情熱の本箱
『ミドルマーチ』という19世紀のイギリスの長篇小説は、そんなに凄い作品なのか:情熱の本箱(368)

  

情熱的読書人間・榎戸 誠

小説読解入門――「ミドルマーチ」教養講義』(廣野由美子著、中公新書)は、19世紀のイギリス女性作家ジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』という長篇小説を題材として、小説技法の面と小説読解の面から熟読玩味しようという意欲的な著作である。

小説技法篇は、プロローグ、題辞、語り手の介入、パノラマ、会話、手紙、意識の流れ、象徴性、ミステリー/サスペンス/サプライズ、マジック・リアリズム、ポリフォニー、部立て/章立て、クライマックス、天候、エピローグ、一方の小説読解篇は、宗教、経済、社会、政治、歴史、倫理、教育、心理、科学、犯罪、芸術――に亘るという凝りようである。

例えば、「心理」には、こういう一節がある。「『ミドルマーチ』では、女主人公ドロシアは、偉大な人物に献身する人生を夢見て、学者カソーボンと結婚したが、結局夢は破れ、夫の死後、自分の地位や財産を使って、地域の人々のためにできることをしようと努めながら生きていく。リドゲイトが窮地に陥ったときにも、ドロシアはただひとり彼を助けるために尽力する。そのさなかに、ドロシアはラディスローとロザモンドの親密な関係を知って衝撃を受けるが、個人的な悩みを克服して、自分にできる具体的な何かへと目を向け、引き続きリドゲイト夫妻のために奔走する。結局ドロシアは、地位も財産もない社会運動家ラディスローと結婚し、善意によって周囲の人々に影響を与えながら生きていくことに、意味を見出すに至るのである。・・・(『夜と霧』の著者ヴィクトール・)フランクルが示したこの図を参照するなら、エリオットの作品のストーリーは総じて、成功を求めて水平方向の座標軸上を移動しつつ生きていた主人公が、垂直方向の動きへと転じ、絶望から『意味の発見』へと上昇して行くという形を示していると言えるだろう。ドロシアのストーリーとリドゲイトのストーリーの相違は、ドロシアが水平方向から垂直方向へと転じることができたのに対し、リドゲイトにはそれがかなわなかった点である。このように、エリオットの文学は、のちにフランクルが体系化することになる実存思想を、舞台的な物語という形ですでに先取りしていることがわかる」。

「『ミドルマーチ』は、分冊刊行により1871~72年に発表された当初から、イギリスにおいてすでに文学的評判が定着した作家の作品として、称賛をもって迎え入れられた。外的世界の出来事を描きつつ、登場人物たちの内的世界に焦点を当てることにより、人間に関する洞察を深めた『ミドルマーチ』が、同時代の小説のなかでも傑出した作品であることは、多くの批評家たちによって認められた。その一方で、ドロシアがカソーボンとの結婚を決意した不自然さや、語り手の風刺の辛辣さ(とりわけ、当時の価値観では魅力的な女性とされたロザモンドのような人物に対する語り手の敵意ともとれる厳しい態度)、作品に含まれたメランコリックな懐疑的雰囲気などに対する、戸惑いや批判の声も、当時の批評のなかには混じっていた。・・・1919年、エリオットの生誕100年を記念した評論で、イギリスの作家ヴァージニア・ウルフは、『ミドルマーチ』を、『大人のために書かれた数少ないイギリス小説のひとつ』と呼んで、成熟度という観点から、この作品を英文学のなかで位置づけ直した」。

「『地方生活についての研究』という副題を持つこの小説は、個人の問題から社会全体の問題に及ぶ広範囲な領域にわたって、多面的に取り組んだ作品であり、その分析の鋭さや洞察の深さは、文学作品でありつつもまさに『研究』と呼ぶに相応しい域に達している」。

浅学にして、本書を読むまで、私は『ミドルマーチ』という作品も、エリオットという著者も知らなかったが、光文社古典新訳文庫・全4巻の『ミドルマーチ』の訳者である廣野由美子にここまで言われると、『ミドルマーチ』そのものを読まないで済ますわけにはいかない気持ちになっている。

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