魔女の本領
想像すること、そのことが死者と繋がることなのだ…

想像ラジオ

『想像ラジオ』いとうせいこう


『想像ラジオ』いとうせいこう を読む。

3月11日の大地震と大津波を私は未だに、身に引きつけて考えることが出来ない。連日流れたすさまじい津波の映像にただ怯え、実際に体が揺れ続けて、心身に異常をきたした。心身の異常と云うのは、いわば本質的な精神の逃げだ。それを未だに恥じている。

震災関連の文学が続々と発表され始めている。早くには宗教学者や哲学者がこの惨事に何らかのコメントをした。私が最も納得できたのは、山折哲雄氏が講演会で語ったことであるが、「絆」が言われ、強調されている、しかし「今言われている絆は生き残った者の連帯を意味しているが、最も重要なことは死者との絆ではないか」と云うものであった。弔うのではなく、そこにある死者とつながることが生きている私たちに課せられた責務だと感じた。

この『想像ラジオ』は第149回の芥川賞候補になった作品である。主人公は多分死者である。夜通し放送がされている、DJアークである。しかし、本人はどうやら大きな木の上にあおむけになっているようだ。そこからDJを流している。この放送にリスナーが便りを送って来る。しかし、だんだんわかって来るのだが、この放送は想像できる人にだけ聞こえ、想像したような曲がながれるのである。そして、死者にしか聞こえないのである。DJアーク自身は、妻と息子に呼びかけているが、それへの反応は返ってこない。だがそれは、妻と息子は生者なのだと思えるまでには時間がかかるのである。リスナーからは津波の経験が伝えられるが、それは皆死者の経験なのだ。そして、死者は生者が想像するから存在出来、死者は想像するから生者は生きられるのだと気がついて行く。どうやら死者である父親が大木の下に来て、DJアークに死を認めるように説得に来るのだが、彼は妻と息子の声が聞こえないことで、大木から降りること出来ず、上をむいたままDJを続けるのである。いくつもの死者の経験を彼は知り、やがて、生者の妻と息子の声が想像できた時、想像ラジオは終わりをつげ、DJアークの姿も薄れて消えて行くのである。しかし、生者と死者とのチャンネルは、想像という薄い膜一枚でつながった世界なのだ。

震災をどう捉えていいかのまどいの中で、想像することが死者と生者の両方を活かすことなのだと言うメッセージは心をゆさぶられた。

これから次々と震災が文学に乗って来るであろうと思うが、その先陣を切って、鮮烈なメッセージを与える作品となっている。是非読んでもらいたい。

魔女:加藤恵子