情熱の本箱
私を死の恐怖から解放してくれたエピクロスの思想を長詩にまとめたルクレティウスの写本を千数百年ぶりに再発見した男がいた:情熱の本箱(374)

  

情熱的読書人間・榎戸 誠

一四一七年、その一冊がすべてを変えた』(スティーヴン・グリーンブラット著、河野純治訳、柏書房)は、五重塔のような珍しい構造の著作である。

一番下の第1層は、私が2021年に、9年前に刊行されたスティーヴン・グリーンブラットの著作『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』を貪り読んでいる段階。

「千数百年間すっかり忘却されていたエピクロス主義の紹介者ルクレティウスと、ブックハンターとしてのポッジョ(・ブラッチョリーニ)との遭遇が(本書の)テーマである。いわば思想の媒介者・紹介者としての二人が、たまたま出会うにいたった不思議な経緯の物語である。それなら大したことでもない、と思われるかもしれない。しかし、もしこの二人の『出会い』が、じつは西洋の、いや世界の歴史を根本から変えてしまったとするならばどうだろう。それだとすれば、だれにも無視できまい」。

学術的には重要だが、読み物としては地味な内容を、これだけワクワクさせながら読ませるグリーンブラットの筆力は尋常ではない。私の長い読書生活を通じて、間違いなくトップ10入りする書物である。

第2層は、グリーンブラットが、15世紀イタリアの人文主義者・ブラッチョリーニの生涯を、『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』に持てる能力を総動員して書き記している段階。

ブラッチョリーニ(1380~1459年)は「フィレンツェ南東部の街モンテプルチャーノ近郊の中層階級の家に生まれ、アレッツォで法律および人文学を学んでから、フィレンツェにやって来て公証人の仕事に就いた。ついでフィレンツェの書記官長であったコルッチョ・サルターティの推挽で教皇庁の秘書官ポストを得てローマで勉学を重ねたが、その後ヨーロッパ各地の修道院などをめぐり、多くの古代写本を再発見し筆写した」。著書に『フィレンツェ史』などがある。

第3層は、ブラッチョリーニが1417年に、幾多の困難を乗り越えて、遂に、ドイツの修道院で、古代ローマの哲学者・ルクレティウスの哲学叙事詩『物の本質について』の写本を再発見する段階。

この段階は、読み出したら止まらない推理小説のように刺激的に、そして、ドキュメントのように臨場感豊かに描かれている。

第4層は、エピクロスの信奉者・ルクレティウスが紀元前1世紀に、紀元前4~3世紀の古代ギリシャの哲学者・エピクロスの思想を、畏敬の念を持って哲学叙事詩にまとめる段階。

「ルクレティウスは、紀元前1世紀初頭に生まれ、前55年頃死去したラテン詩人だが、その生涯はほとんどわかっていない。ギリシャの哲人エピクロスの教えを忠実に伝えようとした長詩『物の本質について』でのみ有名である」。

「(『物の本質について』には)きわめて危険な思想が美しい詩によって記されていた。なんと宇宙は神々の助けなどなしに動いており、神への恐れは人間生活を害するものであり、人間を含む万物はたえず動きまわる極小の粒子でできているという。そしてこうした考え方がルネサンスを促進し、ボッティチェッリに霊感をあたえ、モンテーニュ、ダーウィン、アインシュタインの思想を形作ったのである」。

第5層は、エピクロスが紀元前4~3世紀に、自分のユニークな思想を発表し、弟子たちに伝える段階。

「ルクレティウスの哲学上の救世主エピクロスは、紀元前342年の終わり頃、エーゲ海に浮かぶサモス島に生まれた」。紀元前270年に71歳で死去。

「エピクロスの原子論的な自然学というのは、宇宙に存在する万物はそれ以上分割できない原子と何もない空間から成っており、無限にある原子が無窮の空間を運動しながら互いに衝突・結合することによって物質が構成されると説く」。

エピクロスの原子論、無神論は、もちろん重要であるが、それにもまして、エピクロスは私を死の恐怖から救い出してくれた恩人である。エピクロスは、「霊魂は滅びる」、「死後の世界は存在しない」、「われわれにとって死は何ものでもない」、「人生の最高の目標は、喜びを高め、苦しみを減ずることである」と説いている。

エピクロスの「私が存在する時には、死は存在せず、死が存在する時には、私はもはや存在しない」という言葉を知った時、私は長年悩まされてきた死の恐怖から解放されたのである。死んだ人間には感覚が一切なく、母胎に宿る前の状態と同じだ。従って、死んでいることは存在していないことと変わりない。自分が生まれる以前のことを怖がる人はいないのに、なぜ死を思い悩むのか。私たちの生涯が始まる前の何十億年に亘って支配していたのと全く同じ無感覚状態なのだ。一度このことに気づけば、死の不安はなくなる。死に対する恐れは、想像力が生み出す妄想に過ぎないのだ。死の恐怖にどう対処するかは、人によってそれぞれであろうが、私自身は、このエピクロスの考え方に沿って生きよう、そして死を迎えようと、自分なりの覚悟ができた。エピクロスのおかげである。

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