魔女の本領
モンサントという会社が如何なる手を使い、世界侵略を果たしてきたのか…

モンサント

『モンサント 世界の農業を支配する遺伝子組み換え企業』


最近は多忙を極め文学や歴史論文やらを読む時間がない。その上政治闘争のための準備的な勉強も必要で、苦肉の策として、今日本に必要な闘いの為の資料としての読書を加えることにした。

いまや世界は武力によってだけではなく、食料栽培の支配による占領に支配されている。そのことを改めて警鐘を鳴らす意味で読み、紹介することにした。

今や世界最悪の企業とまで言われているモンサントなのだが、なぜか日本ではほとんど関心を持たれていない。それは研究者も市民も運動家もその点では横一列であると言える。世界各国では遺伝子組み換え作物に至るモンサントの非道な侵略で激甚な被害を出していることから、漸く市民が立ち上がり抵抗を初めている。世界モンサント反対デ―が組織され、死神のアイコンと赤い横断幕で行進する多数の人の映像が見られるのだが、日本では参加者は僅か2,30人に満たず社会的なインパクトはほとんどない。そのことの危険性は本書を読めば背筋が寒くなるほどのものである。さらに日本政府も研究者もが外国の事例の研究も参考することもほとんどなく、モンサントにしてみれば他国に比べれば赤子の手をひねるほどたやすいであろうことを考えると、市民の側のモンサントという会社が如何なる手を使い、世界侵略を果たしてきたのかは知っておかなければ、単に農業を支配されるにとどまらず、命の危機さえ生じさせられる点を今目の前の危機という認識を持てないのではないかと考える。

本書はフランスのジャーナリストで、映像作家の著作で、世界的に大きな注目を浴びた書物である。詳細なモンサントに関わった人物の追跡や被害農民の調査も行なわれていて、単なるプロパガンダになることのないように書かれている。

少々瑣末過ぎて、人物が多数登場するために、読み進むのに苦労するかもしれない。しかしその点はむしろ本書が生易しい覚悟ではない闘いの書物になったことの証になっている。

モンサントとはどんな会社なのか?興味を持っている方々にはいまさらな情報なのであるが、簡単に述べれば、第二次世界大戦後まずDDTという殺虫剤を製造販売したことから始まる。その発明は1939年であるが、1962年にレイチェル・カーソンの『沈黙の春』が告発するまで世界的化学商品であった。1970年初頭になり禁止された。その後、モンサントの名前があらわれるのがPCBである。タービンやポンプ、牛の自動餌やり機等の潤滑剤、貯蔵槽やサイロ、プールの内壁や自動車道路の標識に使われるペンキの成分、さらに金属加工用切削油、溶接財、コピー用紙などにも使用された。PCBは極めて危険な汚染物質で、自然の分解がなされず、食物連鎖を通じて生体組織に濃縮される。自然界も汚染されるわけであるが、人体がこれに触れると肝臓、膵臓、腸、乳房、肺、脳にがんを発症する。日本に置いても鐘淵化学工業(現在のカネカ)が1954年より発売し、カメミ倉庫の「カメネライスオイル(食用米ぬか油製品)の工程過程で混入し「カネミ油症」という科学性中毒を引き起こし大きな社会問題になった。当時の日本ではモンサントの日本人法人三菱モンサントも販売していたが、PCBの危険性について対応した形跡はない。次いで問題となるのが有名な枯葉剤である。ベトナム戦争で大量に使われ多くの悲劇を生じさせた。1960年という早い時期に枯れ葉剤はサイゴンの基地に届いていて、種類ごとに「ホワイト剤」、「ブルー剤」、そして最高の毒性を持つ「オレンジ剤」に区別されていて、このオレンジ剤が南ベトナム政府がアメリカと協力し、使用された。公式見解でもアメリカ政府が供給したと公表されている。その毒性は強烈でベトナムの密林を破壊し、ベトナムの住民を殺傷したばかりでなく、被害は母体から汚染され数え切れない異常出産、つまり生存不可能な胎児がうまれた。それだけではなく米軍の兵士の側にも被害が及び、ベトナム戦争終結後、白血病、癌、異常児の出産が生じた。この枯葉剤の毒性についてモンサントとダウ・ケミカルは不純物の混入によって引き起こされたものという見解を一貫してとり、責任をとることはなかった。これに対して環境団体、被害者等が多くの訴訟を提起していた。裁判の過程でモンサントは自社に有利な証言をするように著名な科学者に接触し科学雑誌に論文を投稿させ、裁判を有利に進めた。このパターンはその後現在の遺伝子組み換え作物の安全性を巡る論議にまで続くモンサントの社会操作の悪質なやり方である。モンサントは科学者にこう言わせている「オレンジ剤が長期にわたって健康に悪影響を及ぼさないことは、信頼に足るすべての科学的証拠が示している」と。1984年、イリノイ州でベトナム戦争の退役軍人たちがおこした裁判において、モンサントの起こした事故責任と原告の健康上の問題との因果関係を原告が証明できないことで不思議な判決が下りた。賠償は僅か1ドルしか認めなかったが、陪審のモンサントの傲慢で無責任な振る舞いに対しての憤慨から「懲罰的損害賠償」1600万ドルが科された。このようにモンサントの振る舞いには疑義があるという印象を多くの人が共有しているのであるが、科学的に証明できない、科学的に問題はないと言う言説で目の前の被害をやり過ごして、モンサントの会社は拡大を続けてきた。

