魔女の本領
死者はあの世で生きている…

幻想郵便局

『幻想郵便局』堀川アサコ


死者はあの世で生きている。多分、きっと、そうに違いない。

ネット上で結構噂になっていたので、読んでみた。東日本大震災後に書かれたと思ったのだが、それは違ったようだ。しかし、死者はどこにいるのか?と誰もが思い、心が揺れる経験をした震災の後にこの本は意外と心に響く作品となっている。

就職浪人中の主人公アズサは自分がどう生きたらいいのか分からない。履歴書の特技欄に「探し物」と書いてしまう。ところがそれをみてアルバイトが決まってしまう。その職場が山の上の不思議な郵便局なのである。どうもそこへは生きてる人も今死んだ人も、臨死体験者も、あまつさえ死者もやって来るのだ。郵便局では生きてる間の善行、悪行余すところなく記入されている通帳が発行されている。郵便局の裏庭は所長が丹精している広大なお花畑があり、いばらの門の向こうにどこまでも広がっている。しかし、この郵便局は理由の或る人にしか見えないらしい。そんなところに雇われた主人公に求められた特技の探し物で見つけてほしいものは、木簡に書かれた郵便局のある土地の権利書が書かれた木簡なのだが、この山は実は昔は狗山比売(いぬやまひめ)を祀る社があった土地を郵便局が勝手に社を壊して建てたために権利争いが起こっているのである(もちろん、これは霊界の争い)。主人公アズサは郵便局に勤め出すや、半分焼け焦げた怨霊の真理子さんが取りついてしまう。その理由が良く分からないのだが、どうも真理子さんは殺されたらしい。誰が殺したか分からず、さ迷っているうちに、アズサにそれを確かめてもらいたいようである。この殺人犯を探す過程と、狗山比売命の土地争いがからみ合って、話は進むのであるが、本筋とは関係ない生者と死者の思いの交錯がとてもいいのである。大金持ちの大奥様は毎日郵便局へやってきて死んだ娘から荷物が届いていないかやって来るのだが、それは、憎み合っていた娘が生きている時、娘の持ち物を焼いてしまう。ほんの少し残していた大切な娘の持ち物を誤って嫁が娘が亡くなった時棺に入れて焼いてしまったのだ。それを夢に出て来た娘が「返すから」といっていたから、郵便局に届いたか訪ねに来るのだ。この気持ち分かるような気がする。また、生まれたまま一度も歩くことも、話すこともなく死んだ子供が、飛びはね、おしゃべりしてはしゃいでやって来る。坊やは死んだ方からやって来たのだ。その坊やが大奥様の娘の大切な物を入れて焼いてしまった箱におもちゃを入れて持ってくる。それをみた大奥様は坊やがパジャマのままなのをみて、町へ連れて行って王子様のように着飾らせる。そこへ坊やのお兄さんとお母さんがやって来る。お兄ちゃんはお母さんが弟にかまけて自分を可愛がってくれなかったと思っているが、夢に死んだ弟が出て来たと言ったので郵便局にやって来たのだ。そして坊やはそれをみて、兄さんのお下がりのパジャマを再び着て花園の彼方に走って行くのである。とても美しい。私たちは、死者にいつも何等かの負い目を持っている。でも死者は必ず許して、生者を慰めて、去ってゆくのだ。そう信じることで、とても心が軽くなる。

さて、本筋の土地争いは狗山比売命が封じ込められていた隕石の封印が破れ、力を取り戻し、郵便局は消え去ってしまう。一方、真理子さんを殺した犯人もアズサの推理で判明するのだが、犯人に殺されそうになるが当の真理子さんの霊に助けられ。真理子さんはそこから遂に消えてしまう。しかし、郵便局はもうない。真理子さんはどうやって向こうの世界へ行けただろうか。

アズサは就職が決まって都会に引っ越すが、休みに帰郷して見る。そしてもうない郵便局をめざして山に登ってみると、途中で狗山比売にあい、「これなる道を進み、赤き花の見える右手へとゆけ」と指示される。そしてそこにはあの郵便局が、あ・っ・た。

死者が楽々のこの世からあの世へ行き、そして帰ることだってある。あの世への手紙だって届く。ファンタジーであるかもしれないが、こんなふうにして死者と共に居たいと言う心性は心が温まるのである。

魔女:加藤恵子