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ヒトとサルの差を生み出したのは、想像力と、他者との連携だ:情熱の本箱(81)

現実サル

ヒトとサルの差を生み出したのは、想像力と、他者との連携だ


情熱的読書人間・榎戸 誠

『現実を生きるサル 空想を語るヒト――人間と動物をへだてる、たった2つの違い』(トーマス・ズデンドルフ著、寺町朋子訳、白揚社)は、私が日頃重視している「想像力」に科学的な裏付けを与えてくれた。

なぜ、チンパンジーはヒトになれなかったのか。私たちヒトの心が持つ僅か2つの性質が全てをもたらしたというのだ。動物行動学と心理学を駆使し、膨大な実験結果から結論を導き出す過程はスリリングで、私たちの知的好奇心を刺激する。

「生存に有利な未来志向」とは何か。「心のなかでの時間旅行は、私たちの種に新たな可能性の領域を拓いた。私たちは、今後生き延びて子孫を残す可能性を劇的に高めるような計画を立てたり、決断をくだしたりすることができる。それに、今後の出来事を見通して、先々の好機を捉えたり、迫り来る災難を避けるための手を打ったりすることもできる。また、自分がしようとしている物事を実行する前に、その結果を想像することもでき、後先を考えていない他者には厳しい非難を浴びせる。私たちは、まったく新しい形で、過去から恩恵を得ることもできる。たとえば、心のなかで過去の出来事を再訪し、それらについてよく考えて新しい結論を引き出すことができる」。

「心のなかでの時間旅行は、準備の機会を大幅に増やしてくれる。将来のことは見通すことが難しいという見通しですら、一般的に起こりそうな事態への準備を促すという効果がある。・・・これが、昔から非常に重要な、まさに人間ならではの生存戦略であり、そのおかげで、かつては生存に適さなかった環境でも人類が繁栄してこられたことを疑う余地はほとんどあるまい」。

「日々おこなう多くの行動は、翌週末のバーベキューの計画から仕事上の長期的な目標の追求まで、先見性によって導かれる。・・・人間は、非常に多様な技能や知識、専門技術の追求を選択できる。そして、計画的な練習に取り組んだり勉強したりすることで、将来の自分を高める」。

「日々仕事に行くといった日常的な活動でさえ、複雑な目標や自分の将来を管理しようとする試みを反映している。そのような行動を推進するには、長期的な目標が目先の誘惑に対抗できなくてはならない。それで人間は、自分の衝動を制御する新しいやり方を学ばなくてはならなかった。たとえば、遊びたい、食べたい、セックスしたいといった欲求によって、私がこの段落を書き上げるのをやめることはない。なぜなら、少なくとも今しばらくは自分の仕事をして本書の執筆に専念するほうが、長期的な幸せを得るためには重要だと考えるからだ」。

「過去と未来を共有する」とは、どういうことか。「人間は物事をうまくやり遂げる可能性を、すばらしく効果的な手段によって大幅に高めてきた。その手段とは、計画や予測を他者と共有することだ。私たちは、心のなかで演じたことや考えたことを周囲の聞き手に伝えることができ、逆に彼らの考えを検討することもできる。スピーチを準備するときは、心のなかだけでなく友人の前でリハーサルをすると役に立つ。私たちは、他者の記憶や見通しから学んだり、自分の記憶や見通しに対する他者の意見に耳を傾けたりすることができる。もっと言えば、私たちには自分の考えを広め、他者の考えを把握したいという抜きがたい本能的欲求がある。そして、私たちには、言語を通じて自分たちの考えを交換するという非常に効果的な手段がある。言語は、こうした心のやり取りにこのうえなく適しており、人間の会話では確かに、過去の出来事(誰が誰に何をしたか、そして何が次に起こったか)や将来の出来事(何が誰に起こるか、そしてそれに対して私たちはどうするつもりなのか)にかんする話題が多い。経験や計画、助言を交換することによって、人間は正確な予測をする能力を著しく高めてきた」。私の場合も、プレゼンテーションやスピーチの予行演習は女房の前で行い、文章表現の気になる箇所は女房の意見を参考にしている。

