魔女の本領
回想の網野善彦…

 

 

『回想の網野善彦』


きな臭い政治情勢の中、連日あれこれの抗議行動に出歩いていると、本当に落ちついて本が読めない。苦肉の策で電車の中で読書することとなる。こんなの読みながら、またまた政治を思うのである。

『回想の網野善彦』岩波書店編集部編

岩波も少々、えげつない商売をするものだが、この本は実は『網野善彦著作集』の月報を集めただけのものなのである。61人の著者が網野との関係を短く書いているのを集めたものである。著作集が生前に出ていれば、たとえ短い文章と言っても議論となるようなものが書かれると思うのだが、亡くなられた後に出された著作集の月報となると、ほとんどが網野氏と、自らが如何に親しかったか、網野氏にどれだけ恩義を蒙っていたかというふうになりがちである。しかしそれは人間の情として当然で、非難されるべき筋のものではない。読んでいても、何度かお目に掛った網野先生の風貌と衝撃的な書籍の裏側でどれほどの努力を重ねられたか、周囲の人々をどれだけ豊かに導かれたかがわかり、死して後、棺のふたを覆ってさらに敬愛されている網野先生の幸せに心が洗われるのである。

当然のことながら、多くは網野氏がけん引した70年代、80年代の目を奪った新しい日本史像について、彼に先立つ先輩も同僚も、同志的な学者たちも、『蒙古襲来』や『無縁・苦界・楽』の出現に驚愕した様が述べられている。しかし、本書で最も衝撃を受けたのは、網野氏がほとんど語らなかった戦後の東大の学生時代と卒業後所属した「日本常民文化研究所」の時期に所謂共産党の秘密党員ではなかったのかと言う点であった。そもそも歴史学がマルクス主義歴史学であった当時、戦後の歴史学界は「歴史学研究」という突出した学界誌がそれを牽引していたのであるが、網野はその中心部にいたらしい。そして共産党は当時山村工作隊というオルグ集団をそれこそ山村に送り込んでいた。これは共産党の革命路線の論理で、遅れた山村に革命拠点を作ると言う名目で、若者を送り込んでいたのである。

私は実は全く同じ時期に東大から山村工作隊に出た西洋史の学者と知り合いなのだが、現実は理論先行で全く農村の実情も知らないまま、ほとんど農民に救助されるような有様であったということを聞いている。網野氏は東大に入学時から優秀で、入学当時ドイツ語に堪能でドイツ語の履修を免除された中に入っていて、生松敬三と並んでいたということであるし、23歳にしてその論文が「日本史講座」の巻頭論文として学者デビューを飾っていた。それゆえ、直接共産党の行動に駆り出されることがなく、特殊に学者の卵として温存されていたのではないかと言う疑惑について、終生語られなかった網野氏の苦悩の源泉がどうもここにあったのではないかという何人かの指摘に、深く感じるところがあった。それは、網野氏が初期の論文を自ら非常に嫌い、それを自らの出発点とは決してしなかったということは、単にそれが当時は当然であったマルクス主義的歴史学に沿ったものであるからというよりはもっと深く、人民の歴史学といいながら、自らは人民の側に身を置かないまま書いた優等生の論文に過剰な自責の念を持たれていたのではないかと言う指摘が何人かによって書かれているからである。

共産党はその後六全協によりそれまでの革命方針を転換するが、それにより多くの学生、知識人は共産党から離れることになる。網野氏は「日本常民文化研究所」で水産省の援助で漁村の調査に従事することで、視点の異なる歴史への目を育んで行かれたようであるが、「日本常民研究所」(月島にあったのだそうだ)の運営がうまくいかなくなり東京都立高校の教師に移り、その後名古屋大学へ移ったことはよく知られている。そして、助教授のまま、神奈川大学の短期大学に移った時は、なぜだろうかと言う奇異の念をもったものであるが、その理由を知り、網野氏の誠実さに驚きもしたのを思い出すが、それは「日本常民文化研究所」の再興のために、神奈川大学が引き受けることの交渉を徹底して行い、その責任を果たすために自ら籍を移されたということである。さらに、「日本常民文化研究所」が出版を計画しながら頓挫したために借用した膨大な古文書を、網野氏は生涯かけて持主に返還する旅を続けられたということである。その姿は共産党の秘密党員であったかもしれない氏が裏切られた共産党との確執からぬけでて新しい人民のための歴史学をつくり出すためには、学問のためと言う名で借用し、放置した古文書を持主へ返すと言う気の遠くなる旅を続けながら、考え続けることで、大きく展開された真の人民の歴史学をもたらすものとなったと言えるかもしれない。

網野氏の研究成果についての指摘は、実はこのなかの僅かに二名の外国の研究者の方がすぐれて的確である。彼らは網野氏が新しい日本という国の物語を編み直したと言う点を強調している。それは網野氏の歴史学が同じく期をおなじくして展開されたアナールとの類似である。フェルナン・ブローデル、ジャック・ル・ゴフ、カルロ・ギンズブルグ、ナタリー・ゼーモン・デーヴィスらと並んで評価されるべきだと言うことが指摘されている。このような視点は日本の著者の誰からも出てきていないと言う点で、日本の歴史家の視野の狭さをまた思うのである。

しかし、網野先生が亡くなられて以後、いったい、歴史学に新しい動きはあるのだろうか。特に天皇制の問題、あるいは差別の問題、未だに日本国家の基盤が農民であるという夢想。そもそも、歴史学者が書く書籍が社会を動かすという衝撃が全くない。今再び戦争の影が濃くなる時、歴史という学問の重要性は重要になってきているのではないであろうか。

魔女:加藤恵子