魔女の本領
何に苦しみ、何を支えにして生きたか…

宮沢賢治の真実

『宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人』


日本の政治情勢があまりにも不穏で、心をかき乱されながら、最後まで抵抗するためにあれこれの抗議をつづけながら、それだからこそ本読むことの一瞬が貴重なのだとの思いが募る。そして、どう表現すべきか悩む本を読んだ。

『宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人』今野 勉・著を読む。

筆者の今野勉は映像作家であり、ドキュメンタリーの名作を多く作った事はよく知られている。また私個人としても、1970年に今野が独立した映像集団「テレビマンユニオン」を創設した際、入りたいな―と本気で考えたこともある。50年を経て、彼の本をこんな形で読んだことに不思議な感慨をおぼえる。

本書は宮澤賢治を深く読み込み、その言葉の一つ一つの背景に事実があるという確信の下に調べて行った暁に、いわば賢治が自ら「修羅」と言いながら亡くなった真実を手繰り寄せたと言っていい本なのだ。しかし、それは私たちの宮澤賢治に寄せているイメージをかなり破壊するものになっている。下世話に言えば、身も蓋もないということなのだが、それでも賢治の生涯を清純で、献身的で、懸命に生きた魂であることを私は疑わないけれども。

本書のストーリーには二つのテーマがある。一つは兄、妹のテーマ、もう一つは作品に出て来る献身とはなにか。かれの精神性の中核は単に妙法蓮華経なのか?という点である。

私自身は宮澤賢治に深く傾倒しているわけではなく、一般の方と同じく、「春と修羅」、「銀河鉄道の夜」、その他の童話、そして心を揺さぶられる「永訣の朝」位しか読書経験はない。そしていみじくも妹とし子は私の大学の出身者であり、昔は上層階級の大学であるとはいえ、有名人と言えば平塚らいちょうととし子しかいないという大学である(らいちょうは退学処分にされていながら、つい最近勝手に卒業者に祭り上げたという恥知らずな大学でもあるが)。そのとしこ子と宮澤賢治の間にある関係は「永訣の朝」のあの有名なとし子の清冽な言葉「あめゆじゆとてちてけんじや」の繰り返しがすべてであると私は思っていたのであるが、これに至る今野の調査、それに基ずく分析に、驚愕したのである。とし子には亡くなる前に「自省録」という自己の精神の変遷を著した作品がる事は知らなかった。またとし子が日本女子大学へ進学したのは宮澤家が裕福でかつとし子が優秀であったとしか認識していなが、これが大きく異なることから出発していた。それはとし子の恋である。花巻高等女学校で赴任してきた音楽教師鈴木竹松にバイオリンを習い、好意を寄せる。年子が示す好意は鈴木の下宿に訪れるようにまでになる。10代の教師によせる親愛の情は当時では多分淡い恋心というものであっただろう。これを同じく鈴木にバイオリンを習っていた親友大竹なる女性に告げてしまう。この大竹は美人でバイオリンも上手で、なんと教師の鈴木は大竹に好意を抱いている事がわかるといういわば三角関係に、とし子は破れた。それだけではなく、この事件が卒業間際に「岩手民報」第三面にスキャンダルとして大々的に報じられ、打ちのめされてとし子はさらなる追い打ちを避けるために東京の大学進学を決めたと言う。そして、この事を賢治は全く知らなかった。そこがこの本の中核なのだが、その理由は賢治自身が「恋」をしていたから。その恋の相手はただ一人の友であった保阪嘉内。二人は山に登ったり、旅行したりする仲であったが、賢治は彼を妙蓮華経への信心に熱心に誘い、かつ同人誌「アザリア」に投稿する同士でもあったが、彼への心は恋愛の情であると今野はいうのである。しかしこれもまた保阪がそれを嫌い避けることで、賢治には失恋として結末を迎える。
ここで、現代的な評価からすれば、これぐらいの情は恋愛以前の思慕とか憧れとか友情の範囲だろうと思いのだが、今野は賢治の著作にその影は明確に表れていると解読している。

今野は二つの詩の解析から論を立てているそれが不可解な文語詩「猥れて嘲笑める(あざ)」の詩と口語詩「マサニエロ」であるという。その二つの詩が生まれた背景には、妹とし子の初恋にまつわる事件がある。「賢治が、いつ、どのようにして、妹の事件を知ったのかーーこれが次の課題だった。ところが、賢治には妹の一件を知る機会が何度かあったにもかかわらず、結局、知ることはなかった。それは、賢治自身が、自らの恋に心を乱していたからである。

大正10年(1921)夏、恋の相手であった保阪嘉内との訣別を余儀なくされた賢治は、大正11年1月から、自らの心を見つめ直すために詩を書き始める(賢治は、自らの書く言葉は詩ではなく「メンタル・スケッチ」、すなわち「心象スケッチ」だと言っている)。「マサニエロ」は、一月から書き始めた詩の46番目に当たる。制作された日は、大正11年10月10日だ。