「モンサントの歴史は一連の非常識な出来事から成り立っている。それは産業社会の歴史と不可分である。産業社会はモンサントに対して、有毒な化学物資を可能な限り管理することを強く求める。しかし可能な限り管理するということは、つまり何も管理しなくてもよいということだ。こうして第二次世界大戦後、有毒な化学物質が世界中を覆い尽くすことになった。まともな解決策は、人間や環境にとって危険なあらゆる化学物質の使用を禁止することだろう。しかし産業社会にとって、そんなことよりも、巨大化学企業グループの利益を満足させるほうが重要である。「近代的」生活を営む消費者などしったことか、というわけである。たとえ危険物質を規制するはめになっても、直接的な被害があり、公に知られた場合だけにとどめておくのだ。後は野となれやまとなれ・・・。」と著者は評している。そして見事にそうなって来ている。

ベトナム戦争後、2000年6月、南米コロンビアでアメリカ(またしてもアメリカ)政府のコロンビア計画というコカ栽培を根絶やしにするという作戦が実施された。当時麻薬戦争と言われるほどコカインが蔓延しその原料であるコカ(本来これは原住民の生活の糧出であった)の利益がコロンビア・ゲリラ(反政府ゲリラのことを指すと思われるが、現在和平が成立し、かれらは政党として活動している)に流れているのを阻止するためという、ベトナム戦争と全く同一の論理でコカ栽培を根絶やしにするために枯葉剤が空中散布された。これにより30万人が中毒になった。これに使用された除草剤が「ラウンドアップ・ウルトラ」であることが判明している。この除草剤の名前が現在世界的に問題を起こしている超有名な名前で、いまや日本もその脅威に晒されている。気がつかれたと思うが、モンサントは農業関連の会社ではないのだ。」徹頭徹尾化学薬品会社であることを認識の基本に置く必要がある。この除草剤ラウンドアップ問題に入る前に、モンサントがその化学性を強烈に印象ずけた牛成長ホルモン問題がある。いわゆる遺伝子組み換え牛成長ホルモン、「ホジラック」(商品名はrBGH)。1993年アメリカの食品医薬品局(FDA)はこの薬品の市販を承認した。これ以後この政府機関とモンサントの癒着の構造が続々とでてきるのである。その効能書きは牛乳の増産の可能である。しかし現実はそれとは信じがたい程の乖離であった。乳牛に注射するとその皮膚は壊死し、乳房ははれあがり、膿が原乳に交る。さらに乳牛が次々に死んでゆく事態となった。ここまできてもFDAは動かなかった。モンサントのロビー活動とメディア・コントロールが利いていたのである。また科学者も遺伝子組み換えに警鐘をならす者は中傷され、脅迫や制裁すら受けた。裁判も提起されたが陪審員さえが買収されている。しかしカナダとEUは政府の賢明な判断でストップがかけられた。さらにオーストリア、ニュージーランドでも禁止された。ここに至る間、カナダにおいて内部告発をした科学者3名は解雇されている。そのなかの一名はこう述べている「あの会社は当時、カナダにGMOを投入しようと企てていたところでした。遺伝子組み換えホルモンは、いわばGMOの前哨戦だったのです。すべてうまくいったわけではありませんが、モンサントにとっては市場征服の策略を試すよい機会になったのです・・・」と。ここまでがいわばモンサントにとっての前史といえるのだそうだ。その後は怒涛のように世界支配が進められて行く。

