を拘束されたが、世界チャンピオンになったゆかりの地アイスランド政府は彼に市民権を与える法案を成立され、2005年アイスランドに出国し、2008年1月17日死亡した。64歳。しかし、これで終わらなかった、フィリピン女性から娘の親だと言う主張がなされ、なんと墓が掘り起こされDNA鑑定がなされたが親子関係は否定された。そして驚くべきことに婚姻関係を主張していた日本チェス協会会長代行渡井美代子が遺産を相続したのだそうだ。

そして主人公のジョッシュは全米選手権で勝利する。そしてインタビューにこう答えた。記者が将来の目標を訪ねたら「いつか、ニューヨーク・メッツで二塁を守りたい」

これも訳者あとがきによると、ジョッシュは映画で有名になった後チェスが重荷になり、息抜きのために始めた太極拳にのめり込み2004年には太極拳の一部門である推手と呼ばれる格闘技の世界チャンピオンになり、ブラジリアン柔術の黒帯だそうである。またチェスの学習の際に身につけた才能の引き出し方が他の分野にも応用できることに興味を持ち、他分野にまたがる体験を生かして2007年に学習の秘訣を説いた本を出している層である。また、学校へも行かせてもらえなかった天才少年、ジェフ・サ―ワ―君は父親の教育方針は児童虐待に当たるとして保護されたが、父親、妹とともに行方をくらましたが、偽名をつかってヨーロッパに逃れ、自活の道として不動産業を選びポーランドで成功、およそ20年ぶりにチェスの大会に出場し、3位となり表舞台に返って来たという。良かったな―。

最後に最も驚いたこと。若島先生はチェスの日本で最高級の指し手だとばかり思っていたら、それは違うのだそうだ。詰将棋やチェス・プロブレム作家として著名で、国際チェス連盟が認定する「プロブレム解答国際マスター」の称号を日本人で初めて獲得したのだそうで、強いのはやっぱり羽生善治さんのようだ。

魔女:加藤恵子