魔女の本領
『チーズとうじ虫』カルロ・ギンズブルグ を読む!

チーズとうじ虫

『チーズとうじ虫』カルロ・ギンズブルグ


すでに古典ともいえるギンズブルグの最初の著作である。16世紀イタリアのフリウリ地方に住む粉挽屋ドメニコ・スカンデッラ、通称メノッキオが2度の異端審問にかけられたその裁判記録から信じがたい異端の宇宙論、キリスト教哲学が解読されてくる推理小説張りの歴史書である。この書物が初めて世に出た1980年当時は、フランスでも「新しい歴史学」の動きが顕著でフィリップ・アリエスの『子供の誕生』やル・ロワ・ラデュリーの『モンタイユー。オクシタン地方の一村、1294年―1324年』によって、ピレネー山地のカタリ派の生活が克明に描き出された書物が評判を読んでいた時期に重なる。

メノッキオという農村においても農民からは差別される側にいた粉挽屋が本を読む事が出来、書くことができたということですでに驚きだが、メノッキオは教会が教える教義に縛られることなく、寧ろ自由に手に入る聖書外伝的な書物を読み、更には自らの農村における自然の世界から、唯物論的な世界像を独自で作りあげた。メノッキオは啓示を受けたとかある特別な霊感をうけたことは、誇っていなかった。かれは自分の思索・推論を前面においていた。このことだけでも15世紀の末から16世紀の初めにかけてイタリアの諸都市の広場で理解しがたい諸々の予言を行った預言者、妄想家、旅の説教師たちからメノッキオを区別するには十分である。そのコスモロジーはヨーロッパ各地の農村に深く根をおろしているもので、教義や儀式とは明らかに異なり、自然のリズムと結びついていて、キリスト教以前的なものである農民宗教の根強い存続を説明するものなのである。そこから彼は、聖餐式を含めたすべての秘蹟(しかし洗礼だけは除外される)は、キリストによりはじめられたのではなく、ローマ教会によって設けられたのであり、それなしでも人は救済される、と主張していた。天国においては「私たちはすべて平等であって、偉大なものもささやかなものも同じ恩寵をあたえられるであろう」し、処女マリアは「召使女から生まれた。また地獄も煉獄も存在せず、それらは金儲けをするために司祭や修道士たちによって考え出されたものである」、また「もしキリストが義の人であるなら、十字架に磔けられることはなかったであろう」、「身体の死はまた魂の死でもある」、「歪めて観察するのでないものにとってはすべての宗教は善である」、と主張した。

「私の考え信じているところによると、すべてのものはカオスでした。そして、このかさのある物質はちょうど牛乳のなかでチーズができるように少しずつ塊になっていき、そこでうじ虫があらわれ、それらは天使たちになっていった。そして、至上の聖なるお方は、それが神と天使であることを望まれたのです。これらの天使たちのうちには、同時にこの塊りからつくられた神も存在していました。私はこう言ったのです」とメノッキオは主張した。さらに処女懐胎はあり得ず、キリストは人であり、預言者に過ぎないとの考えに至る。ここで指摘されているのが、メノッキオが『コーラン』を読んでいたという点である。それ故、ユダヤ教も、イスラム教も、キリスト教も平等に考えることができた。そして、キリスト教の神髄としての徳として、キリストを愛するよりは隣人を愛する方に価値をおいたのである。

このようなメノッキオの考えはキリスト教が生活の隅々を規制する文化構造の遥か下層で、古代から続く民衆文化(口承伝承)の名残が覗いて見えるのであるが、ギンズブルグはもう一つ、民衆文化と明確な異端としての高級文化の循環的な相互影響を見ている。ギンズブルグはこの書物以後、フリウリ地方の農業儀礼としてのペナンダンティ研究へと進められ、キリスト教文化の底に在る広範囲な文化(インド・ヨーロッパ語族に共通な文化)の存在の証明に向かうことになる。

魔女:加藤恵子