魔女の本領
ワトソン君、マヤコフスキーは殺されたんだ。犯人は…

マヤコフスキー

『マヤコフスキー事件』小笠原豊樹


自殺したとされていた、ロシア未来派の著名な詩人マヤコフスキー。彼の自殺の原因は何であったのか?筆者はマヤコフスキーの最後の恋人であった女優ポロンスカヤの事件直後の調書、8年後に書かれた回想記、さらにスターリン死後書かれた回想記を訳しながら、この間に流れたロシアの歴史の動向を加味して読み解くことで、始めマヤコフスキーの死は強いられた自殺ではなかったかという疑念から、明確に当局による殺害であったと言う事実に辿りつくその証明の書である。

ポロンスカヤの調書に出て来るマヤコフスキーはどこか精神に異常をきたしているかのように動揺している。そして、ポロンスカヤに対して、ストーカーのようであり自己中心的で、泣いたり、脅したり、彼女が結婚していたにもかかわらず、相手の感情と無関係にわがままに振る舞っているように証言されている。この点は最後までこの本を読めば、マヤコフスキーが常にOGPUに監視され、自殺を強要されるにまで至っていた状況下の当然の動揺であることが分かるのではあるが、ポロンスカヤには、訳が分からないまま、マヤコフスキーは死に、当局は恋愛のもつれによる自殺と発表され、その原因を作った恋人として生きざるを得なかった。しかし、彼女は回想記で時のソ連の状況下で、微妙な立場にありながら、スターリン死後、マヤコフスキー死亡当日の状況を次第に明らかにしてゆく。そして、小笠原は更に、ソ連崩壊後、やっと明らかにされてきた諸書の文書、書積を繋ぎ合せると、マヤコフスキーは明確に殺害されたことが解明されるのである。

マヤコフスキーは早くに政治活動で逮捕されている。転向して釈放されたと言われるが、重要な活動家とも言えず、転向に際して仲間を売ったと言うことは無かったようである。詩作品も取り立てて激こうな政治批判の詩というわけではなかった。ただ、レーニン死後の会で、朗読した詩が問題になったらしい。しかしこの会では問題の2部は朗読されなかったようだが、この2部にトロツキー礼賛の節があることをスターリンが後に知り、問題視されたのではないかとしている。スターリンの粛清というのは政治的な反対派追い落としだけではなく、芸術家にまで及んだ点で震撼させられる。マヤコフスキーは自分に当局の監視の目があることと、死を強要されている事を伝えた遺書の一つを届けられたメイエルホリド夫妻も虐殺されている。

マヤコフスキーの作品については私には全く分からないが、彼の恋愛というか女性関係の複雑さには驚かされる。そのうちの幾つもで女性は自殺を遂げている。たった一つアメリカに渡航した時の恋人だけが、マヤコフスキーの子供を生み育てている。また、ポロンスカヤとの恋愛中も、リーリャとその夫と同居していたりする。しかしこのリーリャはOGPUとつながっていて、マヤコフスキーを当局に売っていたらしい。この女性は、当時新しい女性のようにもてはやされた人物だったようであるが、ポロンスカヤとマヤコフスキーの恋愛に口出しし、足を引っ張った人物らしい。しかし、この三角関係はともかく奇妙で、これだけでも確かに自殺の原因と思わせられるものではある。確かに暗殺されたマヤコフスキーではあるが、ポロンスカヤが最後まで本当のことを伝えようとしたことで、私たちはマヤコフスキーの最後についてがわかることになったのである。それにしても、小笠原は、自ら述べているように、あちこちの小さなピースを集め、文書や証言のほころびを繋ぎ合せ、ホームズもびっくりの見事な推理で、マヤコフスキーの無念を晴らしたと言えるであろう。

マヤコフスキーが当時どれほどの人気であったか良く分からないが、彼の葬儀の写真が掲載されている。通りを埋め尽くした厖大な人である。ここに集まった人々は、彼が恋に悩んで死んだと思ったのか、どんどん狭められてくるスターリンの魔の手を彼の死に感じ取ったのかは分からないが、スターリン時代の暗黒を見せてくれる本である。

魔女:加藤恵子