魔女の本領
飽きさせないエーコの博学な歴史書…

プラハの墓地

『プラハの墓地』


社会的に動けば動くほど、変な物が絡まりついてくる。陰謀論というものなのだが、その中で最強がユダヤ陰謀論。そこで、最強の著者の本を読んでみた。

ほんの少し前にエーコが亡くなった時、遺作かと思い、急いで購入したのだが、実はそうではなくて、2010年の出版で、その後数作品を残されたのを知ることになったのであるが、書店に行ってみるとこの本の隣には『薔薇の名前』が相変わらず並べられていて、『薔薇の名前』のインパクトがいかに大きかったかを知るわけである。『プラハの墓地』は史上最悪といわれた『シオン賢者の議定書』をめぐるとんでもなく、深い意味をもつ書物になっている。視点はいくつかあるが、第一は偽書というものの意味するもの。第二がユダヤ差別の根源とはなんなのか。そしてそれらを貫くヨーロッパの近代の歴史である。もうひとつ本書に付随的な物は、美食ということなのだが、訳者も苦労したようで、詳細な食事が書き込まれているのだが、読者には全く何を食べたのかがわからない。そこで、いちいち原文を注釈のように添えられているのが、少し笑えるが、美食家だったエーコの遊び心というか、細部にこだわったエーコの面目を思い起こさせている。

実は本書の筋書きを紹介することはほとんど不可能なのだ。語り手がまずいる。その語り手がシモーネ・シモーニーニの日記を読み始める。このシモーネ・シモニーニが主人公なのであるが、どうもこの人物は一人なのだが二人でもある。互いが相手を認識しないのにつねに存在している。さらに日記は直線的に進むのではなく、時間的、空間的に行きつ戻りつする。そして、シモーネ・シモニーニが関わり合う人物が色々な場に姿を変えて登場し、或る時などは、シモーネ・シモニーニが殺したはずなのに、また目の前に現れたりするのである。しかしこれも、自分が殺したのではなく、分身のような存在が殺したのかもしれないという具合である。

そこでエーコは物語の終わりに、博学ぶった無用な説明という付けたり(もちろんこれも本文である)を書いている。そして、「史実」として、「この物語で唯一架空の人物は主人公シモーネ・シモニーニであるーそれに対して、彼の祖父であるカピタン・シモニーニは架空の人物ではない。ただし歴史上、パリュエル神父に送られた書簡の謎めいた書き手として知られているにすぎない。(この文書が最終的にシオン賢者の議定書への道筋を作るのであるが)

それ以外の登場人物はすべて現実に存在し、この小説に描かれたような言動をしている。・・・実名の人物である場合はもちろん(多くの人が嘘だとおもうかもしれないが、レオ・タクシルのような人物もじつざいした)、架空の名前を持つ登場人物であっても、物語の都合上(実際には)二人の人物が行なった言動を(架空の)ひとりの人物のものとして描いたに過ぎない。(本当かな―)

しかしよく考えてみれば、シモーネ・シモニーニも、異なる何人かの人間が現実に行なったことをまとめている以上、コラージュの産物としてではあるが、或る意味で存在したと言える。むしろ、実際には、今でも私たちのあいだに存在している。」この最後のフレーズが重要で、エーコが言わんとした、ユダヤ差別(多分、いまやすべての差別)の問題ではないかと思えた。

エーコはさらに「物語(ストーリー)と筋(プロット)」という項目を設けている。ここにはかれの小説というものの本質がどうあるべきかという作方の根源が書かれている。
「(語り手)は、ここに再現された日記の筋がかなり混乱していて(多数の後退と前進、つまり映画人がフラッシュバックと呼ぶもの)、シモニーニの誕生からその日記の最後までの事実の直線的な展開を読者がたどることができないかもしれないと考える。英語でいう「ストーリー」と「プロット」、あるいはロシア・フォルマリストたち(みなユダヤ人である)が「ファーブラ」と「シュジェート」(あるいは筋書き)と呼んでいたものがこんらんするのは避けようがない。「語り手」は、実を言えば理解に苦しむことがしばしばあったのだが、一般読者はそうした細かい点を無視してかまわないだろうし、それでも同じように物語を楽しめるだろうと考えている。とにかく、特に几帳面な人やピンとこない人のために、1このふたつのレベルの関係を説明する表を用意した(ふたつのレベルは実際にはあらゆるーーかつての言い方ではーーウエルメードな小説に共通する)。

