情熱の本箱
ラオスの山奥の村に図書館を作ってしまった日本人女性の奮闘記:情熱の本箱(94)

ラオス

ラオスの山奥の村に図書館を作ってしまった日本人女性の奮闘記


情熱的読書人間・榎戸 誠

本を読む喜びを再認識させられる本に出会った。『ラオス 山の村に図書館ができた』(安井清子著、福音館書店)は、ラオスの山奥の村に図書館を作ってしまった日本人女性の奮闘記である。

東南アジアのラオスの山間の、少数民族モン族が住む小さなゲオバトゥ村に「子供が絵本に出会う場」を作り上げることを夢見た著者は、村で暮らしながら図書館の困難の多い建設に取り組み、完成後も長期に亘り定期的に図書館のサポートに注力している。

「ゲオバトゥ村には電気がない。ガスもない。水道もない。ラオスという国には南国のイメージがあるが、ゲオバトゥ村は標高が1300メートルほどで、けっこう寒くなる。もちろん、暖房もなければお湯の風呂もない。そんな村での滞在が、いよいよ始まる」。2005年11月末のことであった。

「シンサク(鈴木晋作)くんが、わざわざこのゲオバトゥ村くんだりまで来て村に暮らし、図書館建設に参加することになったのは、この建設を『箱モノ』援助に終わらせたくない、という私たちの強い思いに賛同してくれたからだ。きれいな建物をつくって、贈呈式をして感謝され、でも、その後実際には使われない、という援助の事例をよく見聞きする。・・・図書館はもともと彼らの生活の中にはないもので、本を読んだり見たりする文化もなかった。・・・いちばん大切なのは、『人』である。図書館の扉をちゃんと開いて、子どもたちが来たら迎え入れ、本を貸し出したり、お話をしてあげる人がいないとダメで、建物に本が入っているだけでは何にもならないのだ。・・・みんなのもの、そして、自分のものと思える図書館にするには、村の人たちと一緒につくっていくしかないのではないか? また建物をつくる過程で、『図書館ってこういうところだよ。みんなが今つくっている建物はこういう目的に使われるんだよ』ということを示しながらやっていくしかないのではないか? シンサクくんは建築担当、私は建築現場の横にゴザを敷いて、絵本を見せたりお話をしたりのゴザ文庫担当として、同時進行でやっていくことにしよう。そうすれば、建物をつくりながら、図書館の意味を伝えていけるのではないか」。この同時進行作戦に、著者の賢明さが表れている。

2ページに跨り掲載されているゲオバトゥ村全体の絵地図が興味深い。「2005年12月時点の76戸すべての家が描いてある。2014年9月現在の統計は、73戸、523人。そのうち子ども(14歳以下)は、209人(男:102人、女:107人)。みんなモン族である」。

「私たちは3月いっぱいで図書館の建築を終えて本を入れ、オープンしてから日本に帰るつもりだった。3、4ヵ月村に張りついてやれば作業も完了するだろうと考えていたのだ。4月からの半年間、私は東京外国語大学の非常勤講師を引き受けていたので、どうしても日本に帰らなくてはいけなかったし、シンサクくんも数ヵ月のつもりで引き受けてくれたのだ。それに、4月からは雨季に入り、村の人たちも畑や水田の作業で忙しくなる」。これは2006年1月末のことである。

「外の暗がりで待っていた小学校5年生の女の子たちは、『パヌン(著者のモンでの名前)、本を見せてよ。本貸してよ。借りて帰って家で読みたいの』と言う。まだ、図書館も本棚もないけれど、少し前から、(村の長老のサイガウ)爺さんの家の机の上に本を入れた箱を置いている。すると、いつのまにか何人かが、本を借りにやってくるようになった。常連の一人は若いお母さん、そしてこの女の子たち。学校でラオス語を勉強しているし、もう5年生だから読めるのだ。ラオス語の本は薄っぺらな絵本しかないけれど、彼女たちは、あれこれしばらくめくってみてから、一人2冊ずつ選ぶ。・・・きっと家の暗い灯りの中、自分がラオス語で読んでから、弟や妹に、モン語でお話をしてあげるのだろう。図書館ができるのはまだ先だけど、こうして本を借りに来る女の子たちが出てきたのが嬉しかった」。著者の思いは、徐々に形を取り始める。

