情熱の本箱
松岡正剛は、序破急の魔術師だ:情熱の本箱(271)

松岡正剛は、序破急の魔術師だ


情熱的読書人間・榎戸 誠

『千夜千冊 面影日本』(松岡正剛著、角川ソフィア文庫)を読了した時点で、松岡正剛は序破急の魔術師であることを再認識した。

松岡の書評の「序」、すなわち導入部では、その書籍に絡む自身の体験が語られる。

例えば、『忠誠と反逆』(丸山眞男)の書評は、このように始まる。「丸山眞男嫌いだった。最初に『現代政治の思想と行動』を高田馬場の古本屋で買って読んだ。次に岩波新書の『日本の思想』を『これ、読みなさい』と武田泰淳に言われて読み、さらに『日本政治思想史研究』を読んだ。きっと何も掴めていなかったのだろう。どうにもピンとこなかった」。

次の「破」、すなわち展開部では、その書籍を巡る古今東西の知識が総動員される。

『山家集』(西行)を論じるに当たり、ジャック・ラカンが引っ張り出される。「<心から心にものを思はせて 身を苦しむるわが身なりけり><惑ひきて悟り得べくもなかりつる 心を知るは心なりけり>。これなのだ。ここに西行の根本があったのではないかと思う。心のことは心にしかわからないと言っているのではない。ジャック・ラカンではないが、心は心に鏡像されていると見抜いたのだ。試みにこの二首をつなげてみるとよい。『心から心にものを思はせて→心を知るは心なりけり』。これが西行の見方の根本にあることなのである。これはまさに今日の認知科学がやっと到達した見方に近い。西行はそれを端的に喝破していた」。

『方丈記』(鴨長明)の背景として、藤原定家の冷たい仕打ちが明らかにされている。「定家の『明月記』を見るかぎり、長明の歌は定家によって無視しつづけられた。長明はかくて歌人としての名声は得られなかったのである。・・・こうして長明は出家遁世した。<家を出て、世を背けり>だ。ついに覚悟した。五十歳のころだった。・・・五八歳のときに『方丈記』を綴りはじめた」。

『徒然草』(吉田兼好)の味わい方では、与謝野晶子に出番が回ってくる。「その言葉をチューインガムにしたまま、散歩に出たり、車窓の外を眺められるのが『徒然草』なのだ。読み耽るわけではなく、口に入れたまま読める。それが本を噛むということだ。これを教えてくれたのは意外にも与謝野晶子である。晶子の『徒然草』現代語訳を読んで、その含蓄にひたすら驚いた。それがずっと残響して『徒然草』を何度も読めるようにしてくれた。ちなみにあえて断言しておくが、いまもって晶子を凌駕する現代語訳の文はない」。松岡にここまで言われて、与謝野晶子訳『徒然草』を読まないで済ますわけにはいくまい。

そして、「急」、すなわち結末部では、その書物の本質を鋭く剔抉する。しかも、その結論は松岡特有の独自性に満ちており、松岡が創出した新鮮かつウィットある言葉で表現される。

『枕草子』(清少納言)は、このように位置づけられている。「ようするに、言いたいことを大小、長短、内外に自在に分けて、まったくもって清少納言は勝手気儘に自分の好みを言いたいほうだいなのである。清少納言の話題はほとんどおばさんやお姉さんの井戸端トークに近く(宮中井戸端だが)、その中身は嗜好談義である。『好み』に類するものだ。何が好きで何が嫌いなのかをはっきりと言う。言いながら、すばやく比較を入れる。これはのちのちの数寄の趣向の先駆ともいうべきで、アディクション(嗜癖)とはいえ、『好み』の『取り合わせ』がさすがなのである。それが世事に速く、ファッショナブルで、それでいて情け容赦ない。・・・たんなる連打ではなく、清少納言は、巧みに大喜利のようなユーモアもとりこんでいる」。

『和泉式部日記』(和泉式部)の和泉式部論では、現代人がぞろぞろと登場する。「和泉式部が日本の歌人の最高峰に耀いていることも言っておかなくてはならない。こんな歌人はざらにはいない。わかりやすくぶっちゃけていえば、与謝野晶子は和泉式部なのだ。・・・晶子ばかりではない。樋口一葉も山川登美子も、生方たつゑも円地文子も馬場あき子も、和泉式部をめざしたのだったろう。きっと岡本かの子も瀬戸内寂聴も俵万智も、ユーミンも中島みゆきも椎名林檎も、その後の和泉式部なのである。恋を歌った日本人の女性で和泉式部を詠嘆できない者がいるとはぼくにはおもえない」。

私も、松岡を真似て、今後は書評に序破急を取り入れようと密かに考えている。