魔女の本領
私はここから何を得るべきなのか…

忘れられた巨人

『忘れられた巨人』


『忘れられた巨人』カズオ・イシグロ著 土屋政雄訳 を読む。

2度読んだ。電車の中で読んだ時、どうもわからない所がありすぎて、私はここから何を得るべきなのかと思いなおし、再読したのだ。

ご存知にように、カズオ・イシグロは国籍はイギリスではあるが両親は日本人で、5歳で渡英、その後学業を終えて、書いた作品がことごとく賞を受賞しており、第三作品の『日の名残り』でブッカー賞を受賞している。すべて英語で書かれている。その最新作が本書である。

イシグロは発表する作品のそれぞれが、カフカ的作品であったり、探偵小説的であったり、SF的であったりと多彩なジャンルに作品を置いている点で、極めて現代的な作家と言える。そしてこの作品は歴史小説的でもあり、神話的でもあり、ファンタジーでもある。舞台設定は6世紀あるいは7世紀(明記されていない)で、アーサー王が姿を消した後のブリテン島である。アーサー王は実在の人物かどうかは疑問であるが、伝説としては広範にあり、有名な円卓の騎士の話とともに、ローマ人やサクソン人を撃退した英雄とされている。そのアーサー王はいったい何を行ない、何を遺したのかという根本的な疑問が小説の基底に横たわっているのだと思い至ったのは、読後である。

主人公はアクセルとベアトリスの夫婦で、アーサー王と同じブリトン人である。つまり勝者の側に居る。しかし、なにやら、同族の集落から排除の対象になっていて、村の周縁に追いやられていて、燭台すら取り上げられていて、光のない闇夜に生活させられている。

問題はその原因が何であるあるのか、当人も村の住民も分からないのであるが、それは何弧を忘れているからなのである。それは「霧」によって、誰もが過去を失ってしまっている。アクセルとベアトリスの夫婦は、さほど遠くない村に住むはずの息子を訪ねることに意を決し、旅に出る。その道中で出会う、さまざまな試練や不思議な出来事が、続くのである。

しかし、ブリテン島の旅は、アーサー王伝説と繋がった場所であり、騎士や妖精(ほとんど悪というか無気味な存在)、魔法が幅を利かせている。そして最大の問題はかつての敵同士のブリトン人とゲルマン人が住み、言葉も文化も異なる。

その地を旅する老夫婦の前に現れるのがアーサー王の時代の生き残りの戦士ウィスタン、またアーサー王の甥と名乗る騎士、ガウェイン。そして、通りがかった村で、行方不明になりながら無事に帰って来た少年エドウィン。しかしこの少年は竜に噛まれた傷を持つために村から放逐される。この竜こそが、グエリグという雌竜で、その吐く息によって忘却の「霧」となって、ブリトン島を覆っていることがわかる。

この5人がついたり離れたりしながら旅は続くのであるが、少年の登場で、竜を倒して、すべての「忘却」を取り戻すことが目的になる。この冒険の旅のほとんどは老夫婦の旅が描写されている。戦士と騎士、少年は二人に助力することはほとんどなく、しかし、同じ方向へ向かって進んでゆく。途中、最も中心的に描かれているのは、修道院のありようである。

修道院が以前の砦跡であって、そこには虐殺の跡も残っているのだが、一人の賢者がいて、竜とその周辺にいる悪鬼の所業と「忘却」の関連を教えてくれる。その修道院が領主に攻め込まれ、その修道院から賢者の指示をうけた修道僧(沈黙の行で喋らない)に導かれて、老夫婦と少年エドウィンは脱出するのだが、ウィスタンは塔に上がり戦い、火を放ち、辛くも脱出するという冒険談がもっとも動きのある場面で、あとはほとんどだれもが、喘ぎながら道を行くばかりである。

道中後に最も重要なシーンがさしはさまれている。アクセルとベアトリスが川に着き、舟で渡してもらおうとする時、前に渡ろうとした夫婦が別れ別れになってしまっているのを見る。その理由は、船頭が夫婦にそれぞれ、もっとも重要だと思う記憶を尋ね、合致した場合だけ夫婦を同じ舟で渡すのである。意味深長である。これはファンタジーによくある質問に答えられるかという試練であるが、記憶が合致しないと幸せが訪れないという設問は、実人生にはかなり厳しいハードルのような気がする。

アクセルとベアトリスは船頭が舟がないと言い、二つのかごを結んでどうやら川を下ることが出来る。次々と困難に会いながら、老夫婦は息子のいるはずの村を目指しながら、なぜか竜退治に巻き込まれて行くことになる。その過程で、アクセルは時々、ベアトリスとの間に昔何か確執があったような気がしている。ベアトリスも昔を思い出す事の危険を感じてもいる。また、ガウェイン卿とウィスタンもどこかで関係があるようだが、わからないのか、互いに騙している。唯一、少年のエドウィンだけは、竜のかみ傷によって、やがて悪鬼に変わると恐れられていた様に、変化して行くのだが、その少年に導かれて、5人はその竜の居る山頂へと集合することになる。そこで初めて、それぞれの正体が判明するのである。

