魔女の本領
副題の方がメインタイトル…

バンヴァードの阿房宮

 

『バンヴァードの阿房宮 世界を変えなかった13人』


思い込んだら命がけ。別に歴史に残らなくたっていいけれど、敗れた人ってやっぱりどこか哀愁がただよう。

『バンヴァードの阿房宮 世界を変えなかった13人』ポール・コリンズ著 山田和子訳を読む。

本のタイトルは実は副題の方がメインタイトルにすべきである。バンヴァードの阿房宮は13人のうちの一人だからであるが、かくも忘れられた人びとをどうやって探しだしたのだろうかと言うことの方が興味がわいた。13人の中で知っていたのは「シェイクスピアの墓をあばく」ディーリア・ベーコンだけであった。ともかく13人とも実在の人物ではあるのだが、本書があまりにも詳細に人物が描写されているので、ノンフィクションとは思えないのだ。19世紀にミシシッピー川流域の風景を巨大なパノラマ画を描き、アメリカ、ヨーロッパを巡業し、巨万の富と名声を手にしながら、きれいさっぱり忘れられ現物すら残っていない画家。巨万の富を継ぎこんでロングアイランドに60エーカーの土地を購入し、ウインザー城を模して大邸宅を建てた。これを地元民が「バンヴァードの阿房宮」と呼んだのだそうだ。バンヴァードはミシシッピーのパノラマ画の成功後、エジプトの子考古品を集めて展示していた。ここに絡んでくるのが学魔高山師が大好きな「驚異博物館」。(珍品キャビネットと訳してあり、訳者はその辺の知識があやしい)すなわち、博物館を見世物として展開して大儲けしたバーナムが登場して、バンヴァードはこのバーナムとの競争に敗れて没落してしまう。さらに、彼のパノラマは映画という新しい視覚文化に追われてしまい本当に跡かたもなく忘れ去られた。

次は、両親から出来の悪い息子と思われていたウイリアム・ヘンリー・アイアランドは父親に認めてもらいたい一心で、なんとシェイクスピアの偽文書を次々と作成した。古本から時代物の紙を取り、見事に筆跡をなぞり、誰も疑うことが出来ないほどに巧妙に作成された。父親の要求に答えようとついには、『ヴォーティガン』なる史劇を書きあげてしまう。そして上演されるが、批判が表面化しつつある1回上演されただけであったという。しかし、シェイクスピアの文書や芝居までもが贋作されても疑問を持つ人がいなかったのだろうかという感じを持つが、そもそも、シェイクスピア自体にその素性が判明していない18世紀末であることを不思議はないのかもしれない。また、アイアランドの父親と言う人物は息子が作成した文書に何の疑問も持たず『ウイリアム・シェイクスピアの署名と印章のある証書および種主の文書集』という大著を出版してもいる。さすがにシェイクスピア専門家からスペルの間違いやシェイクスピアの時代にはそんざいしなかった単語や語句などが指摘されロンドンの人びとは幻惑から覚めるのである。しかし、シェイクスピア同様、このうすのろ扱いされていた若者がシェイクスピアを真似られる文学的才能があったという点は『ヴォーティガン』が決して箸にも棒にもかからないというものではなかったということなのである。上演されたことはないが『ヘンリー2世』という作品も書いているのだという。この2作品はなんと本になっているそうだ。結局ウイリアムは物を書くことで生きたのだが、ナポレオンの遺書やら、フランスのアンリ4世とジャンヌ・ダルクの手になる回顧録および複数の手紙を「奇跡的に発見」したりするが、さすがに誰もだませなくなっていた。ところが、めちゃくちゃに笑えるのは、シェイクスピアの贋作に対する世の中の関心が高まるにつれて、ウイリアムは贋作の贋作をつくっていたのである。ウイリアムの死後、発見された『ヴォーティガン』の「オリジナル」原稿は少なくとも7つ。さらに、その他のシェイクスピア文書をもとにした偽文書の山。そのどれもが完全に本物らしく見え、どれがオリジナルでどれがコピー化を判別するのは不可能だった。収集家たちはそれらをウイリアムから直接、続々と入手していったのである。贋作の贋作。驚異的ポストモダン的作業の実践者であった。今やウイリアムの文書自体が希少価値になっているのだとか。

次は、地球空洞説。これは昔からあり取り立てて驚くべきことではないが、これを考えついたジョン・クリーヴズ・シムズなるアメリカ人は軍人で、先人の知識などまるでなく、考えつき地中世界への冒険を実施するべく講演をし続けた。これが結構な反響を呼び何んと1822年にはアメリカ憲政史上、風変わりな議案の一つになる極地探査実施の誓願まで提出されたが、さすがに却下されたらしい。しかし、よく考えればアメリカと言う国はいつだってフロンティアを求めて右往左往する国だ。月への一番乗りを実施し、火星にキューリオシティーを送り込んでいる。面白いことに、この地球空洞説に引きこまれたのがあのエドガー・アラン・ポーだった。ポーの短編『壜の中野手記』、唯一の長編『アーサー・ゴードン・ピムの物語』がそれである。空洞地球をテーマにした作品はその後も続き、有名なジュール・ヴェルヌは三作も書いている。中でも有名な『地底旅行』(1864)は今日からみればSF、空想物語と捉えられるが、当時はシムズの説を否定できるほど極地探検が進んでおらず、全くの空想として書かれたのではないのではないかというのが筆者の考えである。

