魔女の本領
戦争には死があるだけではない…

セカンドハンド

『セカンドハンドの時代――「赤い国」を生きた人びと』


戦争には死があるだけではない。精神の荒廃と無限に続く血の色をした悪夢だけなのだ。

怒涛のような日々が続き、読書の時間もとれず、まさにカメの如くのろのろに読んだ本。やっと紹介できるのだが、心ふさぎ、人間とは何だと言う根源的な苦しみにぶち当たる本であった。

著者は言うまでもなく2015年ノーベル文学賞を受賞したウクライナの女性作家である。受賞直後緊急再版された『チェルノブイリの祈り』を読んで、その作品の内容のすさまじさとともに、ドキュメンタリーという作品のもつ強烈な存在感にあらためて驚かされたのであるが、その著者の最新作が本書である。説明するまでもないと思うのだが、セカンドハンドとは日本ではセコハンと省略されている中古という意味だがこれがロシア語がそうなのか、私には確認できないが、スペイン語もまた「お古」と言う単語がセグンダ・マノ(二番目の手)であり、共通なのに少し驚いたものである。この題名の意味するところは、この21世紀(本書では1990年代が多く取り上げられている)の国家像を逆照射する意味を持たせて、ソ連崩壊後に暮らす旧ソ連邦の人々のインタビュー集である。アレクシエーヴィチの登場人物は本当に信じられないくらいの悲惨な経験を生きた人々(多くが女性であることはそれだけで、一つの意味を成していると思えた)の語る言葉を掬いあげて、紡いでいる。作品の特徴は語る人々、アレクシエーヴィチはこれらの人々を「小さき人」と称しているのであるが、歴史の上層に登場して、何らか政治的、あるいは文化的にであれ、周囲に影響力を発揮した人たちではない。彼女が拾いあげなければ、これらの人々の声は闇に消え、墓石の下に消えてしまったものである。

私にも本書を読むまでおおくの思い違いをしていた。そればかりか、政治史や国際関係の本を読んでも知り得なかったかもしれない。それはソ連のいわゆるペレストロイカと情報法公開(グラスノスチ)のゴルバチョフの登場とソ連崩壊、その後のエリツインの政権移行の間のソ連邦の大混乱についてとそれに続くチェチェン紛争、これに関係するテロ事件、これらについてほとんど知らなかった。ましてや翻弄された「小さき人」の痛手を知る手段もなかった。本書で中核になっているのは、ソ連崩壊によって、国際的にはソ連の民主化と捉えられている政治的動きが、かろうじて共産主義の旗印によりソ連の多民族間の紛争をとどめていたものが、一気にパンドラの箱が開いたかのように民族間の憎悪がわきあがり、昨日までの隣人が殺し合う、友人が離反し、警察、軍隊に密告し、一族郎党皆殺しに会う。信じがたい自体が起きていたのである。そしてかろうじて生き残った者は理由を求めて精神の混乱の中を彷徨していたのである。そして若い者たちの暴力的な民族憎悪を見ながら、年上のソ連邦に生きてきた者たちは、ソ連邦の貧しかったが仲良く暮らした多民族国家時代を良きものと回想した。しかし実はそのソ連邦時代も又、スターリン時代の暗部について密告と粛清、シベリアへの流刑を知る人々の語る事実にも向き合わなければならない。

アフガニスタンへの派兵、チェチェン紛争への派兵、その紛争地から逃げてきた難民によって語られる語りは筆舌に尽くしがたい惨状である。戦争とはかくも人間性を奪われ、獣以下の蛮行がなされる。頭では知っていたが、このように語られると、自分が立脚している地面が崩れ去るような気がした。ただ殺傷するのではなく、虐殺する。集団での暴行の上で殺し、妊婦を子供を殺して、体を損壊する。戦場で常に見られる狂気としか思えない行為を見てきた人々は、泣きながら語ることで、幾分かの慰めをえられたのであろうか。こんなことが民主化以後のロシアで起こっていたことを私は知らなかった。そしてその戦場から帰還した兵士たちの精神の荒廃と狂気、麻薬依存等の苦しみは今や世界的な問題となっていると言わなければならない。本書には、小さい人ではない軍の幹部の将軍の不可解な自殺をめぐる語りや、チェチェンに自ら志願していった若い女性が自殺したといって返された遺体を母親が自殺としては不自然と敢然と真相を求めて奔走する語りもある。

セカンドハンドの時代という標題の意味はスターリンの悪夢を払しょくできず、あらたな資本主義的自由社会の闇に呑み込まれそこから共産主義で手にしていたそれなりに自由で、夢のあった時代の手触りをなんとか支えにしている現在のポスト・ソ連邦に暮らすひとびとの声である。ソ連崩壊後、すべてが金の社会によって、富裕層が生まれ、貧困層は新たなロシア革命を夢見ることになる。驚いたことは、多くの人がアメリカへ移住しているということであった。

いまやロシアはプーチンの強権政治国家に変質している。今年はくしくもロシア革命100年である。いったい私たち、いま混迷の世界の中で、人とはどうあるべきなのか?民族間の紛争が続発している現在でもある。宗教もまた紛争を解決できないだけではなく、それを助長する要因にもなりうることに憂慮している者として、せめて他人の痛みを自らのものにする静かな志を常に持ち、国境を越えて連帯し、ひるまずユートピアを目指すべきなのではないかと強く感じた。読むのは簡単ではない作品であるが、フィクションではないと言う事に作品の重要性を強く感じ、考えさせる作品になっている。是非一読をお勧めしたい。

魔女:加藤恵子