魔女の本領
でっち上げ それは魔女裁判と同じ手法…

裁判官と歴史家

『裁判官と歴史家』カルロ・ギンズブルグ


ギンズブルグといえばイタリア中世の庶民の精神、特に異端信仰の本質を徹底的に書いている歴史家である。例えば『闇の歴史』、『神話・象徴・証跡』、『チーズとうじ虫』、『ペナンダンティ』等。その歴史家が30年来の友人アドリアーノ・ソフリがイタリア新左翼運動のさなかミラノで起こった警視殺害事件の黒幕(正確には教唆した)として、裁判にかけられたことにたいして、無実を証明するために彼の歴史家としての史料解読の方法を駆使して裁判資料を徹底的に読みこんで書かれた弁明の為の書物なのである。結論を先に言えば、この作業の中で、ギンズブルグはこの裁判が全く、魔女裁判、異端裁判と同様な過程をへていたことに気づき、署名の題にあるように、歴史家と裁判官は同じなのか、違うのかを考えることになるのである。

イタリアでは1960年代から70年代にかけて、都市ゲリラ闘争が果敢に展開された。例えば、アントニオ・ネグリが亡命せざるを得なかった「赤い旅団」などもこれに当たるが、ソフリもテロリストではなく、新左翼、議会外左翼の一派「継続闘争」の創設者であり、イタリア共産党を追放されていて、あの世界的な政治の季節の若者の一典型であることが分かる。1969年、トリノのフィアット工場で労働者の闘争が開始され市街戦にまでエスカレートした。そのさなか、アナキストの鉄道員ピーノ・ピネッリが拘留されていたミラノの警察署の4階にあった警視ルイージ・カラブレーシの執務室から転落して死亡した。自殺とする当局のせつめいは虚偽であると判明し、事件は大きな反響を呼び、ソフリの「継続闘争」グループは機関紙をつうじて、ピネッリは殺害され、国家権力の虐殺であると主張した。1971年、ピネッリの未亡人が起こしたカラブレーシ告発の裁判は、75年、自殺、他殺の判断を避け、「病死」として終結させられた。72年、ピサでネオ・ファシストの集会を阻止するために「継続闘争」グループが召集した若者と警察隊との衝突で、アナキストの青年がなぐられ、その後死亡した。1972年5月17日、警視カラブレーシが自宅前で銃で殺害された。容疑が「継続闘争」メンバーに重点的にかけられが特定されなかった。

その後、何と16年たって、レオナルド・マリーノ成る人物が告発者として現れ、自分は実行犯の車を運転した。殺害は「継続闘争」のグループの書式的な犯罪であると証言し始めた。この告発によりソフリ他3名が逮捕されたのである。しかし、このマリーノはなぜ、16年もたって自ら名乗り出たのか、まず、司祭に告解し、罪の意識に耐えきれなくなったと言うのであるが、裁判の過程で、彼は幾他の強盗も重ねていて、告発まえに憲兵隊に事前に出頭し、何ごとかを話し合い、告発に及んだことが明らかになる。裁判の結果はマリーノは無罪、ソフリは22年の懲役となるのだが、その判決の膨大な資料をギンズブルグは読み解き、マリーノが嘘の証言をしているにもかかわらず、その嘘を他の証人が明らかにしていても、裁判長はマリーノの主張を維持するために、すべて読み替えて行った過程はまさに異端裁判と同じ手順であることを解明したのである。即ち、被告が否定しても、告発者が裁判官によって作られた筋書きに沿わない証言は採用されないということである。嘘は各所で露見するのであるが、すべてはマリーノが心からの反省から出た告発であり、細部の思い違いはだからこそ正しいという心象によって、そのまま受け容れられ、反証は否定されてゆく。とても恐ろしいのである。魔女裁判においても、魔女でないと主張すれば、たぶらかされているとして拷問され、魔女であると認めれば魔女として処刑される。つまり当局につかまればどう転んでも結果は同じなのである。現代法のもとにあっても、でっち上げは容易になされる。ソフリの場合はマリーノに直接、警視殺害を指示したという場面そのものがなかったという反証も否定されてゆく。確かに陪審員の半数は無罪を考えるのであるが、上告審ですべて覆される。この構図は日本の裁判と同一である。

ギンズブルグは歴史家も裁判官も資料によって結論を導く。「証拠」や「真実」といった概念は歴史家という職業の構成部分である。両者は個々に共通項がある。しかし、裁判官にとっての資料は読み替えられる(活動される)。なぜなら、直接に採用されるからだけでなく、相互に比較対照され、交叉検分に付される。そして裁判にかけられた出来事の経過を復元するように促されると言うのがギンズブルグの認識で、歴史家は史料はもっぱら検証され、社会的な「表象」の証言として分析されるという点で両者は相違しているとしている。この議論は少々難解である。なぜならば、ギンズブルグの歴史者がいずれも、裁判官的な手法を使い、史料を見事に動かしたところに、中世民衆の精神世界が描けたような気がするからだ。

しかし、彼が友人の無罪を証明しようとして、自らの歴史の研究手法を繰り出し、でっち上げ裁判が、魔女裁判と同じ手順であることを証明してみせたことは、実は現代の闇を見せているという点で不気味なのだ。

魔女:加藤恵子