ガウェイン卿は実は雌竜を護衛していたのであり、戦士ウィスタンはアーサー王の命で竜を倒しに来た者という敵対する関係にあること。そして、アクセルはアーサー王の元で法をつかさどる役目であったが、裏切りを行ない、逆にアーサー王を面前で罵倒した人物であった。そして、竜の吐く「霧」の意味が初めて明かされるのである。それは戦いによる多くの人の殺人、虐殺。その殺戮を忘却させることで平和を維持することがかろうじてできている。その雌竜はいまや死にかけている。それをいま殺したら、そこからは何が生まれるか。再びの憎しみが思い出される。ガウェインはアクセルに次のように言うのだ。

「なぜ黒魔術と言う。あれ以外に道はなかった。戦闘の帰趨がまだ決せぬうち、わしは4人のよき同志とともにこの竜をてなずけに向かった。目的は、その息にマーリンの大魔法を乗せることだ。当時のクエリグは強大で、アラブる竜であった。マーリンは黒魔術に傾斜した男だったかもしれぬが、あの日だけは、アーサー王の意志とともに神の意思をも行なったのだ。この雌竜の息なしで、永続する平和が訪れただろうか。われわれのいまの暮らしを見よ。この村でもあの村でも、かつての敵が同胞となっている。ウィスタン殿は、この光景を前にして黙しておられる。もう一度尋ねよう。この哀れな生き物に寿命を全うさせてやってはくれぬか。その息は昔の息に及ばぬが、いまでも魔法を失っておらぬ。あれから長い年月を経たとはいえ、この息が止まったとき、いまでも国中で何が起こりうるかを考えてみよ。われわれは多くを殺した。認める。強き者弱き者の区別なく殺した。あのときのわれわれには神も決してほほえまなかったであろう。だが、この国から戦が一掃されたのも事実だ。この国を去りなされ。お願いする。貴殿とは祈る神が違えど、貴殿の神もこの竜には祝福を賜るのではないか」。

ガウェインの願いは聞き入れられず、ガウェインとウィスタンは戦い、ウィスタンが一撃でガウェインを倒す。そしてウィスタンは穴に下りて行き、竜の首をたたき落とすのである。この時、その穴にはさざんかが一輪咲いていた。孤独な竜を慰めていた一輪の花が竜の見た最後の風景であった。誰にもその意味を理解されないまま果たした大きな仕事。その孤独を痛いほど感じられた。

こうして、「忘却」の霧を吐き続けていた竜は退治された。しかしこれによって何が起こるか。それは明らかである。再びの戦乱。殺し合い。憎しみの連鎖である。そしてアクセルとベアトリスも昔の記憶がよみがえるのである。こちらも苦い記憶であった。それはベアトリスがアクセルを裏切り、不倫関係を続けていたと言う事実に気がつくのである。そして息子が既に死んでいたのだと言う事も。しかしこの老夫婦はその昔の記憶に縛られることなく、息子の墓を目指して前進する。そして、再び息子の墓があるかもしれない島へと二人で渡ろうとする。ここでふたたび船頭の質問に答えると言う試練に立たされる。しかし、今回も二人の大切な記憶に相違はなかった。しかし舟には一人しか乗れない。ベアトリスは恐れながらも、かならず合流できると信じて先に舟に乗る。そしてアクセルは舟を離れるのだが、ここで突然結末なのである。この老夫婦にハッピーエンドが訪れたのか、それとも悲劇に終わったのかは不明である。

この小説で思う事は平和と言う事の脆さだろう。かろうじて保たれていたサクソン人とブリトン人の平和は「忘却」の霧が人々を覆っていたからであった。言葉をかえれば、戦いが起これば、かならず反撃が起こり、たとえ一時的に不平が抑えられ和平が成り立っても、どちらかが昔の屈辱を晴らそうと言う考えが頭をもたげれば和平はたやすく崩れる。そうです、現在の世界を覆っている憎しみの連鎖はこの復讐の繰り返しである。先日のパリのテロによって妻を殺され1歳半の子供を遺された男性が「君たちに憎しみは贈らない」と書いたことが報じられた。しかし、個人の苦しみの果てに許しを見出す努力の傍らで、国家は憎しみをあおり、戦いはより暴虐で、歯止めがなくなる。このような世界で、何が平和の霧となるのであろうか?

イシグロは本書はファンタジーではない。夫婦愛の物語であると述べているようであるが、別の読みが可能な書物として、どうぞ。

魔女:加藤恵子