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平安時代の貴族は、一夫多妻制ではなく、一夫一妻制であった:情熱の本箱(312)

平安時代の貴族は、一夫多妻制ではなく、一夫一妻制であった


情熱的読書人間・榎戸 誠

『源氏物語の結婚 – 平安朝の婚姻制度と恋愛譚』(工藤重矩著、中公新書)から、3つのことを教えられた。

第1は、平安時代の貴族は一夫多妻制ではなく、一夫一妻制であったこと。

「平安時代の婚姻制度は一夫一妻制であった。正式に結婚した妻とそれ以外の女性たちとの間には、妻としての立場、社会的待遇等において大きな差があった。夫婦は同居し、妻以外の女性とは同居しないのが原則である。それゆえ、妻ではない女性には、男の訪れを待つ以外に男と逢う手段がない。男とその『通い』を待つ女との男女関係を『通い婚』というのは、婚姻制度の面からは不適切な用語であり、もとより平安時代の一般的夫婦の婚姻形態でもない。そうして、そのような妻以外の女性たちと男との関係が、恋愛物語や日記文学の主たる対象になっているのである」。

「律令的な意味での妻とそれ以外の女性たちとの間には社会的待遇に明確な区別があり、とくにその子の扱いには、昇進速度や結婚相手等に大きな差があった。それゆえ、その女性が妻なのか、そうでないのか、その子が妻の子(嫡子)か、妻以外から生まれた子(庶子)か、その違いがきわめて重要なのである」。

「男女関係としては、妾の他にも、愛人(この用語は平安時代の用語ではないが、妾ほどの継続性がなく、一時的な男女関係を仮に愛人と称しておく)・召人(めしうど。主従関係の中に生じた男女関係で、いわゆるお手つきの女房。これは平安時代の用語)等がある。ただし、愛人や召人は広い意味でも『つま』の範囲ではない、男の興味がなくなればそれで終わりという関係である。とくに召人はあくまでも使用人であって、恋人の数にもはいらない。この他にも、行きずり、密通等々、男女関係のさまざまは、いつの時代でも同じである」。紫式部が藤原道長の召人であったことは、よく知られている。

第2は、『源氏物語』は、光源氏に深く愛されながらも、一夫一妻制のもとで、正妻ではない紫の上の悩みを描いた物語であること。

「当時の読者は、正妻がいての妾・愛人等の立場の過酷さはよく知っている。・・・だからこそ、紫式部は、若紫(紫の上)は正妻葵の上が死んだ後に源氏と男女関係が始まると構想し、その後も源氏には正式な再婚はさせず、巧みに状況を設定しつつ他の女性を排除して、ついには紫の上をあたかも正妻であるかのように描いてきた」。しかしながら、紫の上は、あくまで妾に過ぎないから、悩みが尽きないのだ。

第3は、光源氏の正妻・葵の上が亡くなった後、正妻になり得る資格を持つ朝顔の姫君が、『源氏物語』の中で担った役割が示されていること。この朝顔の姫君は、源氏に何度も言い寄られながら、遂に靡かなかった珍しい姫君で、『源氏物語』に登場する姫君の中で、私の一番好きな女性である。

朝顔の姫君は式部卿宮の娘で、式部卿宮は桐壺帝の弟なので、朝顔の姫君と源氏は従兄妹の関係にある。

「(源氏の愛人)御息所の轍は踏むまいと思う賢さ、それが紫式部が朝顔の姫君に与えた性格である。朝顔の姫君は葵祭の日に父式部卿の桟敷から源氏を見る。姫君は、これまでの手紙の遣り取りで源氏の気持はわかっていたが、容姿を目のあたりにして、どうしてこんなにも美しいのだろうと心をひかれている。だが、これまで以上に『近くて見えむ』とまでは思わない。『近くて見えむ』とは、近づいた状態で男に見られること。要するに源氏と男女関係を結ぶところまでは考えないということである。朝顔の姫君は常に感情よりも理性が勝っている。それでも源氏は諦めていないので、葵の上の喪で左大臣邸に籠もっていたときも、朝顔の姫君に歌を贈っている。返歌もあった。だから、葵の上が死去した今、式部卿の姫君は源氏の再婚相手となり得る。世間も源氏が朝顔に和歌を贈ったりなどしていることを知っている。朝顔の姫君には結婚の意志はなさそうだが、源氏の接近は続きそうだ」。

「葵の上の歿後、再婚候補として噂になった朝顔の姫君は、折しも賀茂の斎院に選ばれて結婚は不可能な立場になった。その朝顔の姫君は父式部卿宮の薨去にともない斎院を退いて、故父宮邸に叔母の女五宮とともにいた。女五宮は叔母にあたるので、源氏は弔いを兼ねてしばしば故宮邸を訪れるようになる。老いたる女五宮への慰めもそこそこに、源氏は朝顔の姫君に『斎院を退いた今は、もう神の諫めは断りの口実にできませんよ』と、昔からの恋情を訴える。賢い朝顔の姫君はそれに靡くことはないが、源氏の訴えはその後も続き、姫君も折々には気の利いた和歌を返したりなどしていた。・・・その噂を耳にして、紫の上は『まさか、そんなことは』とは思ったが、よく注意して源氏の様子を見ると、心ここにあらずで、普通ではない。どうやらこれは本気らしいと思うと、紫の上の心は乱れる。もし朝顔の姫君と源氏が結婚したら、紫の上はどうなるか」。

「朝顔の姫君は、故父宮が(源氏と)結婚させてもよいと思っていた昔でさえ、それはあり得ないことと思っていたのに、年老いた今になっては、声を聞かせるのも恥ずかしいと思うので、まったく心を動かす気配はない。朝顔の姫君は掾に流されることなく、どこまでも賢い。やむなく源氏は和歌を詠み交わし、恨み言を残して帰って行く」。さすがの源氏も、朝顔の姫君のことは諦めざるを得なかったのである。

『源氏物語』における朝顔の姫君の役割についての、著者の鋭い指摘は本書の白眉であると、私は考えている。「朝顔の姫君の役割は、源氏との正式な結婚の可能性をもつ女性として登場することで、紫の上のつまとしての立場の危うさを確認することにある。一度目は賀茂の斎院に指名されて危機は回避されたが、紫の上の立場が安定したかに見えた頃に再度登場し、紫の上にその立場が必ずしも安定してはいないことを思い知らせた。紫の上自身も自分の立場の危うさを明確に自覚している。(物語の)構想的にいえば、大団円の前に朝顔巻で今一度紫の上の(弱く危うい)立場を確認したということになろう。朝顔の姫君は紫の上を揺さぶる役ではあるが、源氏と結ばれてはいけないので、その性格を思慮深く、賢く、決して源氏に靡かない性格に設定されているのである」。

『源氏物語』には、中流貴族の娘で、どう足掻いても上流貴族の正妻にはなれない紫式部の複雑な思いが詰まっているのである。