「時間の概念、時計、そしてカレンダーは、私たちの状況判断や計画の助けとなるように開発された。それらのおかげで、私たちは自分の活動をかつてないほど高度なやり方で調整できる。私たちは複雑な共通の目標を追求し、専門技術に従って必要な仕事を細分する。私たちは計画について同意し、進捗状況を振り返り、必要に応じて柔軟に修正を加えることができる」。

「心のなかでの時間旅行は重要な人間の特性だ、と述べても差し支えあるまい。その特性がなければ、私たちは地球上をほとんど変えられなかっただろう。ましてや、地球に棲む生物の多くを支配できていないだろう」。

ここで、本書のテーマである「たった2つの違い」が明らかにされたわけである。しかし、この著者は、そう簡単には論を収めない。「動物もまた、時間旅行者か?」という設問に果敢に挑戦する。そして、著者が出した結論は、「ヒトに特に近縁の動物種には、限られているとはいえ、見通しの能力がいくらかあることをほのめかす研究がある。だが、彼らが非常に近視眼的であることを示唆する研究もあることを私たちは見てきた。動物が、手続き記憶や意味記憶の能力を人間といくらか共有しているのは明らかだ。しかし、動物がエピソード記憶を持つことを裏づける証拠はほとんどない。心的時間旅行が過去と将来の両方向で密接に結びついていることを考えれば、エピソード記憶があることを示す一番の証拠は、エピソード的見通しの能力がある兆しからもたらされるはずだ。しかし、動物がそうした能力を持っているという明らかなしるしは、表だっては見えない。・・・動物が、人間のように遠い将来の出来事にかんするシナリオを心のなかで柔軟に生み出したり、心に描くシナリオを互いに伝えて意見を得たり、行動を調整したりすることを示す確固とした証拠はない」というものである。

さらに、著者は研究を深めていく。「人間が想像力を劇的に向上させる一つの方法は、情報の塊をうまく作ることだ。私たちは心のなかでのシナリオ自体を情報の一つの塊として扱い、それをより複雑な一連の考えに埋め込むことができる。このようなやり方で、人間は限られた作業記憶の土台を用いて複数のシナリオについてよく考え、それぞれのシナリオの見込みや望ましさを検討できるのだ。私たちはそのようなシナリオを階層化し、高次(メタ)シナリオを構築することもできる」。

「情報を巧みにまとめたり埋め込みをしたりすることで、私たちは文脈を除外して考えることができる。すなわち、不要な個別の情報に邪魔されず、抽象的に考えられるのだ。こうした思考は、もはや特定の事柄と密接に結びついていないので、ある状況で学ぶことを別の状況に応用できる。・・・この能力は、人間の心というレシピで欠かせない素材なのだ。そのような文脈を除外した思考のおかげで、私たちは比喩を用い、見えない力を推論・演繹し、一般理論を構築し、論理的な一貫性を考察できる。それゆえ、経済や名詞や進化といった抽象概念を形作り、それらについて推論できるようになるのだ。このシステムは、人間にこのうえない柔軟性と可能性を与えてくれる。・・・そのような思考の起源は、さまざまなシナリオを生み出し、シナリオを標識に置き換え、それらを情報の塊として再帰的に扱う私たちの能力にある」。

「私たちは、心のなかで(まだ)現実ではないものについてのシナリオを構築できる。そして想像力を用いて、建築や芸術、ファッション、文学、科学、テクノロジーなどのさまざまな分野で、設計や技術革新をおこなう。世界中の工房や作業場では、機能的で美しい物が毎日無数に作り出されている」。

この場合、鍵となるのは再帰的思考である。「再帰は『過去のイメージや考え』をまとめる主要なメカニズムであり、それによって私たちは、言語、音楽、テクノロジー、芸術などの分野で、再結合を通じて斬新なものを生み出せる」。著者は、この「基本的な要素を再帰的に結合したり再結合したりする」ことを、「入れ子構造を持つシナリオの構築能力」と表現している。そして、ここでも、大型類人猿にもこの能力が備わっているかを検証している。結論はNoだ。すなわち、ヒトとサルとの差は、「入れ子構造を持つシナリオの構築能力」と「心を他者の心と結びつけたいという衝動」にあるというのだ。

アルベルト・アインシュタインが述べた「想像力は知識より重要だ」ということを、本書が再認識させてくれたのである。