魔女の本領
山のあなたの空遠く … 国から逃れるという選択があった…

ゾミア

 

『ゾミア 脱国家の世界史』


『ゾミア 脱国家の世界史』ジェームズ・C・スコット 佐藤 仁監訳 を読む。

363ページ、2段組みの大著である。作者も知らなければ、ゾミアなどという単語も知らなかったのであるが、副題の脱国家の世界史というのに惹かれて手にとって読んだのであるが、これがこたえられないくらい面白かったのである。まず、著者であるが、1936年生まれのクエーカー教徒で、イエール大学で政治学の博士号を取得し、76年からイエール大学政治学部と人類学部の教授だと言うことであるが、訳者の紹介によると、「華麗な肩書とは裏腹に、スコットは地に足のついた肩の凝らない人」で、学会にノーネクタイ、サンダル履で現れるような人物であると言う。また徹底したフィールドワークを行なう人で、単なる研究室にこもった学者ではないという。それ故、かれの著作は主流派の政治学者からは非科学的との批判を浴びているが、それはためにする批判であたらにということだ。

ともかく、この大著も、民族学的な調査を基にした、国家論なのである。そして、歴史的に多くの人々が締め付けてくる国家から堂々と離脱し、平等と自治の生活を生きて来た歴史を描いたのである。さて、「ゾミア」とは、「ベトナムの中央高原からインドの北東部にかけて拡がり、東南アジア大陸部の5カ国(ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマ)と中国の4省(雲南、貴州、広西、四川)を含む広大な丘陵地帯を指す新名称である。約一億の少数民族の人々が住み、言語的にも民族的にも目もくらむほど多様である。東南アジア大陸部の山塊(マシフ)とも呼ばれてきたこの地域は、いかなる国家の中心になることもなく、9つの国家の辺境に位置し、東南アジア、東アジア、南アジアといった通例の地域区分にも当てはまらない。とくに興味深いのはこの地域の生態学的多様性であり、その多様性と国家形成との相互関係である。」つまり、かれが新たに規定した、国家に属さない人々が歴史的に、そして現在も一部、政治的状況によって生活する地域である。

この地域の特徴は山、である。そして、国家の側からすれば、支配の及ばない野蛮な部族の地ということなのであるが、これをスコットはそれでは彼らの側に立った時、低地民とは何であるかと問うている。水稲稲作を基盤にした国家では税と労働力を把握されて人々は移動の自由がない。しかし高地民は焼畑と狩猟とによる集団の移動による生活で、そこには富の集積は無く、それを収奪する者も現れないために、危機管理上瞬時の移動を可能にし、相互扶助と平等と国家のない自治が貫かれている。このような焼畑、採集の段階を歴史家たちは国家形成以前の段階の遅れた段階と見て来たこれまでの視点をスコット見事に逆転させたのである。即ち、彼らは実は水稲稲作国家の段階から自ら離脱して、国家の収奪、特に労働収奪を避けるために高地へ移動した自主的な民だと規定した。これを読んだ時、直ぐに先日読んだ柄谷行人の『遊動論 柳田国男と山人』を思い起こしたのだ。柄谷は柳田の山人を水田耕作以前の民と読んだのであるが、スコットはさらに踏み込んで、水田稲作国家から逃げだした民であり、それゆえ、低地の民からは蔑視されたとみている。スコットは「私の主張は簡潔に言うとこうである。山地民の歴史は、古代からの残存者の歴史としてではなく、低地における国家建設事業からの「逃亡者」の歴史として解釈すると最もつじつまが合う。それは長い歴史的な視野から見ると、あたかも南北アメリカの各地で逃亡奴隷集団が形成した「マルーン」社会のようである。山地民の農耕的慣習や社会的慣行は、低地との経済的な繋がりを自分たちに有利になるように保ちながら、国家からの逃走を成し遂げるために発達してきた技術として理解するべきだろう」。この考えにうなずける一つの歴史的事実は、日本の歴史においても、「兆散」という農民が田畑を放棄して流民になる例は国家の側からも知られていた。苛酷な租税や労役に抵抗するのは単に一揆のような武力による抵抗だけではなかった。それを考えれば、スコットの言う視点は、納得がいく論である。

さらに驚くべきことは、文字というものに関する論である。文字とはまずもって人民を把握するための戸籍、土地の所有、労働力調達のための国家の物としてあり、更には国家の権威を語るための象徴としての働きが主要であり、民にとっての文字は無かった。それ故、国家から逃亡した民は、文字を持たなかった。彼らは口承で生きたというのである。口承であることは色々の場面で、もっとも最適に物事を選ぶという生き方が生存の手段であるから、文書に縛られることがなく、何通りもの物語が伝えられてゆくことになる。調査によると、キリスト教さえもが、見事に変形され、厩で生まれた男が英雄になるという物語として伝えられているということである。

彼等は離脱してきた国との関係を全て断ち切ったと言うよりは、国家から周縁へ後ずさりしながらフェードアウトしたようなのだが、大きな枠組みでは交易を維持していたりする。例えば香木などの高価な生活資材を活用していたりする。低地民には入り込めない山地の産物を交換したりしたわけである。また、彼らの生業である焼畑、採集農業はともかく少人数で行なえるし、集約型の労力の必要がなかった。成育作物も多品種を植え付けられ、特に根菜類は逃げる必要が生じた時は土中に隠して更に奥山へと逃げた。彼らは歴史の主人公ではなかったかもしれない。しかし、確実に歴史に中にいた。スコットは文明への不満分子なのだと言う。「山の民に帰せられた汚名の数々は、国家を避けようとする人々が自治を放棄しなくてすむように、積極的に身につけ、遂行してきた特徴なのである。低地民の創造は、間違った歴史認識に基づいている。山の民は、何々以前(プレ)の状態にあるわけではない。彼らの生き方はむしろ、以後(ポスト)、つまり灌漑水田以後、支配対照以後、そしてもしかする識字以後といったほうがよい。彼らは権力に反発して意図的に国家なき状態を作りだした人々であり、自ら国家の手中に陥らないように注意しながら諸国家からなる世界にうまく順応してきた人々なのである」。

これは山地ユートピア論なのかもしれない。桃源郷は存在した。しかし宇宙から丸見えになっている今、このユートピアは存在できるのか?国家に対峙するのではなく逃れるという指摘はとても刺戟的ではある。アナーキズム論としても非常に面白い。

魔女:加藤恵子