学魔の本函
『1417年、その一冊がすべてを変えた』を読む。

1417

『1417年、その一冊がすべてを変えた』


パラダイムチェンジがなんと古代に繋がっていたという歴史の不思議を見せつけられた。

安倍自民党政権の悪魔的法案「安保法制」を止めるべく、奔走の日々に、読者の時間が全く取れない。それでも、一日数時間でも続けることで、やっと読めたぞ。

グリーンブラットといえば先般、この欄にも紹介したことがあるが『驚異と占有 新世界の驚き』という有名な著作で知られたルネサンス、シェイクスピア研究者であるが、この著書は、古代から現代までを貫くあるテーマについての連綿たる歴史であり、その消えた思想の復活にかかわった人物をめぐる周辺のめちゃくちゃ面白いノンフィクションである。だいたい、この本が2012年のピューリッツアー賞ノンフィクション部門の受賞作である点に、驚かされる。

つねづね、学魔高山師にはhistory と story は語源が被っているだろうが・・・とどやされているし、ギンズブルグの歴史書を読みなれていれば、このグリーンブラットの本もまた緻密な資料に基づきながら、その史料と史料を結びあわせる手腕にスリリングな面白さが耐えられない。

さて、以下の内容の含んだ書物を書いたのは誰か?

◎万物は目に見えない粒子でできている。
◎物質の基本となる粒子――「事物の種子」――は永遠である。
◎基本となる粒子の数は無限であるが、形や大きさには制限がある。
◎すべての粒子は無限の真空の中で動いている
◎宇宙には創造者も設計者もいない。
◎万物は逸脱の結果として生まれる。
◎逸脱は自由意志の源である。
◎自然は絶えず実験をくりかえしている。
◎人間は唯一無二の特別の存在ではない。
◎人間社会は平和で豊かな黄金時代に始まったのではなく、生き残りをかけた原始の戦いの中に始まった。
◎霊魂は滅びる。
◎死後の世界は存在しない。
◎われわれにとって死は何ものでもない。
◎組織化された宗教はすべて迷信的な妄想である。
◎宗教はつねに残酷である。
◎天使も、悪魔も、幽霊も存在しない。
◎人生の最高の目標は、喜びを高め、苦しみを減ずることである。
◎喜びにとって最大の障害は苦しみではなく、妄想である。
◎物の本質を理解することは、深い驚きを生み出す。

やけに近代的で、唯物論的で、科学的である。もしかしたら近代の原子物理学者の著作ではないのか。湯川秀樹かなんかと考えそうであるが、実はこれが紀元前1世紀初頭にうまれ、紀元前55年頃死去したラテン詩人であるが、ほとんどその生涯についてわからないルクレティウスの長詩『物の本質について』という書物の内容なのである。さらにたどれば、このルクレティウスはギリシアの哲人エピクロスの教えを忠実に伝えたもので、エピクロスの哲学的自然学、つまり宇宙に存在する万物はそれ以上に分割できない原子となにもない空間から成り立っていて、無限にある原子が無窮の空間を運動しながらお互いに衝突・結合することによって物質が構成されていると説いた。それを引き継いだのがルクレティウスなのである。しかし、この『物の本質について』という書物はほぼ世の中から消え去っていた。これらの思想が多神教時代の産物であり古代地中海世界の文化圏からさえも不道徳、不信心として排斥され、キリスト教の台頭とともに、さらに激しく攻撃され、燃やされ、消し去られていた。

このルクレティウスの本が最初に発見されたのに手を貸したのが、この本の主人公がポッジョ・ブラッチョリーニ(1380-1459)と言う人物なのであるが、取り立てて有名人ではなく、まず歴史的に知られていない。しかし、個人史としてはやたらに面白い。グリーブラットも彼の周囲を描いたことで、この本がルネサンス期のローマ教皇庁の堕落や書物と言う物に対する当時の在り方、さらには文字(書体と言うべきかもしれない)についてのあれこれが詳細に分かり、これはこれで関心が持てる。

