魔女の本領
真実はフィクションによって顕現されるのだ…

坂本龍馬の誕生

 

『「坂本龍馬」の誕生 船中八策と坂崎紫瀾 』知野文哉


『「坂本龍馬」の誕生 船中八策と坂崎紫瀾 』知野文哉 を読む。

少し前、新聞やネットで騒がれていた本なので読んでみた。筆者は純粋な研究者と言うわけではなく、TBSに勤務しながら龍馬好きが高じて通信教育で歴史の勉強をしているという半専門家なのだが、私たちが知っている坂本龍馬の真実を求めて原資料を探るうちに辿りついたのが「坂本龍馬」の有名なエピソード、業績の多くが後世意図的に造り上げられたものであるというところに気付いてしまったと云う本なのである。決して坂本龍馬を落としめようとするのではなく、作為的な龍馬像から真実を拾い出して、身の丈の龍馬を求めた良心的な研究書なのである。

一言で言えば、明治維新以後、色々な勢力が龍馬を引っぱりだして自分の陣営の先駆者に担ぎあげた。そのたびに龍馬の姿は拡大していった。そして、根本史料(一次資料)が少ないために、フィクションが遡って龍馬の史料として定着し、その史料を使ったフィクションがさらに龍馬像を増幅させたということのようである。

龍馬の有名な「船中八策」が実はない(!!)。

坂本龍馬は船中八策という文書は作成しておらず、船中八策は明治以降の龍馬の伝記の中で次第に形成されて行ったフィクションである。「船中八策」は、龍馬を顕彰する物語の中で語られた「建議案十一箇条」という「記憶」が、複数の著作の「引用」の中で研磨され、現在の「文書」という形に至ったのである。そして「碑史」の中で登場した「船中八策」という「物語」は、最終的に「正史」という国家の物語の中に回収されるのである。

「船中八策」なる言葉が登場するのは、大正に入ってからであり、それ以前、「船中八策」は様々な名称、テキストで紹介されている。さらに、龍馬の考えていたであろうアイディアは龍馬独自の考えではなく、おおむね当時の運動を担っていた人々の共通認識であったらしいと云うことである。しかし、龍馬が傑出した人物として描きだされるに当たって大きな役割を果たしてしまうことになったのが坂崎紫瀾という人物で、土佐出身で、自由民権派の活動家から出発し、ジャーナリストでもあり、維新後、明治政権には入れなかった旧土佐藩の「勤王党」の人物の事績を顕彰するためにフィクションとしての作品を書いたのであるが、そのフィクションが明治後半、大正期に公的史料に編入されて行ったようである。その小説が「汗血千里の駒」であった。紫瀾は坂本龍馬から後藤象二郎、武市半平太・中岡慎太郎から板垣退助に土佐の統幕運動が受け継がれたという図式をこの本で描き、「土佐の討幕運動」とはすなわち天賦人権説に基づく自由主義革命の母胎として位置づけると共に、その正当な後継者に板垣退助、後藤象二郎を置くことで、二人に自由民権運動の正嫡性を賦与しようとした。これは今考えると少し無理があると思えるが、しかし、私たちが考えている龍馬像が確かにひどく明るく、自由で、未来への展望を感じさせる点の出発はここにあるようだ。

しかし、公式文書に龍馬が入り込むには明治政府の側の思惑が働いた。なんと、明治天皇の妃の夢枕に龍馬が立ち、日露戦争の勝利を告げたのだという。この時宮内省に提出された写真が良く目にする龍馬の写真であるらしい。ここから権力側に龍馬が連れ去られ、いわば大アジア主義的な龍馬が描かれ、海援隊が海陸軍の先駆的に読み替えられていった。

その後、第二次世界大戦敗戦後、龍馬に付与されたのは民主主義の先駆者龍馬という姿で、司馬遼太郎の『龍馬がゆく』がそれを担った。

筆者はこれを「可能性のヒーロー」と捉え、「龍馬には明治国家だけではなく現代の既成概念や組織への異議申し立てまでが仮託されている。龍馬の見据えているものは倒幕後の日本だけではなくいつの時代も更なる未来であり、それ故に龍馬は日本人の「希望」の象徴なのである。そしてそのイメージを余すことなく現出したのが目を細めて太平洋を眺める桂浜の銅像であろう」と書いている。

私個人は、龍馬に興味がわいたのは勝海舟の文章からで、確かにそこには血気盛んな若者として現れた龍馬が出てくるが、龍馬の主張の大前提は大政奉還で、勝海舟の江戸無血革命との連携は出てきたが、薩長同盟に暗躍する姿などは出て来ていなかった。当時の若者の中で私が今でも誰かきちんの証明してほしいなーと思っているのは益満救之助と言う人物なのだが、薩摩藩にいながら勝や西郷の間を取り持った下級武士で上野の戦いで戦死しているのだが、彼の方が龍馬より薩長同盟に深く関わっていたのではないかと思ったりする。

さて、ここで考えることはつまりフィクションは実は史料を越えて民衆の願望のイデアを構成すると云うことである。義経は常に民衆の側にいる。龍馬が譬え「船中八策」を書かなくても、また龍馬は新政府の官位を狙っていたとしても、そんなことは私たちにとってみればどうでもいいわけで、龍馬は激動の政治の中で真実生きていた若者なのだ。政治にコミットする青春の美しくもはかない生に共感するのだから。

魔女:加藤恵子