情熱の本箱
ある貴族が、諦めるために、憧れの女性の便器を奪い取って中を覗いたが――― :情熱の本箱(268)

ある貴族が、諦めるために、憧れの女性の便器を奪い取って中を覗いたが―――


情熱的読書人間・榎戸 誠

『日本霊異記 今昔物語 宇治拾遺物語 発心集』(池澤夏樹編、伊藤比呂美・福永武彦・町田康訳、河出書房新社・池澤夏樹個人編集 日本文学全集)には、105篇の説話が収められている。

正直に言うと、『宇治拾遺物語』の町田康の、あまりにも現代的な現代語訳には驚かされたが、古典を若い人々に親しませるためには、こういう方法もありかもしれない。

『宇治拾遺物語』の「奇怪な鬼に瘤を除去される」はお伽噺「こぶとりじいさん」の、「雀が恩義を感じる」は「したきりすずめ」の、「長谷寺に籠もった男が利得を得た」は「わらしべ長者」の原話であり、「絵仏師の良秀(りょうしゅう)は自分の家が焼けるのを見て爆笑した」は、芥川龍之介の『地獄変』に題材を提供している。また、「伴大納言が応天門を燃やした」は絵巻物『伴大納言絵詞』との関連性を想起させる。

これらはいずれも興味深いのだが、私が思わず、これぞ『宇治拾遺物語』の世界だと膝を打ったのは、「平中が本院侍従にやられる」と「新妻が平仮名の暦を作って貰ったら大変なことになった話」である。

「割と前のこと。兵衛佐平貞文、通称・平中(へいちゅう)という人がいた。この人は激烈に女に持てて、それが貴族の女はもちろんのこと、一般の町の娘でも、いいな、と思うと関係を持った。といって強引なことをしたわけではなく、顔もいいし、歌もうまい貴公子だから、向こうも喜んで付き合ったのである。ところが、村上天皇の母后に仕える女房に本院侍従と呼ばれる女がおり、激烈にいい女と評判の女だったが、この女だけは、平中がいくら言い寄っても、なにをしても靡かなかった。手紙を送るなどすると、いい感じの返事は来る。けれどもよく読むと、そのいい感じはあくまでも表面上の修辞であって、実際にはおまえのことなどなんとも思っていない、ということがよくわかるように書いてあり、その意味で二重に巧みな手紙だった」。

「そうなると、どうしても自分のものにしたくなってくるのだけれども、そんなことの繰り返しで事態はまるで進展せず、平中は、『まあ、しかしいずれは気持ちが通じるときが来るはずだ』と、ともすればおかしくなりそうな自分の精神を鎮めつつ、例えば、すべてのものが紅く染まって情感の昂まる夕暮れ時や、青い月の光が人の精神・神経を昂ぶらせる月が満ちて空気が澄んだ夜など、こんなときなればさすがのあの女も雰囲気に流されるのではないか、と企図して訪問してみるのだけれども、どうもはかばかしくないのは、世間の目があるところでは、すげない態度を取って、薄情な女、と思われるのを防止するために、まあまあいい感じなのだが、うまいこと言って逃れるというか、口にしてノーとは絶対に言わないのだけれども、どう考えてもこれはノーでしょうみたいな、でも表面上は優しく応対しているみたいな、おちょくった態度を取られ続けたからであった」。

平中はいろいろ試みるが、うまくいかない。「そしてついに平中は決心した。女を諦める決心である。・・・平中は、随身、すなわち、常に自分の身近に居て警備を担当し、また、秘書的なこともする若い男を呼んで言った。『こうこうこうこうこういう訳で、僕は本院侍従を諦めることにした。それについてひとつ君に頼みたいことがあるんだがね』。『はい。なんでしょうか』。『あの人の便器を盗んできてもらいたいのだ』。『はあ?』。『いや、だからね、あの人が便器で用を足すでしょう。そうすると掃除係がそれを処理するために部屋から持って出るでしょう。おそらく革張りの箱に入れて持って出るはずです。それを奪い取って僕に見せてください、とこう言っているのです』。と言うといちいち便器を持ち出すのか、と不思議に思うかも知れないが、あの頃、貴族の邸宅ではそういう風にして排泄物を処理していた。持ち運びのできる便器に用を足し、それを係の者が持ち去って処理をしていたというわけである」。