このブラッチョリーニなる人物はフィレンチェ南東部の中産階級の出身で、法律や人文学を学んでからフィレンチェにやって来た。初め公証人の仕事に就いたが、後に教皇庁の秘書官ポストに就いた。しかし彼は聖職者になるわけではなく、ヨーロッパ各地の修道院などをめぐり、多くの古代写本を再発見し筆写した。彼が仕えた教皇はともかく最低の教皇でヨハネ23世と名乗ったが、コンスタンツ公会議に不名誉を咎められ、退位させられたのだそうだ。

それに伴ってブラッチョリーニも失業したが、それまでにきっちり不正蓄財していて、彼はその後、ブックハンターとして自らの趣味と実益を兼ねてヨーロッパを動きまわった。特にドイツに赴いて、修道院の図書館から古書籍を探し出した。彼は他のブックハンターにはない特技があった。それは優秀な筆写人で、非常に繊細な美しい文字を書き写すことが出来た。現存する筆写されたその文字はまさに活字のような正確で、かつ美しいことが見て取れる。ポッジョが何人かと共同で完成させた文字は、今もその鮮やかさを失っていない。彼らはカロリング朝風の小文字を取り入れた。これは9世紀のシャルルマーニュの宮廷で起こった筆記の革新だった。ポッジョらはその小文字に改良を加えて、新たな書体を作り、写本の筆写や手紙などに使用した。この書隊はさらに、イタリック体および「ローマン体」と呼ばれる活字書体の開発の基礎として役立った。彼らは事実上、今でも言葉を手書きするための最もクリアで、最もシンプルで、最もエレガントな表記としてすぐにわれわれが思い浮かべる書体の開発者だったのである。

さて、また古代の書物がどのように残っていたのか、あるいは残らなかったのかも、そうかと思わされた。つまり、「古代の思想がどうにか命脈を保つことが出来たのは、これらの写本に使われた羊皮紙が並外れて丈夫だったおかげだが、人文主義者のブックハンターたちにもわかっていたように、材質の耐久性は、かならずしも生き残りを保証するものではなかった」。「元のインクが残っている場合、前に書かれていた文章の痕跡がまだ見える可能性があった。たとえば、4世紀に作られたキケロの『国家について』のめずらしい写本は、7世紀の聖アウグスティヌスの詩篇に関する黙想録の写本の下に残っていた。セネカの友情に関する著作の唯一現存する写本は、6世紀末に書かれた旧約聖書の下から発見された。これらの上書きされた奇妙な写本はパリンプセストと呼ばれる。由来は「再度こすられた」という意味のギリシア語である。このパリンプセストからは古代の重要作品がいくつも見つかっており、どれも、そうでなければ知られることのなかった作品である」。

つまり、日本の古文書も同様であるが、壁の下張とかふすまの下張のように古文書が見つかることがある。紙も羊皮紙も上に書かれた文書以上に重要であったということである。しかし、そのために、偶然が作用して重要な文書が発見されることが今でも生じると言う事ではある。しかしこれから未来には、デジタルかした文書が残り得るのかとても自信がない。

いろいろあってそのポッジョはついにキケロに何度も引用されているにもかかわらず、存在の不明であった本に辿りついた。1417年1月、ポッジョはフルダ修道院の図書館において手に取った長編詩の作者の名前は、T.LUCRETI DE PRERUM NATURA (T・ルクレテイウス・カルス 『物の本質について』)である。この長編詩の文学的価値はその詩の美しさにあったのだが、その内容が冒頭に示したものであった。当然のことながら広く行き渡ることにはならなかった。キリスト教の教義に大きく反したからである。しかし、その魅力に抗えない人々に密やかに影響を与えた。マキャヴェッリ、ブルーノ、ガリレイ。そして幻想的に目に見える形にしたのがボッティチェリの傑作『ヴィーナスの誕生』である。またモアのユートピアの思想的裏づけともなった。ブルーノはイングランド滞在中、スペンサー、ダン、ベーコン、その他の人々と、このルクレティウスの唯物論への関心を共有したはずであり、ブルーノの友人であったジョン・フローリオを通じてシェイクスピアへも繋がっていると考えられる。

この危険な書物は実はフィレンチェの有名人を魅了していた。しかし、賢く、狡猾な彼はそれをひた隠しにし、直接一度も彼の著作に引用したことがなかった。だが1961年に、写本の筆跡からその人物が特定された。マキャヴェッリである。その本は今はヴァティカン図書館に保存されているということで、激しい異端審問を通り抜けて、いまや教皇庁に保存されているという皮肉は何と言うべきであろうか?