遺伝子組み換え作物による農業支配というシステムが発動されたことの中に特徴的なことがある。即ち特許という概念である。歴史上生物に対して人がそれぞれに管理し開発した過程でそれはいわば自然の恵みであり万人のものであった。遺伝子操作という科学的な手続きが加わったことで、それを特権的に権利を主張する。この枠組みが今や世界を席巻している。モンサントはこの特許という大鎌をふりかざし、農業生産者の自然と融和しながら再生産する仕組みを完膚なきままにたたき壊し、企業利益の前に屍るいるいの世界侵略を成し遂げたといえる。その一方で食品医薬品法の定める毒性試験を逃れるための名乗りとして「ほとんどおなじ」つまり自然界の同種の作物と同一であると主張している。これを「実質的同等性の原則」というのだそうだが、あきらかな詭弁であるが専門家、政府機関はこのレトリックを受け容れてしまう。そして遺伝子組み換え作物は「食品添加物」のカテゴリーから外され、「一般的に安全と認められる」というカテゴリーに分類され、表示義務さえ逃れて行く。このような遺伝子組み換え食品が認可されてゆく過程について、著者は詳細に記述されているが、信じがたい現実である。それはモンサントな悪辣な作戦がいとも簡単に成功して行く過程なのだが、構図は簡単である。まずモンサントの会社に影響力のある著名な学者(中にはノーベル賞受賞者すらいる)を買収し御用学者として各種の委員会に潜り込ませ、その科学者の権威で正確な判断を誤らせ、自社の有利な認可を得る。アメリカのFAOに限らずWHOまでがこの手に踊らされる。御用学者たちは専門科学雑誌「ネーチャー」すら利用する。その際には掲載のためには査読者を買収する。その方法は金銭とは限らずポストであったり、政府の上級ポストであったりする。そして政府機関との密な関係が出来あがると、今度はふたたびその研究者を自社の最上級ポストに迎え入れる。これを「回転ドア」というのだそうだが、ここには科学者としての倫理もなければ専門に対する責任も見られない。こうしてモンサントの遺伝子組み換え作物が市場に出るのであるが、これにはよく知られているように、除草剤ラウンドアップとのコラボレーションが猛威を振るうことになる。即ち除草剤ラウンドアップへの耐性をもつ遺伝子組み換えの大豆を開発し、「遺伝子カセット」として特許を出願する。ここで主張されているのが前述した「実質的同等性の原則」である。出来上がったのがラウンドアップ・レディ大豆である。現在この特許は拡大解釈されトウモロコシ、小麦、米、大豆、綿花、砂糖キビ、ビート、菜種、リネン、ジャガイモ、トマト、ウマゴヤシ、ポプラ、松、リンゴ、ブドウなどに及んでいる。根源的な問題として種子は誰のものなのであろうか?本来種子は自然的な存在で誰のものでもなくそして全ての人のものであった。それゆえ、作物として作る者は収穫した作物の一部を次年度の作付の種として保存し、持続的な農業を行なってきた。しかしモンサントの言い分は違うのだ。「農民たちは翌年に蒔くための種子を保存しています。しかし、このような伝統的実践は、その種子にラウンドアップ耐性遺伝子のような特許対象が含まれている場合、この品種を開発した企業にとって厄介な問題になります」「グローバル市場は、私たちの製品にとって、きわめて競合的」であり、「いくつかの国々で、私たちは国営種子会社と競合している」うえ、「種子を翌年まで保管する農家たちは、わたしたちの競争力に影響を与えている」とモンサントの定期刊行物「プレッジ・レポート」2005年版にはあるのだそうだが、これはとんでもなく控えめな言い分で、これ以後モンサントが農業の現場で行なった数々の強制、裁判、賠償請求、種の押し売り、それに耐えかねた農民の自殺の多発が起きているのである。モンサントはアメリカ本国でのラウンドアップ・レディ大豆の認可の前に狙いを定めていたのはコーノ・スール、つまり南米大陸の南回帰線より南の地域で、標的はブラジルであった。しかしブラジル憲法によってGMO作物の承認には環境影響調査を受ける必要があり、モンサントは標的をアルゼンチンに変えた。当時の政権がお定まりの「規制緩和」を唱えていたために、モンサントの思惑に合致していた。ラウンドアップ大豆は瞬く間にアルゼンチン全土に広がった。しかし家族経営の農業は立ち行かず、多数の農家が農業を離れた。その原因は今や知れ渡っているが、雑草が除草剤の成分グリホサートに耐性を持つようになり、ラウンドアップが増量されなければならず、そのために土地はやせ細り、生産性は先細ってしまった。もちろん環境への負荷が高くなり健康被害が問題視されるようになる。また生物多様性が脅かされモノカルチャーの危機が問題となる。健康被害についてもほとんど救済対象になっておらず、この状況からもとの農業へ戻す手段はとだされている絶望状況である。このGMO大豆に乗っ取られた国はパラグアイ、ブラジルにも広がっている。もちろんこれに対する反対運動も取り組まれているが、パラグアイではドゥアルテ大統領は反大豆運動の人々を犯罪者とみなし、抑圧し、2002年以来数百人の農民が投獄され、数十人が殺されている。警察はGMO反対者に発砲している。

