情熱の本箱
和辻哲郎と丸山眞男を通じて、日本思想史を辿る試み:情熱の本箱(225)

日本思想史

和辻哲郎と丸山眞男を通じて、日本思想史を辿る試み


情熱的読書人間・榎戸 誠

『日本思想史への道案内』(苅部直著、NTT出版)は、和辻哲郎と丸山眞男を通じて、日本思想史を辿ろうという意欲的な著作である。

「戦後における丸山の日本思想史研究は、一面では和辻に見られるような、日本人が共有してきた伝統の探求という姿勢への回帰と解することもできるだろう。和辻とは異なって、丸山の場合、『原型』や『古層』という名で取り出される思想傾向は、克服すべきものとして対象化されている。だが、価値評価の方向は正反対としても、原初の神話から現代人の心理傾向に至るまで、一貫した特徴を『日本』の思想は保持しているという歴史認識に基づいて、その特徴を発掘しようという姿勢に関するかぎり、和辻と似たところがあるのはたしかである。だが丸山は同時に、これとは異なる方向での『伝統』との対決も、みずからの思想史の方法として示していた。・・・丸山は、どの時代にも共通する『原型』や『古層』の存在を確認するだけにとどまらず、ある特定の時代、特定の思想に着目して、それがはらんでいた可能性を再構成することが重要だと説いている。・・・克服すべき『原型』『古層』の存在を確認するとともに、過去の思想のもっていたさまざまな可能性を『自由』に探求する思想史。それが、丸山が戦後にとりくんだ日本思想史研究の課題だったのである」。

『葉隠』に対する和辻と丸山の見解の相違を見てみよう。「もし仮に武士の忠誠心が近代日本国家のナショナリズムに継承されたとしても、それはあくまでも正しい道理を政治において実現するための『士道』であり、『葉隠』に見えるような絶対忠誠とは異なる。国民に有無を言わせず献身を要求するような戦時動員のイデオロギーに対し、和辻は独自の『武士道』論を通じて批判を試みたのである」。

「これと対比して興味ぶかいのは、丸山眞男が戦後に『葉隠』に関して述べた評価である。・・・題材として用いる史料は和辻とかなり共通しており、和辻の『武士道』論に対する批判的注釈のようなものになっている。そこで丸山が『葉隠』について強調するのは、その思想がもつ鋭い両義性である。丸山は『戦時中、その<死>の賛美と狂熱的な忠誠がもてはやされ、(戦後は)反動書の筆頭となったが、メダルの反面は必ずしも理解されていない』とする。それが『偏狭な排他性』を持っていることについては、和辻による指摘と同様に、丸山も批判の態度をとる。しかし同時に、『それが全人格的なコミットメントをラディカルに押しつめたがゆえに、通常の身分的忠誠倫理の次元から飛躍して、ほとんど宗教的次元にまで飛躍した思想が展開される』とした。すなわちそれは、個人が主君への忠という強烈な『コミットメント』によって自我を支えることを通じて、『個人的主体性』を確立し、積極的な行動に打って出る『エートス』へとつながるものだったのである。武士が統治者として『道』の実現に努めるという和辻の『士道』は、もの静かな全体の運営者という人間像に近い。これに対して丸山が『葉隠』のうちに見出したのは、一人一人の個人が『コミットメント』の追求を通じて他者とかかわってゆく、ダイナミックな行動者の姿である。いわば、前近代の身分制秩序の内に生きた武士の倫理から、現代のデモクラシーを生きるための政治的な主体性につながるものを、丸山は読み取ろうと試みたのであった」。

江戸時代の『古学』に対する和辻と丸山の解釈を見てみよう。「(和辻が)みずからの発想と共通する性格を(伊藤)仁斎の思想のなかに見いだしたがゆえに、『日本倫理思想史』では共感をこめて紹介することになったのだろう」。

「丸山の助手論文は、朱子学の『思惟様式』に対して荻生徂徠が転換を試み、その新たな『思惟様式』が本居宣長の国学に継承された過程に、『近代意識の成長』を展望するものであった。朱子学、さらには伝統的な儒学思想は一般的に、政治と道徳とを連続したものとしてとらえる。それは、徳の高い者が天命を受けて統治者の位置につき、人々のあいだに秩序をもたらすだけでなく、究極的には道徳的にも向上させるという政治像――和辻哲郎が『人倫的国家の理想』としてとらえたもの――と密接に関連するものであった。これに対して徂徠は、個人の道徳の領域と、政治の活動の領域とを截然と切り分けた。たとえばその政策提言の書『太平策』で、『民ヲ安ンズベキコトナラバ、イカヤウノコトニテモ行ハン』という態度こそが、本当の意味での仁君と言えると徂徠は説いた。これを丸山は『安民といふ政治目的のためには道理にはづれてもいい』という主張ととらえ、『政治の個人倫理の束縛からの赤裸々な解放』を見いだしたのである。一方で秩序全体の安定にかかわる政治の営み、他方で個人の倫理が働く『私的=内面的生活』。この両者がはっきりと分立し、それぞれに固有の価値が認められることが、近代西洋の思想と共通する『近代的=市民的なるもの』の特徴なのである。その成長の萌芽が、荻生徂徠が生み出した『古学派』の儒学思想にはあった。朱子学と『古学』とをめぐる徳川思想史の図式を、丸山の助手論文はそのように描きなおした」。

歯応えのある一冊である。