もう一つこの本で知った事実は、ガリレオの異端問題である。ガリレオは地動説が問題にされたと今まで歴史的に書かれてきたが、実はそうではなかったということである。

1633年6月22日、異端審問所は評決を下した。

「われわれは汝ガリレオに判決を言いわたす。汝は証拠を理由に当法廷に立たされ、以上のように証言した。その結果、異端が大いに疑われると検邪聖省は判断した」

評決で正式に挙げられた異端の罪状は「世界の中心は太陽であり、火が詩から西に動いているのではない、動いているのは地球であり、地球は世界の中心ではないという、神聖なる聖書に反する誤った学説を信奉したこと」であった。しかし、1982年、イタリアの学者、ピエトロ・レドンディが検邪聖省の文書館から事件の全体像を覆す文書を発見した。文書は『偽金鑑識官』の中に見られる異端の部分を詳述した覚書だった。具体的には、異端審問官は原子論の証拠を発見していた。審問官は次のように説明している。原子論は、聖体の教義を明確化したトレント公会議第13回会合の教会法第2条と矛盾する。文書はこう述べている。ガリレオ・ガリレイ氏の理論を受け入れれば、聖体の中にパンとワインの特性を持った「触覚、視覚、味覚の対象物」を見いだす時、同理論により、これらの特性は「とても小さな粒子」によってわれわれの感覚上に生み出されるもの、ということになる。このことから、「聖体の大部分を占めているのはパンとワインにちがいない」という結論に達する。この結論は完全に異端である。つまり、ガリレオの原子論維持が異端として問題になっていたのであるが、公式にこれを出すことすらはばかられたために地動説が判決理由にされたと言うことのようである。恐るべし原子論。

このルクレティウスの原子論は地下水脈となり、19世紀のダーウインの「種の起源」、アインシュタインへと繋がる。さらには、思いがけない方向へと流れて行く。

ルクレティウスが近代思想の主流に完全に吸収される前に、ルクレティウスを重要な指針としていた人々の中に、ヴァージニアの裕福な植民者がいた。つねに物事を疑う知性の持主で、科学に強い関心があった。トマス・ジェファーソンは『物の本質について』のラテン語版を少なくとも5冊所有しており、それ以外にもこの詩の英語版、イタリア語版、フランス語版を持っていた。『物の本質について』は彼のお気に入りの本の一冊で、せかいは本質だけであり、本質は物質だけからなっている、という彼の信念を裏付けていた。さらに、ルクレティウスは、ジェファーソンが、無知と恐怖は人間存在に必要な要素ではないという確信を形成するのに一役買っていた。

ジェファーソンはこの古代の遺産を、ルクレティウスが予想だにしなかったであろう方向へ、だが16世紀初頭にトマス・モアが夢見ていた方向へと持っていった。彼は新たな共和国の設立にあたり、重大な政治的文書に、紛れもなくルクレティウス的な表現を加えた。それは政府に向けられた言葉だった。政府の使命は、国民の生命と自由を守ることだけではなく、「幸福の追求」を支援することでもある。ルクレティウスの原子は軌道を逸れて、『独立宣言』に載せられたのだ。

このように古代の思想がとんでもなく解明的であったという事実を見せつけられる時、人間の知性とは一体進歩しているのか、それともただ多様に展開しているだけなのか疑問に思えて来る。ともかくさすがグリーンブラットといえる本である。ぜひお読みください。

魔女:加藤恵子