情熱の本箱
ヒトラーとスターリンは、流血地帯で1400万人を虐殺していた:情熱の本箱(122)

ブラッドランド

ヒトラーとスターリンは、流血地帯で1400万人を虐殺していた


情熱的読書人間・榎戸 誠

歴史に関心がある者は、540万人のユダヤ人が殺害されたホロコーストについてはそれなりに知っているが、同時代に、ドイツとソ連に挟まれた流血地帯(ブラッドランズ)でヒトラーとスターリンによって1400万人が殺されたことを知る人は少ない。恥ずかしながら、私も知らない一人であった。

このことに危機感を抱いた歴史学者、ティモシー・スナイダーが、流血地帯で起こった事実を執念を燃やして追究し、掘り起こした成果が『ブラッドランド――ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』(ティモシー・スナイダー著、布施由紀子訳、筑摩書房、上・下巻)に結実している。本書は、犠牲者たちの手紙や日記、教会に刻まれた最期の言葉、彼らの友人、家族の声、殺戮に手を染めた者、殺戮を命じた者の証言、ハンナ・アーレントなど著述家の著作、杉原千畝ら外交官の行動等から炙り出されてきた「血塗られたヨーロッパ史」である。

先ず、犯行現場を明らかにしておこう。「流血地帯は、ヨーロッパ・ユダヤ人の大半が暮らしていた土地であり、ヒトラーとスターリンの覇権主義政策が重複した領域であり、ドイツ国防軍と赤軍が戦った戦場であり、ソ連の秘密警察、NKVD(内務人民委員部)とナチス親衛隊が集中的に活動した地域でもあった。ほとんどの殺戮場がこの流血地帯に位置していた。1930年代から40年初頭にかけての政治地理学でいえば、ポーランド、バルト3国、ソヴィエト・ベラルーシ、ソヴィエト・ウクライナ、ソヴィエト・ロシアの西部国境地帯がここに入る。スターリンの罪はしばしばロシアと結びつけられ、ヒトラーの罪はドイツと関連づけられるが、もっとも凄惨な殺戮が繰り広げられたのは、ソ連の場合は非ロシア民族の住む周縁部であり、ナチスの場合はほとんどが国外だった」。ナチス政権、ソ連政権の力と殺意が交錯し、相互に作用し合った不幸な場所である。

次に、ヒトラーとスターリンの双方が政権を握っていた1933年から1945年までのわずか12年という短い期間に殺戮された人数を確認しておこう。「1930年代の主たる殺戮場はソヴィエト西部だった。ウクライナではスターリンが引き起こした人為的な飢饉で約330万人が命を落とし、その後の大テロル(階級テロルと民族テロル)でも30万人が銃殺された。1939年以降は独ソが共同でポーランドを侵略し、ポーランド国民20万人を殺害した。1941年にはヒトラーがスターリンを裏切ってソ連に侵攻、ソヴィエト人戦争捕虜やレニングラード市民など420万人を故意に餓死させた。さらに、1945年までに、占領下のソ連、ポーランド、バルト諸国でユダヤ人およそ540万人を銃殺あるいはガス殺し、ベラルーシやワルシャワのパルチザン戦争では報復行動などで民間人70万人を殺害した」。少なく見積もっても約1400万人に上る民間人、戦争捕虜が殺されたことを、数年に亘る東欧諸国の公文書館での膨大な資料調査の結果、著者が突き止めたのである。

目を背けたくなるのを我慢して、大量殺人の手口を知ることも必要だろう。「ドイツとソ連の殺戮場で使われた殺害方法はむしろ原始的だった。1933年から45年までのあいだに流血地帯で殺された1400万人の民間人と戦争捕虜は、食糧を絶たれたために亡くなっている。つまりヨーロッパ人が20世紀の半ばに、恐るべき人数の同胞を餓死させたというわけだ」。「餓死の次に多かったのが銃殺、次にガス殺が続く。1937年から38年にかけて断行されたスターリンの大テロルでは、70万人近いソヴィエト国民が銃殺された。ポーランドの独ソ分割統治の時代には、20万人前後のポーランド人が両国により銃殺された。ドイツが『報復』として死刑を宣告した30万人以上のベラルーシ人、ほぼ同数のポーランドも、銃で殺されている」。

上記を受けた著者の言葉は痛切である。「どんなテクノロジーが使われようと、殺害には人がかかわった。餓死した人々はしばしば、彼らに食べ物を与えなかった者によって監視塔から観察されていた。銃殺された人々は、至近距離に備えられたライフルの照準を通して射手に見られ、あるいは、ふたりの男に押さえらつけられ、3人目の男によって後頭部の真下に銃口を突きつけられた。窒息死させられた者は駆り集められ、列車に乗せられたあげく、ガス室へと追い立てられた。所持品を取りあげられ、服も奪われ、女性の場合は髪を切られた。ひとりひとりが独自の死を迎えた。誰もが独自の生を生きたからである」。

現代の私たちは、過去に大虐殺があったことを知るだけでなく、この凄惨な歴史的事実から教訓を学ばなければならない。「20世紀の大戦争や大量殺人は、すべて最初に侵略者や犯罪者が自分はなんの罪もない被害者だと主張するところからはじまっている。21世紀の世界でもこうした主張をもとにした攻撃戦争の波がふたたびわき起こっている。国の指導者たちは、自国民が被害者であると主張するばかりではなく、はっきりと20世紀の大量殺人に言及もする。人間の被害者意識を持つ能力にはかぎりがない。だからそうした意識のある人々をそそのかせば、激しい暴力行為に駆り立てることができるのだ」。私たちは国の指導者たちから唆されるという愚を犯してはならないのだ。