情熱の本箱
人生とは何か、愛とは何か、死とは何か:情熱の本箱(71)

翼

 

人生とは何か、愛とは何か、死とは何か


情熱的読書人間・榎戸 誠

白石一文の小説を手にしたのは初めてだ。正直なところ、『翼』(白石一文著、鉄筆文庫)を半分まで読み進めた段階では、「何だ、軽い感じのエンタテインメントじゃないか」と少々がっかりしていた。

ところが、何ということだろう。後半に足を踏み入れた途端、緊迫した空気に包まれてしまったのだ。しかも、その緊迫感が半端ではないのだ。人生とは何か、人を好きになるとはどういうことか、愛とは何か、死とは何か――を、真正面から愚直に問いかけてきているではないか。

一流企業の新任の営業課長代理としてバリバリ仕事をこなしている「私」が心の底から尊敬している上司・城山信吾が、突然、会社を去る3カ月前、「私」に語った言葉。「たとえ自分自身が死んでも、自分のことを記憶している人間がいる限り完全に死んだことにならないんなら、逆に、自分が生きていても、その自分のことを知っている人間が死んでしまえば、自分の一部が死んだことになる。そういうことだろ」。

弟・伸也の別れた妻・朝子から「私」に、何の前触れもなく送られてきた手紙。「私はもうすぐ伸也さんの子供を産みます。この子こそが私と伸也さんとが一度は結ばれ、そして別れなくてはならなかった運命の証なのです。私はこの子を宿してみて意外なことに気づきました。女は愛する人の子供を産むことで、その愛する人から遠ざかることができるのだと」。

「私」の無二の親友・聖子と結婚間近だというのに、当時21歳の女子大学生であった「私」に唐突にプロポーズしてきた27歳の内科医・長谷川岳志と10年ぶりに再会した場での、岳志の言葉。「それはね、たった一人の人間と一生を共に暮らし、その人のことを生涯愛しつづけるってことだ。他の欲望は全部どこかへ捨て去って、ただそのために自らの人生を捧げるってことだ」。「二人きりで仲良く暮らすだけならきっと誰にでもできるだろう。その代わり、ちゃんとした相手を見つけなくちゃいけないけどね。でもそれだって、別にお金もかからないし、特別な能力も必要じゃない。真剣に求めていればきっと見つかるだろうからね」。

会社最大の実力者・城山が突然、退職していったのはなぜか。再婚した朝子が、離婚した前夫の子を身籠もり産もうとしているのはなぜか。岳志が、妻の聖子に別れてほしいと頼み、これからの人生は「私」と一緒に過ごしたいと願ったのはなぜか。これらの謎が徐々に解けていく過程で、人生、愛、死に関する命題、換言すれば「死と記憶との関係」が次第にその姿を現してくる。「私はむかしから死とは『記憶の消滅』だと考えてきた。自らの記憶の消滅、そして私を知るすべての人の記憶の消滅。その二つによって、私という人間は、この世界に生まれたという事実をもひっくるめて完全に消滅するのだと信じてきた。要するに私たち人間は、一人の例外もなく『完全なる無』にしか過ぎないのだと。にもかかわらず、私たちはその虚無に抗いたくて、無駄な抵抗と知りつつ愚かな繁殖行為をつづけているだけなのだと。私自身が私を忘れ、私が関わった人々も例外なく彼ら自身を忘れてしまう。これほどまでに無残な現実があるだろうか? 人はたった一人で生まれ、たった一人で死ぬだけでなく、未来永劫にわたって孤独でありつづけるのだ。そして、孤独こそがまさしく無の正体に違いない。しかし、幾らそのように納得しようとしても、常に何か飲み込めないものが残る。それは一体何であるのか。私がこだわってきたのはその一点だった。どんなに愛し合った相手であってもいずれは別れてしまう。死がそれを約束してしまっている。だとすれば、愛に貫徹はなく、愛に成就はない。所詮、愛などというものはあえなく儚い幻に過ぎない――どんなにそう諦めようとしても、何かがひっかかる。その何かとは何なのか」。

「長谷川岳志が語った言葉は、だからこそ私の心を深く貫いたのだった。彼は言外に言っていた。愛し合うことがすべてなのだと。どんなに愛し合った相手ともやがて別れてしまう。しかし、別れるからこそ二人の愛は輝くのだと。二人の死が二人の愛を永遠の記憶にするのだと。そして、私たちの愛はその後につづく無限の人々の記憶となり、愛を支えつづけていくのだと。それこそが私たちがこの世界に生まれた唯一の根拠なのだと。彼は言っていた。私たちは、私たち自身が愛の物語であり、永遠の記憶なのだと」。

一見、軽い物語に見せかけながら、実はずしりと重い内容を潜めた書だということを、私たちは読み終わった時点で思い知らされることになる。この著者が手練れの書き手だということも同時に。