情熱の本箱
ナチス支配下のドイツに踏み止まって抵抗を続けた作家がいた:情熱の本箱(167)

ケストナーの生涯

ナチス支配下のドイツに踏み止まって抵抗を続けた作家がいた


情熱的読書人間・榎戸 誠

学生時代、講義を受けたドイツ文学者・高橋健二は、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテを初めとするドイツ文学に私の目を向けさせてくれた恩人である。その高橋が、エーリヒ・ケストナーをこう位置づけている。「エーリヒ・ケストナーは、私が会った内外のすべての人の中で、一ばん驚くべき人物である。私が親しく話を聞くことのできた作家の中でも、ヘルマン・ヘッセやトーマス・マンは、ノーベル文学賞の受賞という評価から見ても、大きな作品がはるかに多い点でも、ケストナーより偉大な作家だと言われよう。私自身もそう思うのであるが、ケストナーを最も驚くべき人物だと思う気持ちに変わりはない」。ここまで言われては、『ケストナーの生涯――ドレースデンの抵抗作家』(高橋健二著、福武文庫。 出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を読まないわけにはいかない。

ケストナーは、なぜ驚くべき人物なのか。第1に、ナチス支配下のドイツに踏み止まって抵抗を続けたこと。第2に、ナチスが12年後に崩壊するや否や、精力的に作家活動を再開したこと。第3に、25年という長期間に亘り、実質的な妻、そして、27歳も年下の愛人との二重生活を極秘裏に続けたこと。

ナチスが支配するドイツでケストナーが置かれた状況は、どのようなものだったのか。「ケストナーはナチスの台頭時代からそれに痛烈な諷刺的批判を加えていたので、ヒトラーが政権を奪取すると共に、『エーミールと探偵たち』など、子どもの生活を扱って評判の高かった小説を除いて、『好ましからぬ作家』としてナチスによって詩集や小説を焼かれ、執筆を禁止された。しかし彼は亡命しないで、ナチス・ドイツに踏みとどまって抵抗を続けた。・・・国内での著作の発表を禁止され、貯金を差し押さえられ、2回逮捕され、たえず生命の危険におびやかされるという状況で、生き続けるのは、困難をきわめることであった。それをケストナーは忍び通し、ナチスへの協力をあくまで拒否し、妥協しなかった」。

ケストナーが命を奪われる危険がある環境下で生き延びることができたのはなぜか。「最後には血祭りにあげられるはずであった。それをまぬがれたのは、彼の抜け目なさと、愛人ルイーゼロッッテ(・エンダーレ)の献身的な巧妙な、しかしのるかそるかの危険きわまりない奔走と、ケストナーの才能を惜しむウーファ映画社のプロデューサーの豪胆な侠気のおかげであった」。

著者はケストナーの人間味への目配りも疎かにしていない。「ケストナーの頭のよさ、ナチスにしっぽをつかませない賢明さ、とぼけたようなユーモア、殺してしまうにはあまりに惜しい才能が、そして何より、見とおしを持った勇気が、彼を救った。その点、ちびのエーリヒと呼ばれた(背の)小さいケストナーは、超人的に強い人であった。だが、この並はずれて強い人が、自分の欲望にかけては弱い人であった。・・・女性への愛にかけても、彼は最後に大きな幸福と苦しみを招く身の上となった。その点では、きわめて人間的であった。・・・ケストナーの若い愛人であったフリーデル・シーベルトを、私は1980年8月に初めてスイスに訪ねた。彼女は晩年のケストナーとの愛の年月について私に語ってくれた。ケストナーはルイーゼロッテに対し背信をおかしたことは明らかである。私は彼女をよく知っているだけ、彼女のために悲しまずにはいられない。しかし、ケストナーがフリーデルとの間に男の子を儲け、無上の幸福に酔いしれた気持ちも十分にわかるのである。ケストナーとフリーデルを責めようとは思わない、二人が至上の愛を味わったのを美しいものと思うのである」。

「12年の空白と、身心を擦りへらすような苦境にもかかわらず、戦前のあの新鮮な才能を枯渇させず、みずみずしくカムバックしたことは、さらに驚きを倍加させるのであった」。

ケストナーはなぜ亡命せずに、ナチス・ドイツに留まることを自ら選択したのか。「ナチスのような無法な野蛮なやり方がまもなく失敗することを確信し、その末路を見とどけることが、作家の任務だと考えたからである」。彼は、この考えを忠実に履行し、戦後、ナチス糾弾の証言者となったのである。「残虐の限りを尽くした宿なし伍長ヒトラーとそのメガフォンだったゲッベルスに対する憤りと弾劾にとどまらず、ケストナーはヒトラーの顕著な同調者にも言及している」。彼の矛先は、20世紀最大の哲学者、マルティン・ハイデッガーにも向けられたのである。

ケストナーの生涯は、私たちに独裁者に屈服しない勇気、逆境の時代を生き抜く智恵と行動について考えさせるという点で、頗る今日的である。それにしても、これだけの人物であっても、愛の問題はそう簡単には解決できないという事例から、人間の複雑さを思い知らされると同時に、少しばかりホッとしたのも正直なところである。