インドに於いては遺伝子組み換え綿花」であるB2の悲惨な状況が明らかにされている。モンサントのCMはこう歌った「ボルガードはあなたを守ります。農薬は少なく、利益は多く!ボルガード綿花は虫を倒します」。在来綿花より4倍の価格で売られているボルガード綿花の種子を入手するために、農民は借金をしなければならなかった。しかしモンサントのうたい文句は偽りであり、虫を殺す力さえ弱かったが農民はモンサントの借金に縛られ、立ち行かなくなり自殺者が多発した。その数1年間に1280人(2005-2006年)、8時間ごとに1名の割だそうである。そして自殺者はモンサントの農薬の服毒であるとのことで、その悲惨さははかり知れない。

ここまで来ているモンサントの被害はいまや単なる環境汚染とか、健康被害とかいう視点とは明らかに異なる次元での対応が必要であろう。まさに遺伝子組み換えという特許技術を武器とした軍事占領に等しい。

そのモンサントへの関心の欠落した日本は次のターゲットであることは明白である。その受け皿作りは既になされている。一つはTPPであり、関連した法案として国民にはその理由が明示されないまま国会で法案が通ってしまった「主要作物種子法」の廃止である。これは戦後一貫して日本の農業を維持してきた米、麦、大豆の種子の改良、保存を放棄した法である。もろにモンサントの遺伝子組み換え種子の導入が見とおされている。また消費者目線で言えばTPPの一条項にあった「遺伝子組み換えでない」という表示が出来なくなるという問題がある。差別化が計れないのだ。一部地方の取り組みには遺伝子レベルで国内の種子のデータを残す努力がされて来ていたが、これが継続され得るのかも疑問である。しかもすでに輸入飼料としての麦、トウモロコシはほぼ遺伝子組み換えのものであることも知られていない。また除草剤のラウンドアップは店頭に並びテレビのコマーシャルも見受けられる。日本の農業関係者、消費者団体も、そして社会構造を変えようとする動きにきちっと対応すべき政治家たちも、モンサントの狙いはまさに新自由主義の露骨な表れそのものであり、明確に反対すべきなのだ。

悪魔の企業、モンサントは世界から消えるべきだ。

魔女:加藤恵子