魔女の本領
雪の2・26の裏側にあったかもしれないお話…

雪の階

『雪の階』


地球が熱でぶち壊れたかとおもうほどの超酷暑。その上体調不良で政治活動ができない。それならば本を読んで・・・とか考えられないほどの暑さである。だいぶ鈍った頭をとろけさせないように、好きな本でも読みながら、体力回復しようかな!というわけで、『雪の階』奥泉 光著を読む。

奥泉光を好きな人って、多くはいないのかもしれないが、いつの間にか芥川賞の選考委員になっているから、その力量は相当に認められているんだろうと思う。私はなぜだか好きで、これまでの作品もかなり読んでいる。「石の来歴」「神器」「シューマンの指」「東京自叙伝」は読んでいるし、その他買ってあるが未読の本もある。好きな理由をちょっと考えてみると、基本がミステリーという点にあるのではないかと思う。その上、背景が昭和であり、さらには軍部とか昭和の政治史が濃厚に詰め込まれている点にあるような気がする。フィクションであるのだが、どこかこれはノンフィクションであってもありうるかもしれないと感じさせる作風の緻密さに惹かれていると言えるかもしれない。

本作も昭和初頭に出発し、怒涛のラストは2・26事件で終わる。主人公は華族の娘笹宮惟佐古、彼女を取り巻くのは主に女性たちで、子供時代に遊び相手として身近に仕えていた「お相手さん」牧村千代子、事件の発端になる親友宇田川寿子。本書を読んだ時、「雪の階」と言うタイトルや主人公の華族の娘とそれに絡む人物のうちのいわゆる軍事の描き方が、どうしても三島由紀夫の最後の作品「豊饒の海」5部作の第一部「春の雪」が思い起こされて、引きずられる印象であったが、最終的にはその印象は華族というもの、軍人、2・26という連想からくるもので、造形された人物は確かに古風で、ステレオタイプではあるが、精神性に置いては個性的で、特に女性の立ち居振る舞いが自律的で男性の思想やら権力やらに見事に対峙しているあり方に、多分当時の女性ではありえないかもしれないが、男性性による政治的な暴発を理性的に阻止得るのは女性の普通の感性であることを思い知らされて、この現代の危機にもかくありたいと思ったぐらいである。

ミステリーのストーリーを紹介するバカはいないからこれは遠慮するけれど、簡単に。笹宮の友人の寿子が富士山の樹海で心中死体で発見される。それに違和感を持った惟佐子が子供時代からの友達である千代子に頼み、死の真相を追って行く。その千代子がカメラマンという設定がなかなかに新鮮である。彼女が頼る新聞記者はなんだか頼りないし、途中、中国へ出張してしまい、何の役目も果たさない。その上優柔不断。主人公たる華族のお姫様は虫愛づる姫のような印象で、ほとんど口をきかないのだが、食虫植物に興味を示し、わざわざ虫を食べさせたり、囲碁がめちゃくちゃに強く、興味は数学というかなり変わっている。抜群の美貌なのだが、自分の部屋からほとんど出ることもなく、不思議な魅力と不気味さを漂わせている。彼女の存在意義はラストに向けて加速度的に意味付けがされてくるのだが、それはなかなか一筋縄ではいかないストーリー展開と言える。

死の真相を探る千代子が鉄道を使って足取りを探す過程がいわゆる鉄道マニアにはなかなか面白いかもしれない。東北本線、日光本線、東武日光線、東海道線、この鉄道を使ってのミステリーは松本清張の「点と線」を思い起こされる。特に戦前の時間表が本当にこうであったかはわからないが、ミステリーの常道でもある。

この主人公の背景をなす時代相も書かれていて、主人公の父親は政治家で天皇機関説排撃の急先鋒である。その妻は主人公にとっては義母で金持ちの実家の財力を狙っての再婚である。その妻は主人公や他の登場人物に比べて、ほとんど存在を意識させるものはない。本作品での主たる登場人物の中ではいたく平板である。女性がいずれもきちっと描けていたので、物足りないのかもしれない。

ストーリーが動き出すのは、ドイツから謎のピアニストが来日し、主人公笹宮惟佐子への面会を求めてきたところから、時代と交差するミステリーへと変貌する。そのピアニストは何やら不可思議な音楽を演奏するのだが、それがドイツの心霊音楽会に関わる音楽で、日本に着いたら惟佐子をたづねるように伝言したのは惟佐子の叔父白雉博充でどうも精神を病んでいるというふうに教えられている人物だがドイツに渡り文化的に著名な人物になっていると紹介されるのであるが、この背景が実は最終的に本書のミステリの肝となるのは、最後の最後に判明する。

このドイツ人ピアニストが変死する。これにはどうも昭和維新を唱えている軍部の陸軍士官が絡むらしい。その黒い影の存在に笹宮惟佐子が気付き始めるのであるが、その中には実の兄惟秀が含まれている。惟秀は近衛連隊の士官で、2・26に深く絡んでくるのであるが、この絡み方が、2・26の正史とはまるで違う。つまり日本の天皇制度を覆す意図を秘めていた。このフィクションの評価をどう考えるかに関係するかもしれない点である。

自殺したとされる寿子は殺されたという確証をつかむために千代子がたどり着いたのは古い尼寺「紅玉院」。その門跡寺には霊能力のあるという庵主に占いに救いを求めて怪しげな人物が集まっていて、その中核をなすのが、陸軍の士官たちで、兄の惟秀の影も見え隠れするのであるが、確証がないまま時間は過ぎてゆく。この間、惟佐子には縁談が持ち上がり、政略結婚であることが分かりながら惟佐子は抵抗することもなく話は進むのだが、天皇機関説の追求で大手柄のはずの父親が娘の結婚相手に選んだ成金の詐欺事件が露見して、失脚してしまう。

そんな中、次第に寿子の殺人に絡む人物が絞られてくる。歴史の歯車は2・26へと向かって行く。しかし、兄惟秀、紅玉院の庵主(実は兄と双子の妹)、叔父白雉博充の考えていたのは、実は自分たちの母方の血統こそが日本の正当な支配者だという認識である。天皇家は渡来民であり、自分たちこそがそれ以前にこの日本を支配していた選民の子孫であり、そのことを示し、血の継続こそが歴史を作るのだという妄想である。

惟秀は2・26の前夜惟佐子を帝国ホテルに宿泊させて、クーデターが起こると宮中に入れるために控えさせる。しかし彼女は兄が実は寿子を妊娠させ、棄て去り、それを苦にして自殺していることを調べ済みで、兄の行動を受け入れた風を装いながら、兄に睡眠薬を飲ませ、結果兄は寝込んでしまいクーデターに参加できなかった。そして兄らの計画も実行されることもなく、2・26は歴史の通りに昭和天皇の意思で、昭和維新はならなかった。そして兄と最後まで一心同体であり(男色関係でもあった)、惟秀の寿子を妊娠させた件の後始末までさせた友人槇岡中尉は笹宮大尉を撃ち、自殺。その理由はクーデターに遅参したことなのか、それとも寿子を愛していた槇岡の私情なのかはわからない。

雪の2・26の裏側にあったかもしれないお話。いやありえないお話だが、奥泉光の筆にかかると結構シリアスに読めるのだが、本書に関して全然新聞も書評にも取り上げられていないのが、私には逆に不気味であった。天皇家を覆す。この裏にあるストーリーがあるいは今の時代に受け入れられなかったのであるとしたら、平成最後の年に、何か不気味に感じられてならない。

魔女:加藤恵子