3月、「私は、子どもを集めて絵本を見せてお話をするという活動を、少しでも始めたい。ずっと爺さんの家の軒下に子どもを集めるのは迷惑だろうし、かといって、村のあちこちでゴザを敷いて本を見せるのも、なかなか大変だ。そこで、村の人に頼んで、図書館建設現場の近くに、柱と屋根だけの日よけ小屋をつくってもらった。村の人は、竹や木を伐ってきて、あれよあれよという間に柱を建て、山から刈ってきた茅を編んで、屋根を葺いた。仮小屋ではあるが、活動の拠点ができた。届いた材木で、大工さんたちがさっそく作ってくれた本棚と子ども用の机も2つある。よし! 『子ども小屋』をオープンさせるぞ!」。

数多く収録されているカラー写真に写っている子供たちの笑顔が眩しい。「建設現場の横にゴザを敷き絵本を持ってくると、すぐに子どもたちが集まる」。

「まだ建設中の図書館に子どもたちを上げて、絵本を見せることにした。・・・(私が何冊も続けて絵本を読むのを)小さい子どもたちがずっと集中して聞きつづけ、あきるふうもなく、『もっと』とせがんでくるのに驚く。学校帰りの子どもたちがどんどん加わって、結局は50人以上が図書館に入っていた。・・・話すのはエネルギーのいることだが、聞く子どもたちのエネルギーも伝わってくる。きっと、何かを感じてくれたにちがいない」。子供たちだけでなく、本たちも喜んでいることだろう。

「(2007年)2月18日。いよいよその日を迎えた。・・・図書館の建物に子どもたちがひしめきあって、本に見入っている・・・そんな光景が嬉しいオープニングであった」。著者の心のときめきが伝わってくる。

何枚も収載されている写真のモンの子供たちは、皆、愛くるしい。皆、仲がよく、笑顔が素晴らしいのだ。

「(5月2日の)昼前、学校帰りの子どもたちが一気に押し寄せてきた。・・・箱に入れられた石を数えて、来館者数の記録をとる。この日は68人であった」。「(5月4日は)午前午後合わせて、延べ100人もの子どもたちが来た。赤ん坊を連れたお母さんも来て、熱心にお話に聞き入っていた。午後は、ふもとの学校から帰ってきた中学生、高校生たちも来て、ラオス語の本を読んでいる」。村の子供209人中のこの人数だから凄い来館率である。5月9日は、「4時半、図書館の閉館少し前に、若い人たちがどっとやってきて、ラオス語の小説なんかをあれこれ見ていった。ちなみに、石の数を見ると、今日の入館者は140人」という盛況ぶりである。「こうして、ここの中学生、高校生が世界への興味を少しでも広げることができるのも、村に図書館ができたからだ。小さい子どもたちが絵本を見に来るだけではなく、中高生にも活用されているのは嬉しい。だからこそ、なんとしてでも続けていかなくちゃいけない」。創業は易く、守成は難しということを、著者は弁えているのだ。

図書館で子供たちが思い思いの恰好で本を読んでいる絵には、ほのぼのとした雰囲気が漂っている。私もこういう図書館で本を読みたいなあ。

図書館がオープンしてから7年が経ち、この間に茅葺き屋根を3度葺き替えたという。「山の村の中にあっても。広い世界への扉を開き、そして、自分たちの根っこともつながっていくことができる図書館。過去の記憶を力とし、子どもたちの未来の夢につながる図書館。それを目指して・・・。『たろうの図書館』(著者がゲオバトゥ村に図書館を作ろうと思い立つ契機となった、28歳で亡くなった同志・武内太郎に因んだ命名)は、これからも続く」。

本書の中には図書館の原点がある。図書館とはワクワクと心を弾ませながら、本と向かい合う格別な場所なのだ。