笑う
アジのひらきをくわえる美少女

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『笑う大天使』川原泉

「笑う」は、川原泉畢生の大テーマである。アイススケートのペア競技を描いた『銀のロマンティック…わはは』、地方の甲子園球児と監督が遠征する『甲子園の空に笑え』、そして本書、〝ごきげんよう〟の行き交う女子学園が舞台の『笑う大天使(ミカエル)』。いずれも、彼女のもう一つの大テーマ「(〜でも)ええじゃないか」が軸となっていて、何かと時勢や周囲に合わせたがる女子たちの福音書として長年愛読されている(はずだ)。

著者の分身である登場人物たちは、身のほど知らずと勘違いと自己陶酔(とくに西洋カブレ)を徹底的に嗤う。そして、分や器や場を弁えて長いものにあっさり巻かれる人を応援する。たとえば、人前では猫をかぶって少食を貫き、叢に隠れて好物のアジのひらきをくわえる美少女、努力に見合わない芸術至上主義や根性論には背を向けて本道を行くスポーツ選手たち。今やそれらは笑いの基本だが、小泉今日子が「なんてったってアイドル」で初めてやったのと同じことを、少女まんが史上初挑戦した作品だったことは記憶されていい。「絵に描いた世界」を笑いのタネにすることで、間に合う内に自分の「身の丈」を取りもどそうとしたのだ。

大人になった今読むと、それらは現実逃避のコップの中にわざわざ波を立てる体の反逆でもあり、ニッポンのジョーシキ・リョーシキに安易に帰ることにも鼻白む。せいぜい「退却の美学」や「ローカリズム」を予告していたことにのみ点をあまくしたくなるが、博覧強記のカーラ君のことだから、これらは「何人も自分の能力以上のことをする義務はない」とのローザ・ルクセンブルグへのオマージュ(わはは)だったのかもしれない。(oTo)

【五感連想】