「随身は便器の入った革張りの箱を盗むために女性の住む邸宅に潜伏し、数日間、様子を窺い、ようやっと革張りの箱を持って庭を通る掃除係を見つけ、これを奪わんと飛び出し、突然のことに驚いて逃げる掃除係を追い詰めたうえで、これを奪い取って平中の邸宅に持ち帰った」。

平中は喜び勇んで、箱の中を見入る。「なんということであろうか、箱のなかには、香木を濃く煮詰めた水と丸めた練香が入っていた。これでは、よい匂いがして当然である。見た目はまさにアレなのだが。それを見た平中はもうなにも言えなかった。なにも考えられなかった。『穢いものを見て諦めようと思ったのに、こんな鮮やかなことをする。一体全体なんという女か。どこまで人の心というものを知り尽くしているのだ』と、ただ死ぬほど思い詰めるばかりだった。そして女を思いきることができず、半ばは発狂した状態で恋い焦がれ続けたが、結局のところ思いを遂げることはできなかった。『持て男、と言われた私だがあの女にだけはマジでやられた』と、平中は人にこっそり語ったという」。

本院侍従の何とも鮮やかな機知と手際がプ〜ンと香ってくる説話である。

「これもかなり前の話。ある人の新妻が、人に紙を貰い、その紙をくれた人の家にいた若い僧に、『平仮名で暦を書いてください』と頼んだ。この若い妻は漢字が読めなかったからである。『おやすいご用です』。そう言って僧は暦を書き始めた。最初の頃は真面目に、神事仏事をするとよい日、なにをしても凶で外出もやめた方がよい日、最凶の忌み日、なんて書いていたのが、だんだん飽きてきて、最後の方になると、ご飯を食べたらあかん日、歩いていて猿を見たら大食いする日、など、ふざけたことを書き始めた」。

「できあがった暦を見た新妻は、おかしな暦だわ、と思ったが、まさか完全なデタラメだとは思わないから、これをいちいち守っていた」。

「そんなある日の朝、暦を見ると、『大をしたらあかん日』と書いてあった。まさかそんなアホなとは思ったが、自分にはわからない理由があるのだろう、と思い、便意を堪えてその日は耐えたが、なんということであろう、その次の日も、その次の日も、その次の日も、延々と、『大をしたらあかん日』が、まるで何日も続く忌み日のように続いて、最初の二日三日は、気合いで耐えたが、四日目ともなるともうどうにも我慢が出来なくなり、俯せになった姿勢で、尻を高く上げ、両手でこれを押さえ、『どうしよう、どうしよう、出るうっ、出るうっ』など譫言を発して悶え苦しんだ挙げ句、『ああああああっ、だめええええええっ、出るうっ、あっ、あっ』と、ひときわ甲高い声で叫んだかと思ったら、ぶりぶりぶりぶりっ、という音とともに大量に洩らし、そのまま気絶してしまったらしい。悲しいことである」。

占いなどに自分の運命を決めてもらいたがる人が大変な目に遭ってしまったという、現代でもあり得る悲しくも臭いにまみれた説話である。

編者・池澤夏樹の「人間というもの、いつも欲望に突き動かされて、俗悪で強欲で、性愛の誘惑には弱く、それでいて一身を捨てて他人の幸福を願うこともあり、その生態はまこと雑然とし、混乱・矛盾している。説話というのはそのすべてを表現できる形式なのだろう」という解説に、深く頷いてしまった私。