魔女の本領
『シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店』シルヴィア・ビーチ を読む!

シェイクスピアカンパニー

『シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店』シルヴィア・ビーチ


非常に有名な本であり、題名だけは知っていて、ずいぶん前に古本屋で5000円も出して買ったまま本棚に積んであったものだ。すごい誤解をしていた。これは、イギリスの古本屋の事を書いた本だとばかり思い込んでいたのだ。読んでおられた方がいたら、誠に恥ずかしい。

人間は思いもかけずに信じられないような重要な役割を果たして生き、しかもそのことが報いられることもなく過ぎて行く。そんなことがあり得るのだという不思議に、名誉とか成功とかいうものがそれほど重要なものではないのではないかとおもわせてくれた本である。

シルヴィア・ビーチは牧師の子供として生まれたアメリカ女性である。彼女がパリに渡り(これも偶然のことのようだ)、小さな本屋を開いた。1919年のことである。名前がシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店。看板にシェイクスピアの顔を掲げた。しかし彼女が始めた本屋は当時のアメリカの文学をフランスに輸入する目的であった。そのように始まり、会員を募り、供託金を払ってもらい、身分証を発行した。店内にはシェイクスピア、チョーサー、T・S・エリオット、ジョイス、2枚のブレイクの絵、ホイットマンとポーの写真、オスカー・ワイルドの写真2枚、ワイルドの手紙、ウォルト・ホイットマンの原稿そんなものを飾った。アメリカから多くの客が来た。また当時パリにいた有名作家たちが来店し、クラブの様相をていした。しかし、この本が非常に重要な価値を有しているのは、書店主であるピーチが当時パリにいて困窮していたジェイムス・ジョイスを全面的に援助し、いまでは誰でもが認める名作『ユリシーズ』の発行をやり遂げたことである。ジョイス自身さえ12部しか売れないと言っていたものを1000部発行にこぎつけた。その間の苦闘はいかばかりかと思われるが、ピーチは知る限りのお客、作家から予約を取り付け発行に邁進する。ジョイスは書きくわえ書きくわえして、何度も期限を超えながら、かの『ユリシーズ』はシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店によって世に出された。しかし、パリでの好評に比較して、イギリスでは税関で没収され焼却され、アメリカでも同様に禁書扱いで、持ちこめず、ヘミングウェイの機転でカナダに送り、そこから彼の友人が下着に隠して何往復もしてフェリーでアメリカに持ちこんだ。当時『ユリシーズ』は好色本の扱いをされていた。この後もピーチはジョイスの家族の経済的な援助やジョイスの眼の手当てなど全面的に関わって20数年を過ごすのである。ジョイスは誠実な人物ではあったが生活力はなく、『ユリシーズ』の海賊版による権利侵害に対してピーチの働きかけで作家たちが抗議に名を連ねた結果、アメリカで正式にランダム・ハウスからの出版の運びになった時、ピーチにはなんの相談もなく、契約がなされた。ピーチはこの時点でジョイスとの密な関係は切れたようだが、彼に対する批判は書かれていない。

それだけではなく、この書店に集ったもろもろの人たち、セルゲイ・エイゼンシュタイン、フィッツゼラルド、ポール・ヴァレリー、T・S・エリオット、ヘミングウェイなどの著名人はもとより、現代ではあまり知られていない作家たちについて、ピーチはそれぞれについて長所だけを書きしている。もちろん中には出版の約束を破る人物なども書かれているが、ほとんどが彼女には善き人物として受け止められていることに驚く。それ故、書店が破産の危機にひんした時、多くの作家が援助の手を差し伸べアンドレ・ジィドーの書店の救済計画が出されて、フランス政府に補助金の申請もされている。ようやく危機を脱した書店もドイツのパリ占領と共に、ビーチは1941年ナチに連行され6カ月捕虜生活を送り、釈放後は女子寮に匿われてパリ解放の日を迎える。その日、ヘミングウェイが救いに来るところで本書は終わっている。書店は再建されなかった。ピーチは書店のあった住所で1962年に生涯を終えている。

彼女がいなければ、『ユリシーズ』は世に出なかった。歴史的な仕事を成しながら、決して誇ることもなく淡々と、楽しげにジョイスの風貌を本書に書きつけて去っていった誠実な女性をなんとたたえるべきなのだろうか。どこかの古本屋で見かけたら是非読んでほしい。人間の本当の価値とは何かに心を打たれる。

魔女:加藤恵子