魔女の本領
弾はまだ残っとるがよ…

現代思想菅原文太

『現代思想 2015年4月臨時増刊号 総特集◎菅原文太 -反骨の肖像-』


魔女が多忙なのはヴァルプルギスの夜だけのはずが、下層魔女たる私は毎日が飛びまわる日々で、まずいなーと思いながら、こんな本を読む。

『現代思想 2015年4月臨時増刊号 総特集◎菅原文太 -反骨の肖像-』を読む。

大体『現代思想』って結構買うのだが初めから終わりまで読むと言う事は殆どない。拾い読みがほとんどなのであるが、珍しく完全に読んだ。筆者が魅力的と言うわけではなく、つまりは菅原文太の時代でもあった1973年の前後数年が私にとっても忘れられない政治の時期に重なるからである。

菅原文太は高倉建が文化勲章を得た一方で、死の直前に病を押して沖縄市知事選において反政府の翁長雄志陣営の応援に入り今に残る名演説を残したとい点で身の処し方の対照性が際立つのである。ご存知と思うが、この演説において菅原文太は重要な指摘を残した。ひとつは「沖縄の風土も本土の風土も、海も山も、空気も風も、すべて国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです」と言う指摘、もう一つは「政治の役割は二つあります。ひとつは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと」。そして最後に述べた台詞。「弾はまだ残っとるがよ。一発残っとるがよ」というのである。最後の台詞の意味は、「仁義なき戦い」を観ている人には当然どんな場でどんな意味が込められていたのか完全に理解できるのである。沖縄の会場はどよめいたそうであるから、おおくの沖縄の人々にはメッセージはとどいた。その前の二つのメッセージもとても当たり前で、とりたてて凝った話ではないが、今と言う政治情勢の中で発せられた点は大きい。風土はそこに住む者のものであるという指摘は、あるいは例えば古代からある自然は政治権力のものではない。無所有という概念の根本である。公と言うものが、今では政治権力のことを意味するが、本来は政治権力が及ばない神の領域をいった。いわゆるアジールである。近代思想の中から私的所有が土地の所有の基本として考えられるように変質したとき、この民衆の精神の基底に触れる言葉が述べられた点で、実に大きいと思う。さらには、政治の役目として餓えさせないことと戦争をしないことを強調したことは何にもまして今現在言葉の重さが計られていると感じるのだ。

菅原文太の映画についての分析はこれは彼の前段にあった任侠映画との対比に置いてとても興味深いだろう。高倉建や鶴田浩二がになった映画の身体性と菅原文太に体現された映画は全く違うものであると言う指摘が随所に書かれている。高倉建は任侠映画から身を引いていわばかたぎの主人公(もっといえば、同情をよべる者)へと転身が可能であったが、菅原文太の場合は、暴力性をはぎとって転身を図る道を選ばなかったという点で、俳優としては特異な存在であった。つまり器用でうまいという身振りを自ら封印して後半生を生きた点でその人間性に深く共鳴できるのである。菅原文太の代表作としての『仁義なき戦い』5部作、その後の『トラック野郎』の喜劇的人間像の造形には断絶を感じていたが、どうもそうではないようである。映画評論家の見方が映画を見る大衆のそれと同じとは言えないが、書かれたものを見ると改めて、そうだったかもしれないと思い出したことが多かった。それは『仁義なき戦い』の前の『人切り与太』とか『まむしの兄弟』とかのめちゃくちゃの暴力性に較べて実は『仁義なき戦い』の菅原文太の暴力性はむしろ周囲の脇役たちの方へ移動していて、文太はその調整に苦慮し、手下を死なせてしまうという役回りに移っていたと言うのは、今回改めて思い出した。確かに、千葉真一の演じる仁義もくそもない新興ヤクザというより暴力団、その又周囲にいるチンピラを演じていたピラニア軍団といわれた川谷卓三らの群像のすさまじい破壊性を思い起こす。その時に『仁義なき戦い』の最後のシーンがあの「弾は残っとるがよ」という台詞なのであるが、金に汚たなくて、文太の組みの若い者(松方弘樹が演じていた)がこの親分に裏切られて、子供のおもちゃを買いにおもちゃ屋に入りそこで射殺される印象的なシーンがあるのだが、その葬式の場で、葬儀の祭壇を拳銃でぶち壊し、文太が山守の親分に言う台詞なのである。しかしその一発は撃たれないのである。どうなのだろうか、撃たないことで丸く収まるはずはなく、むしろ激しい怒りを残したこの台詞は見る者を慄然とさせた。そして、今、沖縄で自民党政権による理不尽な暴力に素手で立ち向かう沖縄の民衆にむかって放たれた長い時間を経たこの台詞によって、文太が持続した志を見事に次世代につなげたと言う点で、後世に残る台詞となった。

今回、各人の批評、エッセーを読みながら、各種の映画の中で語られた台詞の幾つもを鮮明に覚えていることに我ながらあきれたが、印象的な点は『仁義なき戦い』のトップシーンが原爆投下の広島であったという指摘と、映画のポスターが非常に強烈であったと言う点、さらにクレジットの文字が今でも思い出すほどに特徴的で、躍動感にあふれていた点。終戦、焼け跡闇市を描いて、いまだ違和感のないぎりぎりの時代性でつくられた映画であったと言う点である。あれから40年たち、戦争を容認する政治家が蛆虫のように湧き出て来る今、終戦を知る菅原文太が映画以外で発信したメッセージが実録映画の台詞に被ることの切実な感情を禁じ得ない。

菅原文太は非常な努力家であったし、理想を追求してもいた。また文学的に鋭い視点も持っていたと言う事を今回初めて知らされた。「家畜人ヤプー」の映画化に手をつけていたということ、また井上ひさしの『吉里吉里人』の映画化も計画していたということである。また、仏教にも関心が深く、それも主流よりは脇にあるような人物、たとえば凝然の「八宗綱領」を探していたとか、最澄との論議をしたという徳一という会津では有名な高僧の文献を探していたというエピソードを神保町の東京堂書店の元店長が書いている。文太は東北の故郷に膨大な本を東京堂を通して購入し寄付しているのだそうである。そしてこれも知らなかったが、アフガニスタンで活動する医師の中村哲医師の「アフガンに命の水を」というDVDのナレーションをしていたということも知った。亡くなってのちこのような形で評価される映画俳優は稀有であろう。彼はスクリーンの上で輝いていた以上に普通の人として、見事に生ききったことを若かりし日に入れ込んだファンとしては拍手で天国へ送りたいと思う。

追記:最後にフィルモグラフィーがあるのだが、我ながらあれもこれもよく見ていたのには呆れた。

魔女:加藤恵子