情熱の本箱
『忘れられた巨人』で、カズオ・イシグロは何を訴えたかったのか:情熱の本箱(291)


『忘れられた巨人』で、カズオ・イシグロは何を訴えたかったのか


情熱的読書人間・榎戸 誠

寡作で知られ、一作ごとに新たな作風に果敢に挑戦することを自分に課しているカズオ・イシグロという作家は、文学界の修行僧を思わせる。『忘れられた巨人』(カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫)では、ファンタジー的要素を存分に取り込んでいる。

5〜6世紀に、ブリテン島(グレイト・ブリテン島)に住むケルト系のブリトン人を率いて、侵略してきたゲルマン系のサクソン人を撃退したとされる伝説上の人物・アーサー王の死後間もなくという時代に舞台が設定されている。

ブリトン人のアクセルとベアトリスという老夫婦は、記憶がもう一つ定かではないのだが、自分たちの下を去った息子に会うため、長年暮らした村を後にする。ブリトン人が後ろ盾としている雌竜・クエリグを殺すことを自分たちの王から命じられているサクソン人の勇敢な若い戦士・ウェスタン、悪鬼に噛まれた者はいずれ悪鬼になるという迷信から、ブリトン人たちに迫害され、ウェスタンに助け出されたサクソン人の少年・エドウィン、雌竜を守ることを自らの使命と考えている、アーサー王の甥の老騎士・ガウェイン卿、サクソン人と戦うため修道院に集う大勢のブリトン人修道僧たち、不思議な船頭、悪鬼、薄気味わるい妖精、人々の記憶を奪う息を吐き続ける雌竜などとの――その旅の途上における、さまざまな出会いが描かれていく。

繰り返される民族間の対立・抗争を終わらせるにはどうすればいいのか、自分の過去を知ることが幸せなのか、知らないままのほうが幸せなのか、相手の不倫も寛容に許すのが愛なのか――民族間の対立、記憶、愛について、君は真剣に考えたことがあるのかと、イシグロは問い掛けているのだろう。