情熱の本箱
本書のおかげで、なぜ、ベンヤミンが知識人たちに人気があるのか、朧げながら分かってきた:情熱の本箱(297)

本書のおかげで、なぜ、ベンヤミンが知識人たちに人気があるのか、朧げながら分かってきた


情熱的読書人間・榎戸 誠

『ヴァルター・ベンヤミン――闇を歩く批評』(柿木伸之著、岩波新書)を読んでよかったと思うことが、3つある。

第1は、なぜ、知識人たちの間でヴァルター・ベンヤミンの人気がこれほど高いのか、その背景がぼんやりと見えてきたこと。

ベンヤミンという人物からは、戦争とファシズムに直面せざるを得ない厳しい状況の中で、どのように生きればいいのかを徹底的に考え、そのための方法を求めて懸命に知識を渉猟した「知の蒐集者」いう印象を受ける。思想家とか批評家というのは、彼の一面しか表していないように思えるのだ。

その知の蒐集に没頭する姿勢に、知識人たちは惹かれるのではないか。そして、その蒐集した知を自らの思想に昇華するに至らぬうちに自死せざるを得なかったベンヤミンの無念さに共感するのではないか。

第2は、ベンヤミンの最期に至る状況が明らかにされていること。

「(フランスのマルセイユからスペインを経てアメリカへ亡命しようとしていた)ベンヤミンは、フランスからの出国ヴィザだけは得ることができなかった。それゆえ、彼はピレネー山脈を越えて、非合法にスペインに入るほかはなかった。・・・(ハンナ・)アーレントに手持ちの原稿の一部を託したとき、ベンヤミンは自分の企ての危険さを予感していたかもしれない。しかし、当時の彼には、ピレネー越え以外の道は考えられなかった。・・・心臓を病んでいた彼には、急な勾配を登ることは辛かった。(重そうな書類鞄を提げた)彼は、10分歩いては1分休むというペースで、ゆっくりと山道を進んだという。その結果、スペイン側の国境の街ポルボウに辿り着いたときには、すでに陽が傾き始めていた。夕刻、重い足取りで向かった国境警察の詰め所でベンヤミンの一行を待っていたのは、恐ろしい通告だった。当局はマルセイユで発行されたヴィザを尊重せず、フランス政府の発行した出国ヴィザを持たない者は、フランス側へ強制送還するというのである。(ユダヤ人の)ベンヤミンにとってこのことは、わが身と原稿がナチスの手に渡ることを意味していた。それは、彼が何を措いても避けようとしていたことだった。監視下での一夜の滞在を許されたホテル、フォンダ・デ・フランシアの一室で、ベンヤミンは夜遅く、隠し持っていた致死量を超えるモルヒネを嚥んだ。そして、1枚の書き付けを同行者に渡して意識を失ったという。『出口のない状況に置かれ、けりをつけるほかなくなってしまった。私が生を終えようとしているのは、誰ひとり私を知る者がいない、ピレネー山脈の小さな村だ』。(テーオドア・W・)アドルノに宛てたこの言葉を伝えて、ベンヤミンは48年の生涯を閉じた。1940年9月26日のことだった。彼が命よりも大切だと語った鞄のなかの原稿の行方は、今も判っていない」。

第3は、ひたすら本を読み、周りを丹念に観察することによって知識を吸収するという私の知識蒐集法があながち間違いではなかったと、独断ながら思えたこと。

余談だが、知識蒐集に明け暮れるベンヤミンが、女性たちに惚れ込みやすい人でもあったことを知り、妙に親近感を覚えてしまった。