次に登場する「N線の目を持つ男」はまさに先日来騒動になっているSTAP細胞事件と全く同様である。1895年にレントゲンがX線を発見すると、各国から次々と新しい放射線発見のニュースが世界に出て来た。その中で放射線研究の先頭に立っていた優秀な科学者がフランスのナンシー大学物理学部の学部長ルネ・ブロンコで1903年新しい放射線を発見したことを全世界に発表した。この新しい放射線は、ブロンコの生地であるナンシーにちなんでN線と名ずけられた。これがSTAP細胞とよく似た経過をたどるのであるが、N線を創り出すには高価な装置は必要ないというのである。あたりに転がっている物質が、太陽のもとで暖められ陽光を吸収すると、N線を放射するというものであった。しかも、X線が人体の器官や骨の観察に利用され始めたばかりの時に、N線は脳や神経に働きかけ、多くの病気の治療に役立つと、医学者たちの関心を呼んだ。このフランスの大発見に遅れを取ったイギリスの科学者たちは、あの「ネイチャー」誌にいわゆる再現実験が出来ないことを次々に発表した。しかしフランスではなぜかN線は支持され続け、次のノーベル賞だという評価にまで至る。しかし、ブロンコにしか見えないN線について、思わぬところから結論が得られてしまう。それは目の構造に起因する錯覚であるという指摘であった。N線はブロンコの視神経を走った、電気インパルスとして存在したに過ぎない幻影であったのだが、さてSTAPはどうなのであろうか。自殺者まで出したSTAPは世界を変えるのか、それとも・・・

次は壮大な計画が実を結ばなかった例であるが、「音で世界を語る」。つまり普遍言語計画である。言語を音符に変えてしまうというものである。「ソレソ語」というのだそうである。この新言語はかなりの成功を収めた。ジャン・フランソワ・シュドルのこの新言語は他の新言語を考えた人々とは異なり意外な側面で展開された。聾唖者と視覚障害者とのコミュニケーションである。これはある意味今でも有効で、指点字がそれに当たると思われる。即ち、彼の案は彼が思った以上に先進的であった。しかし、彼の啓発活動が大道芸的であったこともあり大勢を占めるに至らなかった。そのまま歴史から消え去るかと思われたが、何と今日、復活しているのだそうだ。そうです、想像できる通りウェブである。私には何だかよく分からないのだがグレッグ・ベイカーと言う人が、オペレーションのベースとしてsolresol.org.au のドメインを十禄したり、ジェイソン・ハッチェンズは、ソレソ語で書いた文章を、世界中の音楽家―話者の間で交換できるファイルに変換できるコンピューターソフトを作ったりしているのだとか。さらに不思議なことにウェブ上でのソレソ語リバイバルが起こる前に、コンピュータ世界の誰かが、ユニコードのUTF-16の文字セットに、ひそかにソレソ語のアルファベット7文字を組み込んだ。文字として残された物のない言語が、コンピュータの世界で、タミル語や英語と同じように重要な国際語としてとらえられようとしているというのだが、本当だろうか?

その他延々と変な人物が出て来るのですが紹介につかれたので、横顔だけ紹介します。アメリカでブドウの改良を死ぬほど努力して続け今やアメリカの代表的なブドウに仕上げながら、特許の概念がないまま、巨万の富を得られないまま消えてしまったイーフレイム・ブル。出生も怪しい、人物が台湾人としてロンドンに現れ、終には台湾語まで作り、『台湾の歴史と地理に関する記述』なる本をかいて台湾の詳細な物語をつくりあげたジョージ・サルマナザール。ここではロンドンの学魔高山師が必ず触れる「ロンドン王立協会」が舞台となって、この人物の台湾の話の真偽が論議されたりしたらしい。(またしても訳者はロンドン王認学会と訳している。知らないのだろか)。ニューヨークのど真ん中の地下を密かに堀進め、「ニューヨーク空圧地下鉄道」の実験線を成功させたアルフレッド・イーライ・ビーチ。彼の空圧輸送方法は今でも見られる。国会図書館では今はどうなっているか自身は無いが、閲覧希望図書を空圧輸送で書庫に送る装置として見た。金持ちの息子の道楽が高じて、全身に宝石をまといロミオを演じてそのあまりのばかばかしさに民衆の笑いの的になりながら忘れ去られたロバート・コーツ。彼はカリブ海東部のイギリス領出身であるそうだが、ここでも訳者はアンティグア島と書いているが、アンティーク諸島のことだろう。いちいち引っかかって申し訳ないが。青色光が救いをもたらすと主張して、やたらと青色ガラスが取り入れられた家やらサナトリウムが出来てしまったオーガスタス・J・プレゾントン。非常な才女でありながら、シェイクスピアの作品の中に暗号があると確信し、シェイクスピア=ベーコン説を主張し、その確信を得るためにシェイクスピアの墓を暴こうとまでしたディーリア・ベーコン。宇宙には知的生命体が充満していると唱えたトマス・ディック。

というように、どの人物も後世からみるとドンキホーテ的には見えるけれども、その情熱は少し矛先の向きが違っていただけなのかもしれない。ばかばかしくも情熱的な人物たちを笑い飛ばすのはやはりやめておこう。生きるということの中に、夢中になるという要素が豊か過ぎたために崖から飛び出してしまったような人びとを私は愛したい。

魔女:加藤恵子