1月から「マサニエロ」までの10カ月の間に、賢治は、詩人としての代表作である「春と修羅」や「小岩井農場」を書いた。それらの詩は、賢治が自分の心をとことん見つめ、そこから新たな自分を構築し、今までとは違った精神の高みへと自分を解放しようとするものであった。そのような時に賢治は、とし子の初恋事件の全容と、事件以降とし子がどのように悩み苦しんできたかを知ることになった。「自省録」である。ひとりの人間の、赤裸々な心の軌跡に直面したのだ。自分の心だけを見つめてきた賢治にとって、それは、自らの存在をゆるがすほどの衝撃だった。その時の賢治の胸中を正確に理解するには、「春と修羅」、「小岩井農場」で、賢治が人間と人間の関係をーーもっと端的に言えば、人を恋うということーーをどう考えていたかを知っておかなければならないだろう。」とある。そのひとを恋うることの同性への恋心について、今野が引いた法華経の読みは、どうなんだろうか?そうとも言えるが、賢治がそう捉えたかは確信が持てない。

妙法蓮華経(法華経)は、宇宙の真理を表するものとされている。同性を恋う人間を妙法蓮華経はどう考えているのか。賢治は懸命に探したであろう。

妙法蓮華経は、異端者、少数者を救う教えが唱えられている。たとえば、妙法蓮華経の「謦輸品」に次のような釈迦の言葉がある。

「今此の三界は 皆是我が有なり
其の中の衆生は 悉く是吾が子なり」

「今、この宇宙のすべては私の領土である。その領土にいる衆生は、
ことごとく吾が子である」。

「吾が子」とは「仏の子」ということ。仏の子に区別はないゆえ、
同性を恋うる者もまた仏の子として認められる、ということだ。」

このスタンスで今野は「銀河鉄道の夜」の不可解な点を解明している。「銀河鉄道の夜」は、「ケンタウル祭」の夜の物語であり、ケンタルルス座が中天に輝く夏の夜である。そこにタイタニック事故の犠牲者を「銀河鉄道」の乗客として登場させている。事故は4月であるとはいえ、冬のよう北の海でおこったことであり、季節が合わない。つまりケンタウル祭」のケンタウルス座が見えなければ意味がないのであるが、賢治はケンタウルス座をどうしても見るために所要を断ってまで探しに出ているのだそうだ。その前に、タイタニック事故について賢治がどこでいつ何を知ったのかはなかなか興味深かった。いまならほぼリアルタイムで世界中の事件事故を知り得るが、タイタニックの事故とそこで演じられたドラマの中には、賢治の魂を揺さぶるものがあったと言う事であろう。今野の調査は詳細を極めていて、その意味で小説を単にフィクションとしてだけではなく、事実に裏付けがあるということを調べることの重要性には心を打たれた。

「大正13年12月24日、賢治は構想中の童話「銀河鉄道の夜」に、おそらく斎藤宗次郎の通じて知ったであろう「タイタニック」の犠牲者を登場させようと決める。さて、、以前から設定していた夏の夜の祭り「ケンタウル祭」をどうするか。星座早見盤でケンタウルス座の冬の位置を調べてみた。天文学の教え通り、12月初旬の夜明けの地平線上にその上半身を最も高く見せるのは確認できた。しかし、調べた時はすでに12月下旬だった。ケンタルルスは南天の低い位置になっている。確実に見えるのはどこか。久慈湾の岬に目を付けた。1月6日の夜明けが、たまたま七夕のちょうど半年後であることに気づいた。1月6日は冬の七夕とみたてることもできる。「ケンタウル祭」を冬にすることもできるかもしれない。とにかく、1月6日未明のケンタウルスを見に行こう。大正14年1月5日、賢治は急遽、旅に出たーー。」そして確信を持ったというより、そうするように「銀河鉄道の夜」を書いたと言った方がいいのだろう。即ち。「ケンタウル祭とは、ケンタウルが土星と会う日である。

さらに、「銀河鉄道の夜」の主人公のジョバンニの同伴者カンパネルラのモデルは長い事とし子であるとされてきた。私もそう思っていた。しかし今野は保阪だのようだとしている。今野の印象だけでは結論が付けられないし、結論ずける必要もないだろう。今野の細部の証明は私はとても好きではある。たとえ「ジョバンニの切符」の記述から、それがサンスクリット語の「薩達磨芬仏陀利迦修多羅」と書かれていたとの解析は彼が同性に恋していたという証明より、貴重である。

本書は宮澤賢治が何に苦しみ、何を支えにして生きたか、かれの心の底を探ることで見える世界が賢治の真実であるとするものであるが、その中核に置かれた同性への恋という解明に、読み終わった時に、それはどうでもいいのではないかという感情に私は代わってしまった。誰を恋したおうと、その恋が失恋に終わるときの世界が真っ白になる感情は同性でも、異性でも変わらない。多分それが賢治が己を「けだもの」と書いたのは、肉欲に傾きながら、それでも自らの使命は自らだけが救われることではない。そしてかれの真の意味での法華経への傾倒が「本源的の法」として立ち上がって来たのであろう。「銀河鉄道の夜」のジョバンニはひとりで生きてゆかねばならない。それでも生き抜くこと。賢治のメッセージを私も又曲解しようとおもう。

最後に私を捉えて離さない「永訣の朝」を

(あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつさう陰惨な雲から
みぞれはびちよびちよとふつてくる
(あめゆじゆとてちてけんじや)
青いじゅんさい(漢字)のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまえがたべるあめゆきをとろうとして
わたしはまがつたてつぽうだまのやうに
このくらいみぞれのかないとびだした
(あめゆじとてちてけんじや)

蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまえはわたしにたのんだのだ
ありがたうわたしのけなげないもうとよ
わたしもまつすぐにすすんでいくから
(あめゆじゆとてけんじや)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまえはわたしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを・・・
・・・ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたしはそのうえにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまう
(Ora Orade Shitori egumo)

魔女:加藤恵子