魔女の本領
彼らに「晩年」はなかった…

晩年図鑑

『人間晩年図巻 1990-94年』


晩節を汚したくないと思う。こんなことを思う私の今は多分晩年なのだろう。

流されてまた流されてたゆたいて浮かぶ瀬もあるはずなどもなし

電車の中で読むのには重くない文庫本がいいのであるが、最近の文庫本はやばいほど分厚いのもある。ということで、こんなのを電車の中で読んでいた。

『人間晩年図巻 1990-94年』関川夏央著

そもそもこの本の執筆の動機が山田風太郎の『人間臨終図巻』にあると明かしている。私は山田風太郎が好きで大体のものは読んでいたが、『人間臨終図巻』はいまやその理由が思い出せないのであるが、職場の机の上にずーーと置いていた。分厚い本で、古今東西900人以上の有名無名の人びとの死に方が書かれた本であった。関川の本書はそれに比べると、残念ながらちゃっちすぎる。彼は1980年代後半からの約30年間の同時代人の晩年を描くことで「現代史」を記述しようとしたとあとがきで書いているが、その意図は壮大ではあったが、成功しているとはいえない。総勢36人では描ききれないこの間の激動の時代であった。また一人当たりのページ数も多い少ないはあるが、気持ちをいれ込めるほどのページ数になっていない。

私の職場からの不当首きりで、突然机も取り上げられて、窓も机もない追い出し部屋に追いやられた時、山田風太郎の本がどこへ行ったかのかも確認できなくて、記憶でしかないのだが、山田の本はたしか死んだ年齢で集められていたような記憶があるが、関川の本は同じ年に死んだ有名人が集められている形態をとっている。この形式の違いは以外に大きいと思う。現代史として書かれるのであれば、背景としての政治社会状況との関係があるのかないのか。どうしてもそれへの記述が欲しい所だ。

しかし、個人の死というものは、ほとんど社会性を提示できない。それを示しうるのは、有名人の少数の死の記述では不可なのである。この点、山田風太郎が時間軸が長大とはいえ600人も歴史上の人物の臨終図巻を書いたのは、歴史を描こうとしたのではなく、だれもかれも平等であると常に言われる死が実はめちゃくちゃ個性的で、平等でもなく、かといって格差で優劣がつくものではないと言う、このアンビヴァレントな実相のあわいを見せてくれたからなんともいえず、手元に置いて眺めていた本になっていたのだと思うのだ。関川が取り上げた死者の多くは、私でもはっきり思い起こせる人々であり、その晩年として描かれた姿を思い起こせる方々ではあるが、その分、こんなことは先刻承知だし、単なる懐古の情しか浮かべられないことになってしまったのは残念至極だ。あの人もこの人も、もっともっと書くことは有ったはずだと思えてしまう。

「晩年」という時間は、死んでから決められる時間だ。その長短さえ測れない。長命が晩年を長くしているとも限らない。本書の中にも、社会から身を隠して亡くなった方の晩年は、長いのか、それともそういう生き方の選択が晩年の姿として特出すべきなのかもわからない。

山田風太郎が「臨終図巻」をタイトルにした秀逸さを、関川が「晩年図巻」をタイトルとしたことで何かがこぼれおちてしまった気がする。それは死そのものを徹底して見つめながら人の生を浮かび上がらせた山田の小説家として(医者であったという期本理解があることも無視できないと思うが)の力量と、関川がノンフィクシャンの名手であることの質的な違いかもしれない。関川がこの時代のまだまだ忘れられない死者を徹底的に集めて、調べて、本の重さで人が殺せるほどの本を書いてくれたら、そこにはじめて彼のねらう「現代史」が書けたはず。それを期待している。

なぜ、私がこのような不満を持つかを最後に書いておくと、この時代を後世に引き継ぐべきは政治的な多くの若者の死があったということが決定的に欠けていると言う点なのだ。彼らには「晩年」はなかった。その悲しみを強く感じているからなのである。

魔女:加藤恵子