筋(プロット)の段には、読者がよみすすめる章に対応する日記の箇所が記されている。それに対して、物語(ストーリー)の段には、各時点でシモニーニやダッラ・ピッコラが回想し再構成したできごとが現実に起きた順番が再現されている。」とこのように解説し、実際に表として示されている。つまり日記は1897年3月24日からはじまり、1898年12月20日までの僅か1年9カ月のものなのに、物語は1830年から1898年までが物語られているのである。この間に起こる、イタリア、フランスの歴史にシモニーニは絡んでくるのであるが、その絡み方は政治的な重要な人物となるのではなくて、偽造文書を作成することで、政治に介入するのである。初めはイタリア統一の運動期には「炭焼き党員」として、密かに公証人の助手として、独立運動の死者たちの遺言を偽装することから手をつける。やがて、その見事な手腕を買われて、情報部との関係ができる。独立運動終結後、パリに亡命したシモニーニはどこの国家・機関との関係と言うよりは金になればプロイセンのためでも、フランスのためでも、どんどんと偽文書作成にはげむ。その中心概念がユダヤ人の陰謀なのである。すなわち、隠れて世界を支配している三つの悪魔的な権力、フリーメイスンとカトリック(なかでもイエズス会)とユダヤ人である。この三つ巴にすべてをあてはめてゆく。その最高度のものが「プラハの墓地」で行なわれた集会でのユダヤ人の国際的陰謀を告発するものだった。これをイエズス会の牧師に売りつけようとしてする。するとこのイエズス会士に「プラハの墓地」の文書がすでにジョン・レットクリフという小説家によって書かれた小説と同じであることを指摘されてしまい、それをごまかすために神父を殺害してしまうのである。そのような布石がある中で、シモニーニはパリ・コミューンに遭遇し、さらにはドレフェス事件には、自らがでっち上げた偽文書によって、ユダヤ人であった、ドレフェスを落とし入れる重要な偽文書を作成することになる。

ともかく徹底的にユダヤ人への偏見が描かれるわけであるが、日本人から見ると、なんでこんなにユダヤへの偏見が普遍的に存在しているのかが疑問であるが、エーコが徹底的に書いているそれぞれの事柄におけるユダヤ差別を読み続けるうちに、これは実は差別意識と言うものが全く根拠がなく、ただ各人の利害がからんだとき、自己の外側に憎しみを貼り付けられる存在があれば自己の正当化ができるのだという人間の最悪の劣状の表れなのだと言う気がしてきた。キリスト教を裏切ったのがユダヤのユダだったからとかいうような単純な問題とは違う。フロイトのいう「無気味なもの」に紐づけられるかもしれない。その人間の最悪部分にぴったりと照準を合わせて、ユダヤ人問題の多くの書物が書かれてゆき、反ユダヤの組織がうごめいたのである。

ともかく、エーコの書籍である。フリーメイスンやら薔薇十字やらイルミナティーやら、テンプル騎士団やら、イエズス会やら、催眠術、黒ミサ、オカルティズムが入り乱れる。19世紀後半のヨーロッパで起きた大小の事件の「舞台裏」には、科学・医学の発展に伴って近代化が進む一方でオカルティズムのような非合理主義が流行したことはいまや明白になっているが、エーコは詳細な風俗描写でみごとに実相を描き出している。

つまり、エーコは徹底的に史実にこだわり、論文以上に説得力を持たせて、真実の歴史を物語るために小説という手段を用いた(作家クラウディオ・マグリスとエーコの対話にあると言うことである)。さらに言えば、外からみた歴史を客観的に書いて、歴史を再構成するのではなく、反ユダヤ主義者シモニーニの思考と行動を読者に提示することで、「内面から」歴史を体験させることを目指したのがこの作品である。それ故、『議定書』の内容だけが関心事ではない。エーコは「作り話が複雑な現実よりも真実そうに見えたりする。大切なのは、どのようにしてそれが現在の「真実」に置き換えられたのかを知り、自らの詩史季の可謬性を意識することだ。すべての陰謀をむすびつける普遍陰謀論や偏執的な信念におちいらないために、健全な懐疑主義がひつようなのである」と述べている。
最後に問題の『シオン賢者の議定書』についてであるが、どのようにこの偽書が作成されたかも小説内に書かれているが、悪名高い反ユダヤ文書は今でも陰謀論の世界で院尿され続けている。ノーマン・コーン『シオン賢者の議定書―ユダヤ人世界征服陰謀の神話』(内田樹訳、ダイナミックセラーズ)やレオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史1〜5』(菅野賢治他訳、筑摩書房)、最近刊ではウィル・アイズナーのグラフィック・ノベル『陰謀―史上最悪の偽書(シオンのプロトコル)の謎』(門田美鈴、いそっぷ社)などがあるそうである。

かなり重いが、飽きさせないエーコの博学な歴史書であり、差別という問題にはっとさせられる。そしてユダヤ問題が、いまやイスラエルという国家によるパレスチナという国家に対する激烈な差別をどう考えるべきか、心が痛む書物でもある。

魔女:加藤恵子